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第三章突入です。。。
よろしくお願いします。。。
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ここは、どこだ?
意識が鮮明になるのを待って、俺は辺りを見回した。
ここはーー教室?
気づいたら、俺は教室の一番後ろから学生たちの背中を眺めていた。
「えー、この方程式の左辺を移項してーー」
数式が黒板に書かれている。若い男の教師がカッ、カッ、とチョークの音を立て、黒板を数字で埋めていく。
目を細めてそれを見る。
この数式は確か……中学生で習うものだった気がする。うろ覚えだが。
生徒たちは、皆真面目に板書を取っている。黒板と自分のノートをいったりきたり。忙しそうに手を動かす。
なんだか空間に落ち着きがあるな。なんでか急にそう思った。
普通中学生ならば、寝ていたり、友達同士で話していたり、早弁したり。授業中は勉強以外のことに熱心になるやつが少なくともいるはずだが。
事実、俺が中学生の頃はそうだった。俺自身がそっち側だった。
この落ち着きようは、中学生じゃないのか?
少し首を伸ばして、生徒たちを観察していると、その違和感の正体にはたと気づいた。
みんなスカートを履いている。紺色のセーラー服。
そういうことか。この落ち着いた雰囲気は男子がいないからか。
この学校は女子校なのだ。
壁に掛けられた学級通信に学校名が書かれていた。
都内では有名な中高一貫の女子校。そして、この教室はやはり中学校だった。それも一年の教室。1ー1。
今度の物語の舞台は女子校なのか……。
こんな非現実的な世界を早々に受け入れてしまっている自分がいる。感覚が麻痺しすぎだろうか。
当然、今俺は――スカッ。
透明磁石人間、再び、だ。
しかし、全てが懐かしい。
木の机のに椅子。タイルの床。後ろのロッカー。窓の外からは、校庭のグラウンドが見える。
春のうららかな日差しを浴びて、生徒たちが体育の授業をしている声が響く。
そう。今は春。
学級通信によると、今は現実の世界から遡ること一年前の春。つまり時期的には、二回めの虎丸の時とさほど変わらないということだ。俺が三十一になる年の春。自堕落な生活を送っていた春。
俺は今度は、一年前の東京にタイムスリップしたのだ。
この物語の主人公は、このクラスの誰かだ。
さっき、学内のいたるところを散策してみようと廊下に出た。
長い廊下。クラスの表札。
目に入る光景全てが懐かしい。
ただ、俺の頃と違うのは、やはり東京。どこもかしこも小綺麗だった。
そんな学校内を歩き回ろうとしたが、今いる1ー1からある程度離れると、やはり身体は金縛りにあったように動かなくなった。
教室に戻り、後ろに立って考える。
虎丸の時と同じように、俺はこの誰かについて回るのだ。
そう思った時、大変なことに気づいた。
女と二十四時間を共にするのか?
それは、どうなのだろう……。
いや、もちろんこの状況は俺が望んでいたことではないし、俺は中学生に興味があるロリコンでもない。
だが、俺は虎丸の情事から殺人現場から全てを見たんだ。常に一緒にいるとはそういうことだ。
今回も同じだとしたら。そう考えると罪悪感が湧いてくるのだった。
だって、透明人間×女子校=……
どう考えたってやばい方程式だろ。
虎丸の時と違うのはそれだけではない。
横浜の時は、俺が実際住んでいたことのある街で、俺自身もいた。虎丸のことも知っていた。
しかし、今回。あの木になってある本のルールなど分からないが、てっきり今回も自分に関係のある場所だと思っていた。
だが、俺はこんな場所の近くに住んだことがないし、もちろんこの学校にも知り合いはいない。
俺は教室を見渡した。その一様な背中を。
この中の誰か。そいつと俺は、虎丸の時のような生活を送るのだ。
そう考えると、いろんな意味で憂鬱になった。
今は一時間目らしい。
当たり前だが、教室には勉強の音だけが響く。
中学生の問題だと思ってナメていたが、話を聞く限りほとんど分からない。どうやらここは進学校らしい。皆、頭が良いのだ。
俺が中学校の時はどうだったろうか。こんな真面目には勉強しなかった気がする。太一と早弁を競っては見つかり、怒られていた記憶しかない。
あの頃は、まだ楽しかった。
あの頃の俺に、今の状況を教えたらどうなるだろう。
男にとっては未知の世界。男子禁制。禁断の花園。そんな場所に透明人間として入ることができる。
きっと、興奮するだろうな。それくらいの心の余裕が中学生の俺にはあったのだ。
女子たちの後ろ姿を見る。ポニーテール、ツインテール、ショートカット、お団子……
いや、俺は変態じゃない。これにそういう意味はないのだ。
後ろ姿じゃ、髪型くらいでしか区別がつかない、そういうことを俺は言いたいわけだ。
だが、よく見るとそれぞれにその行動には特徴がある。
例えばあれ。
廊下側の一番後ろの席の生徒。俺はその真後ろに立ってその手元を覗く。ここが現実の世界ならこの生徒は卒倒しているところだろう。なにせ、真後ろに三十超えた知らないおっさんが立っているのだから。
でも、今自分がしていることを知られたら卒倒どころじゃ済まないかもな。
その生徒は、板書もとらずに、訳の分からないルビを振った漢字ばかり書いている。一見すると小説っぽいが、やめておけ。それは黒歴史になるやつだ。
例えばこれ。
その隣。この生徒は黒板を見ているようで若い男の教師しか見ていない。顔を覗き込むと、目がハート。中学生のくせに化粧までしている。
なるほどね。若手イケメン教師ってやつか。その上、面白い。さっきから授業は適度に盛り上がっている。生徒みんなに好かれている。
ふん。ガキどもが、騙されるなよ。
こういう奴が実は裏ではーー
「えー、このエックスを代入して――」
無言で一度後ろに下がった。
まさか、この教師じゃないよな。ふと、そんなことを思った。
深呼吸する。
チッ。嫌なことを思い出した。
あんな世界のこと忘れたかったのに――
と同時に、
そういえば、化物女は言っていたな、現実の世界に戻る方法のことを。
それも思い出して、心の中で念じてみた。
嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ……
帰りたい帰りたい帰りたい帰りたい……
……無理か。なんとなく分かってはいたが。
多分、この世界の根本の部分は虎丸が主人公の本と一緒だ。その仕組みも。同じ木になっているのだからそうだろう。
だとしたら、俺が泣こうが喚こうが今のままじゃどうにもならないことは自分がよく分かっている。
取り敢えず、動きがあるのを待とう。そうでないと始まらない。もうこの身体のことを知ってはいるから、変に混乱することはない。
そういえば、化物女が透明化を解く石があるみたいなことを言っていたが……。あれはなんだったのだろう。結局何が何だかさっぱりのままだ。
自己チューで自由な化物女のことを思い出すと余計苛立ちが募るので、即刻頭から消した。
ちょうど、授業参観に来た親と同じ目線。
俺に子供がいたらこんな感じだったのかな。
自分が父親になる。
そんな非現実的なことを考えてしまうほど、暇だった。一時間ってこんなに長かったか。
ふと、視界の端にある生徒が映った。
窓際の一番後ろから二番目の生徒。ひときわ小柄で、綺麗な黒髪を後ろで二つに結んでいるその生徒。
なんだかさっきから落ち着きがなく、妙に気になっていたのだ。
近づいて見てみても、ノートを取っているわけではない。手が膝の上から、机の上から忙しく動く。
何度も唇を舐め、目は泳いでいる。肌は青白い。
トイレでも我慢しているのか?
俺がそんなことを思った時、俺の身体をすり抜け、その生徒の背中を突いた手があった。
振り返って見ると、真後ろの生徒が右隣の生徒と目配せをしながら、何度もこの生徒を人差し指で突いている。俺越しに。
突かれた生徒は、振り返りもせずに俯く。そして、チラチラと斜め後ろをビクビクとした様子で見る。
じゃれている――わけではなさそうだ。
思い出した。
こういうことは、女子同士の方が多いということを。
背中を突かれるたびにその生徒の狼狽ぶりがいっそう、増す。
やがてその生徒が、震える手を机の上にある筆箱に伸ばした。
ガシャッ
砕けるような大きな音を立て、筆箱が床に落ちる。
彼女の筆箱はいわゆるカンペンケース、カンペンと呼ばれるものだった。
皆の視線が一瞬にしてもここに集まる。一時停止。
「……ごめんなさい」
再生。
授業が再開される。
生徒は椅子から降りると、落ちて散らばった文房具を拾い始めた。
今この子、筆箱をわざと落とした。
真後ろの女子が小さく舌打ちした。そして横の女子に時計を見るよう促す。
それにつられ時計を見た時、チャイムが鳴った。聞き馴染みのあるチャイムが。
どの学校でもどの時代でも、チャイムだけは変わらない。
授業の緊張が解け、教室内は別空間のように騒がしくなった。
椅子がひかれる音。一つの机を囲んで盛り上がる会話。教室を出入りする足音。
キタ。体が引っ張られる感覚がある。
誰だ。
俺の身体は、教室の壁をすり抜け、廊下を進んでいく。
「えっ……まじか」
行き着いた先で思わず声を上げる。
この世界に来てから初めて喋った。だが、それも無理はない。
そこは中学一年棟の廊下の突き当たり、女子トイレだったのだ。
俺は生まれて初めて女子トイレに入った。
しかし、女子トイレというものは広くて綺麗だ。男子とは全然違う。同じトイレでも別空間みたい。大きな女子校ならではのことかもしれないが。
もちろん、個室に入るなんて卑劣なことはしない。何度も言うが、俺はしょうもないやつかもしれないが変態ではない。
ただ、この世界の物語の主人公が誰なのかが気になるだけだ。
洗面台の前で女子の固まりができている。その後ろで、俺の身体は完全に自由になった。
ああ、これが噂のトイレでの女子トークか。何か珍しい生き物でも見たような気持ちになった。
その会話に耳を傾ける。
「おい、ナシ。ちょっと、何あれ。全然言ってることと違うんだけど、聞いてんの? ナシ」
低く冷たい声。楽しい会話では使われないような声。
「……ごめんなさい」
蚊の鳴くようなか細く今にも消えて無くなってしまいそうな声。楽しい会話では使われないような声。
よく見ると、一人の生徒が洗面台に追いやられるように尻をつけて、それを二人の生徒が囲むような形になっている。
楽しい会話では絶対にこうはならないその構図。
「あっ、さっきの……」
今、気づいた。
そこにいたのは、さっきの授業中筆箱をわざと落とした生徒と、その後ろで笑っていた二人組だった。
「ねぇ、ごめんなさいで済んだら警察はいらないんだよ」
「……ごめんなさい」
「だから、それやめろって言ってんだろっ」
真後ろの席で背中を突いていた生徒が叫ぶ。
言われた女子はビクッと体を震わせ、俯いた。そのまま消えてしまうんじゃないかと思ってしまうほど、弱々しい仕草だった。
ごめんなさい、とまた口が動きそうになるのを、もどかしそうにすんでのところで彼女はとめる。
もう一人の生徒は、突いていた女子の横で薄ら笑いを浮かべているだけ。
誰が見たって分かる。これは、いじめだ。
女って怖い。そういうやつだ。
トイレには三人以外誰もいない。個室の鍵は全て空いていた。
俺は入口寄りに立った。
今から入ってこようとする子たちは、洗面台で行われていることを目撃すると、入るのをやめる。
「なんでさっき約束通りやらなかったの」
「でも、……落とした……よ」
「一回じゃ意味ないじゃんっ。バカなのっ?」
「っ」
叫ばれた彼女は、スカートの裾をギュッと握った。これじゃあ、身をすくめる小動物だ。蛇に睨まれたカエルか。
「わかった」
突いた生徒が突かれた生徒に顔を近づける。
「あんた、ユーキ先生だからやらなかったんでしょ。あんたももしかしてユーキ先生のこと好きなの?」
「違っ……違うよ。違う」
そうして顔を上げると同時に、「いたっ……」髪を掴まれた。
「ナシのくせにさ、あんたみたいなブスで貧乏が男に色目使ってんじゃねーよ。ユーキ先生好きとかマジ百年早いから」
「違うの……」
泣き顔で言う。
「いや、お前の顔の方がひどいけどな」
あまりにかわいそうに思えた俺は、ついそんなことを言ってしまった。
こっちは女の顔をどれだけ至近距離で見ても何も言われないんだ。
「誰も言わないだろうが、お前近くで見ると狐みたいな顔してるぞ」
「まぁいいわ」
狐が髪を離し少し距離を取る。
「次が最後のチャンスだからね。次の授業でやらなかったらどうなるか分かってるよね?」
「……」
「分かったかって聞いてんのっ」
「……」コクっ。小さく震えながら彼女は頷いた。
「はっ。楽しみにしてるからね」
そう捨て台詞を吐くと狐たちは踵を返し、トイレから出て行った。
残された生徒は流れた涙をぬぐいながら、その場を動かない。というか動くことができないという感じだ。
二人組がいなくなったのを見計らったかのように、トイレの人の出入りは円滑になった。まるで、さっきまでそこに見えない壁でもあったみたいだ。
でも、誰も泣いている彼女には気づかない。
いや、気づかないふりしている。見ないふりをしている。
この三人のうち、俺と奇妙な、いや、最悪の共同生活を送るのは誰なのか。
その答えを、俺はもうとっくに分かっている。
やがて、チャイムが鳴ったーー
俺の身体は引っ張られることなく、女子トイレにいたまま。
女子トイレには、俺の他に泣いている「ナシ」と呼ばれた生徒一人。
今度の物語は、いじめられっ子の話か。
ナシと呼ばれた生徒が、目をぐいっとこすりトイレを出ようとする。
その隙に胸元の名札を見た。
『高谷詩名』
しな。そのまま読むのか? しな、ナシ ……ナシ、ああなるほどね。中学生らしいレベルの低いあだ名だ。
高谷詩名。
それがこの本の主人公の名前らしい。
いきなり少し長くなってしまった気がします、、、




