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本のなる木〜禁断の果実? いいえ、禁断の書です〜  作者: 高橋 雨
第一章 禁断の果実?
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最後に出てきたのは個人的に好きなキャラになりそうです。。

 キョロキョロと辺りを見回しながら、俺は遠くに見える木を目指して歩き出した。


 ネットの裏掲示板にあった通りで、本当に何もない所だ。東京にもこんなに辺鄙な場所があったのか。民家や人どころか、鳥すらもいない。普通、人気のない場所でも動物の気配くらいはしそうなものだが。



 掲示板によると、少し前、この丘の上にある木は自殺スポットだったらしい。調べたところ、今では目立たなくなったものの、少し前に大量の人間がここの木で首を吊って死んだことはまぎれもない事実だった。まあ、今では怪談じみた訳のわからない噂も立っているが。

 最初にその木の存在を知った時から、不思議と自分の人生を終えるのならここだと思った。

 小説家だって、太宰や川端、三島みたいに誰でも彼でも自殺する訳じゃない。俺に関しては、死ぬのなんてこの上なく怖いことだったから、自殺なんて昔は考えられなかった。


 だが、今は違う。不思議なものだ。俺がこんなに変わるなんて。

 生きていても仕方ない。もう、限界だ。これから先、生きていくと考えるだけでうんざりする。

 

 今の俺は、生への恐怖が死への恐怖にまさっている。

 

 木の枝で果実がぶら下がるように首を吊る。小説家としては、なかなかインパクトのある最後じゃないか。太宰たちのように、俺の死が騒がれることはないだろうが。


 風が吹いた。柔らかな風。

 

 ザワザワザワザワ――


 大きな音に、俺は驚いて足を止める。木の葉が風に揺れて、擦れた音だった。自然の音というよりは、獣の鳴き声に近い気がした。木が、近づいている。俺はまた歩き出す。


 歩きながら、誰にも気付かれずにあの風に揺れる死体の自分を想像した。流石に少しゾッとした。背筋が薄ら寒くなった。

 ふと、気づいた。

 今は、夏だ。俺は確かにここまでうだるような暑さの中を歩いてきたのだ。車に乗っている時も、山の道を歩いている時も汗が流れていた。

 しかし、今はどうだ。思えば、ここに来てから暑さを全く感じない。汗だってかいていない。風だってどちらかというと、秋の風に近い感じがする。山奥だからだろうか。それとも、死ぬ直前になって感覚がおかしくなっているのか。

 まさか、死ぬのが怖いのか?

 いや、今更何を言ってる。俺は立ち止まって振り返り、広大な丘を見渡した。


 よく、こんなことを言う奴がいる。

 広い空や、深い海、高い山。そんなものに比べれば、人間の悩みなんてちっぽけなもんだと。

 馬鹿なことを言うな。俺はそんな考えが大嫌いだ。

 俺の苦しみが他人に分かってたまるか。俺の辛さは俺にしか分からないんだ。比べられてたまるもんか。

 俺は、何もない目の前の壮大な風景を睨みつけ、再び木に向かって歩く。

 そろそろ俺の人生も終わりだ。木と自分との距離が命の距離だ。


 近づくと余計に木の大きさが目立つ。見上げると、首が痛くなる。でも、死んだら首の痛さだって感じない。


 荘厳ともいえる圧倒的な木を目前にしていると、ふいに二週間前の太一の言葉が脳裏に蘇った。


 ――売れない小説家なんて死んでんのと一緒だろ?


 それを皮切りに、あの時の、十四年ぶりの同級生との会話がまざまざと蘇る。

 あの嘘と見栄にまみれた会話が。

 これが走馬灯ってやつか? 俺は自嘲気味に笑う。

 全部、嘘だ。

 小説の映像化? メディア? テレビ出演? 全部、嘘だ。嘘だらけだ。




 高校卒業と同時に、仙台から親の反対を押し切り勘当されてまで上京。小説家になるという夢を叶えるまでは、誰にも会わないと決めた。


 今の俺は本当の自分じゃない。小説家になってからが、俺の人生の始まりだ。


 つまんないサラリーマンの生活を送って満足してる奴らが当時は馬鹿にみえた。俺は、そんな誰にでも送れる人生は絶対に嫌だ。その勢いで、バイトをしながら小説の新人賞の投稿生活を続けた。


 気がつけば、それから十四年が経っている。


 とっくに気づいていた。自分に才能がないことくらい。それでも、たった一度だけ二次選考を通過したまぐれを心の支えにして、自分を騙し騙しやってきた。

 俺は自分を騙し続けた。

 まだ本当の自分じゃない。俺はここからなんだ、と。


 俺の小説が認められないのは、選考委員が馬鹿だからだ。あの頭の固いおっさんたちには俺の小説の良さは分からないんだ。でも、読者は読めば分かるはずだ。

 そう思って、三十の時に思い切って自費出版した。絶対会わないと決めていた同級生に会い、借金をして自費出版の費用にあてた。金の使い道は教えなかった。すぐに何倍にもして返す、とだけ伝えた。


 これで俺は本を出したんだから小説家だ。そう思った。そう思い込むようにしていた。


 しかし、小説は全く売れなかった。当然だ。賞を取ったわけでもない、限られた書店の隅っこに一冊置かれただけの、無名作家の自費出版小説を誰が買うだろうか。そんなことも分かっていた。俺はただ、自分が小説家だという自覚が欲しかったのだ。

 本は出してる奴を小説家とはいわない。それで食っていけるやつを小説家というんだ。

 その頃にはもう、自分を騙すことはできなくなっていた。

 その後、書きかけていた最後の小説も頓挫して、俺は自堕落な生活を送っていた。

 バイトもやめた。もう、何もする気力はなかった。街を歩いている幸せそうな人間は皆死ねばいいと思った。

 そんな、精神も考えもすさんでいた俺にも唯一の支えがあった。

 由梨ーー三年付き合った彼女は、俺より三つ下のバイト先の後輩だった。

 本当は、夢を叶えるまでは恋愛だってするつもりはなかった。だが、どういうわけか由梨にはしてしまった。由梨としたのが、俺の初めてだった。


 だが、ある時、由梨は俺の前から消えた。何も言わずに。アパートはもぬけの殻だった。まるで、最初から由梨など存在していなかったかのように。

 俺は怒り狂った。俺を一人置いて消えた由梨を恨んだ。苦しい時にそばにいるのが彼女じゃないのか。

 由梨は普段からぼんやりしている女だった。俺みたいに夢を追う苦しみというのは由梨には到底分からないものに違いない。俺は、そんな何も考えずに生きているマイペースな由梨に何度もキツくあたることがあった。

 だから、勝手に消えた自分勝手な由梨に一言言ってやりたくて当分の間探した。しかし、いくら探しても、いくら時間が経っても、それから二度と由梨と会うことはなかった。


 由梨がもう俺のところに戻らないと知った時、ぎりぎり保っていた心が壊れた。冗談じゃなく、空を見上げると空が落ちてくる気もした。

 ザァー

 と、降る大雨の音と気配を、毎日のように聞いたし感じた。

 

 そして、あの日。太一と話した時に、周囲が皆結婚した話を聞いた時に、自分の口から嘘がスラスラと出た時に、気づいた。

 俺だけだ。

 多分、この雨にうたれているのは世界で俺だけだ。

 何が充実した疲れだ、くだらない。生きることに疲れていて、充実してるわけがないじゃないか。

 そして、俺は傘をさすのもやめた。このままこの雨に溺れてしまおう。そう思ったのだ。

 売れない小説家なんて死んでんのと一緒か。その通りだ。だったら死んだって構わない。いや、もうすでに死んでんだったら、俺は死ねないのか?

 まあ、もうどうでもいいけど。




 歩きながら俺は、ズボンのポケットからネクタイを取り出した。成人式のために買ったが、一度も使っていないネクタイ。

 これで、俺は死ぬんだ。簡単だ。怖くない。

 その時、ポケットから一緒に落ちたものがあった。スマホだ。

 俺は立ち止まって拾うと、何の気なしにツイッターを開いた。どうしてそんなことをしたのかは分からない。死に際の人間がすることに、いちいち意味なんて考えてはいけないのだ。

 高谷のアカウントを開く。奥さんと子供と映った写真。仕事仲間との楽しそうな飲み会の写真。懐かしの同級生たちとの写真。

 そしてその中に、俺も映っているものがある。

写真の俺は、一人だけ浮いているように見える。まるで別世界の生き物みたいに。

 中学の頃は、高谷や太一と一緒に横に並んでいた。でも、今じゃどうだ。もう背中なんて見えないくらい前に行かれた。俺は、昔の同級生のアカウントを漁っては妬むだけ。

 一人だけ、ずぶ濡れだ。

 俺は高谷のアカウントを閉じた。

 太一のアカウントは見つからなかった。俺は、由梨のアカウントを開く。

 しかし、別れた時以来一度も更新されていないのは変わらない。


 次に連絡先の画面を開く。唯一ある連絡先。由梨。

 気づけば発信を押していた。

 何してるんだ俺? もし繋がったらどうする? 何を話す?

 恐る恐る耳に当てたスマホがひんやりと冷たかった。


 「おかけになった電話番号は、現在使用されていません」


 これまで何度も聞いた無機質な機械の声。

 だらりと手の力が抜ける。由梨が姿を消してから一年、一度も繋がらなかったんだ。

 それでも俺はこの番号を消せなかった。俺の唯一の繋がりだった。

「クソっ!!」

 俺はスマホを叩きつけた。それが弾んで、木の幹にあたってそばに落ちた。

 気づけば、俺はもう木の根元まで来ていた。根がへばりつくように広範囲に広がっている。俺が立っている場所はすでに木陰だった。

 俺は上を見たーー


 ーーは……?


 あくまで、多くの人間がそうするように俺は木を見上げただけだ。それで、俺は見つけた。

 何かが大量にぶら下がっている。

 人……ではない。

「リンゴ……?」

 その謎の物体は、よく見れば何十、いや、何百と同じものがいたるところからぶら下がっている。

「あっ」

 思わず俺は声を出していた。


 本ーー


 ぶら下がっているのは、本だ。

 なんだこれ――。


 改めて下から見上げて俺は言葉を失った。

 まるで西洋の古書のような本がいくつもぶら下がっているのだ。

 俺は木の幹の周りを一周して、下からぐるりと見回した。巨大な木から、まんべんなく本はぶら下がっている。

 触って確かめたかったが、手の届く距離に本はなかった。

 何なんだ、これは。


 その時、掲示板で見たある噂を思い出した。

 本がなる木。確かそんな話があったはずだ。

 いや、まさか。そんなはずはないだろう。ネットの噂を信じるのか? 誰かがいたずらでくくりつけたものに違いない。


 しかし、不思議だ。

 よく見ると、風が葉を揺らしているのに、本だけはピクリともしない。


 俺は、木の幹に触れようとした。

 その時だった。

「うおっ」

 俺は思わず声をあげ、後ずさりした。


 木の陰から人影が現れたのだ。


 女? 


 なぜ、こんなところに女が? 幽霊? それともこいつも自殺しにきたのか?

 一瞬のうちに頭によぎった様々な考えは、しかし、次の女の一声で簡単にかき消された。


「あー、やっと人間きたぁー」


 うーんと、伸びをしながら言う女は、幽霊とも自殺者ともつかない明るい声を出した。


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