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本のなる木〜禁断の果実? いいえ、禁断の書です〜  作者: 高橋 雨
第一章 禁断の果実?
2/24

 死にたい、というよりは生きたくなかった。


 だから、こうしてわざわざ時間をかけてここまで来た自分に驚いている。


 俺の眼前には、木がある。


 どこまでも広がっていると思える雄大な草原のど真ん中にその大木はあった。どっしりと天に向かって伸びている木は、まるで大きな傘のようだ。木陰が広範囲にわたってできていて、地面の一部に暗く影を落としている。

 俺は、その荘厳な大木から目が離せなかった。


 木の他には何もない。だからか、誰かを待っているようかのように見える。と思えば、誰も寄せ付けないようにも見える。そんな不思議な空気を持っている大木に、俺は圧倒されていたのだ。

「ホントにあったのか……」

  大木を見上げながら、思わずそう呟いた。


 

 俺がこの丘の上の木の存在を知ったのは、つい先日だった。


 新宿の街を歩いていると、後ろから声をかけられた。

「おい、もしかしてアキラか!?」

 振り返ると、そこには高級そうなスーツで身を固めた長身の男がいた。一瞬誰か分からなかったが、すぐに気がついた。中学生の頃同じクラスだった、遠藤太一だった。挨拶もそこそこに、太一に促され俺たちはそのまま居酒屋に入った。


「久しぶりだな。成人式の時以来か?」

 小さなテーブル席に向かい合うと、太一が言った。なんだか古びた居酒屋の風景には太一は馴染まないように見えた。

「いや、俺成人式出てないから……」

「ああ? そうだっけ?」

 斜め上を見上げて首をかしげる。懐かしい仕草だ。

「……ていうか、よく気づいたな。えーとっ」俺もつられて斜め上を見る。「十四年ぶりだろ? 俺ら」

 ああ、と太一が反応する。

「お前、結構前に高谷たちに会っただろう? その時の写真が高谷のツイッターにのってたんだよ。それで、お前の顔覚えてたんだ。さっき喫茶店で見つけて、もしかしてって思ってな。追いかけてきたんだ。でも、お前こそ俺だってすぐに気づいたよな」

 今度は逆に太一が聞き返してきた。だから俺は言った。

「なんていうか、自信に満ち溢れてたから」

「そうかな?」

 太一は笑いながら自分の身なりを確認して、俺に目を向けた。「お前はどうしたんだよ。随分とやつれてるじゃないか。なんか、静かになったし。平日の昼間から大学生みたいな格好して、お前、今一体何をしてるんだ」

 遠慮のない言い方は変わっていない。仲が良かったからと思っていいのか。

 そう。俺たちは、仲が良かった。いつも、クラスの中心のグループに俺たちはいたのだ。

 あの頃は、今自分がこんな人生を送っていると思いもしなかった。

「小説書いたりしてるよ」

「えっ?」太一は大げさに驚いた。「意外だなあ。本当か」俺の体をジロジロ見てくる。そして、何か得心のいった顔をした。

「ははあ、なるほど。小説家ねえ……」

 あっ、と何かを思い出した顔をする。「そうだ、そうだ。聞いたぞ」急に太一は小声になった。「さっきの話じゃないけど、高谷たちから金を借りたんだって? しかも結構な額」

 それを聞いて、俺は「ああ、それ」と苦笑した。できるだけ、自然に笑うようにしたがうまくできたかどうかは分からない。


 俺はその頃、中学時代の同級生の高谷というやつを含め三人から金を借りていた。太一も含め皆が同じクラスだったから、噂は広まっているのだろう。

  俺は、太一が口を開く前に急いで言う。「実は、ちょっと俺の書いた新しい小説が大きくなりそうなんだ。映像化やメディア露出とかな。それで、諸々必要になってな。でも、見積もりはできた。何倍にもして返すから心配いらないよ」

 ビールが運ばれてきて、太一はそれをぐびりと一口飲んだ。それだけでグラスの半分が消えた。よく見れば、太一の腹は昔よりも出ている。痩せた俺とは真逆だ。

「そうなのか」ゲップを抑えながら太一が言う。「良かったじゃねえか、それなら。俺は小説なんか読まないから、知らなかったなあ。で、なんていう本だ? 名前は? そのままか?」

「ああ。名前は、倉田……」俺はそこまで言って思いとどまった。「いや、やっぱやめた」

「なんでだよ」

「いいよ。お前教えたってどうせ読まねえだろ」

 確かに、と太一は笑う。

「それよりだったら、俺がテレビや街の広告にどでかく映った時に知ってくれ」

「それもそうか」と太一は言った。「まあ、安心したよ。売れてるんならな。売れない小説家なんてありゃ、死んでんのと同じだろ?」

 ピクッと自分の肩が反応したのが分かった。騒がしいはずの店内で、太一の言葉だけが妙に大きく響いたような気がした。耳、というより、頭と心に直接言葉を投げられた、そんな感じ。


「そんな格好してるし、借金するし、それに浮かねえ顔もしてるじゃねえか。ホント、心配したぜ」

 俺は、鼻から一つ、聞こえないくらいの息を吐いて心を落ち着けた。

「疲れてるだけだよ。ただし、充実した疲れだけど」

「ふうん。なら、いいんだ。しかし、どのくらい何に金がかかるのかなんて知らねえが、金を貸すことならいくらでもできたぜ」

 太一はそう言って豪快に笑った。俺は、苦笑いを浮かべるしかできなかった。

 金を借りる時、太一の顔も一瞬浮かんだ。しかし、一番仲が良かった太一から、俺は金を借りなかった。それがなぜかは分からない。なんとなく。借りる気がしなかった。

 ニッと白い歯をむき出しにして太一は笑う。ふと、ワイシャツの袖からちらりと光るものが見えた。腕時計だ。強い光沢を放っている。俺にはその価値すらも分からない。

 太一は、普通のサラリーマンには見えない。何をやっているのだろう? だが、はたと思う。こいつが何をやっていようが、俺には関係ないことだ。どうでも いいことだ。他の人間のことなんて……。


「俺が何をしてるのか気にならないか?」

 俺の心を読んだかのように、太一が言った。浅黒い肌とジェルで固めた髪が、天井からの淡い光に照らされ光っている。


「……何してんの?」

 興味はなかったがつい聞いてしまった。


 太一は自分から振っておいて、少しの間黙っていた。


「やっぱやめた」

 やっと口を開いたと思ったら、ニッと笑ってそんなことを言った。「お前が教えないなら俺だって教えない。まあ、お前と違って俺は、テレビに出るなんてそんな機会ないと思うけどな」

 俺が口を挟む間も無く、太一は喋る。「そういえばよ、最近子供が生まれたんだ」

 まず、結婚していたこと自体知らなかったから少し驚いた。だが、よく考えれば俺たちはもう今年で三十二だ。なんら不思議なことではない。

「お前はどうなんだ? 彼女とか」

 ピタリ、と箸が止まる。

 太一が少し怪訝そうな顔をしたので、再び動かす。

「……ああ、一応いるよ」

「そうか。早く結婚しちまえよ。そうすりゃコンプリートなんだ」

「コンプリート?」

「俺たちの中学の時のクラスは、もうお前以外全員結婚してるからな」

 ずしりと胸の底に何かが落ちてきた感じがする。そのくせ、体の力は抜けている。

「……へえ、そうなのか」

 太一は呆れた顔をした。「やっぱりお前、何も知らねえのな。今、みんなの間でお前のこと噂になってるぞ。あいつは何をしてんだって。お前、仙台出てから金借りる以外で誰とも会ってねえだろ? まあ、でもこれで話のネタができたよ。俺がお前を見つけた一番乗りだ。みんなに伝えとくよ。アキラは生きてたって」

「俺は、希少動物かなんかか」俺が苦笑してつっこむと、「そうだよ」太一はこれ以上当然のことがないという表情をして、「お前は希少動物だよ」そして、豪快に笑った。

「そうだ、希少動物。サインくれよ。有名になるんだろ? 自慢するぜ。俺の同級生だってな」

 太一は、カバンからペンを取り出し、身の回りをキョロキョロと忙しく見た。恐らく、何か色紙がわりになるものを探しているのだろう。

 やがて、太一が俺の前に差し出したのは、割り箸を入れる袋だった。

「さっ、書いてくれ」

 ペンとその袋が俺に手渡された。「これにかよ」と言いながらも、俺はペンを手に持った。

 しかし、手は動かなかった。まるで手の動かし方を忘れてしまったみたいに。

「やっぱやめた」

 俺は言った。太一を見た。真顔だった太一は一瞬で相好を崩し、腹を抱えて笑った。

「ノリだけは中学生のまま健在だな。さすがアキラだぜ」

 俺も笑った。ただし、うまく笑えたかどうかはわからない。



 結局この日、俺は一度もうまく笑えなかった気がする。

 心の底から笑ったのはいつが最後だろう。中学生の頃? 確かに昔はそんなくだらないノリで笑えたのかもしれない。

 だけど、あの日の太一との会話。三十二歳になった俺たちの会話。あれはノリじゃない。いや、向こうはまだそのつもりなのかもしれない。だが、少なくとも俺は違う。そんなんで笑えた俺はもういない。


 じゃあ、今の俺はなんだ? どうやって笑うんだっけ? 楽しい会話をどうやって人とするんだっけ?


 ――今、俺は何のために生きている?


 分からないことだらけだ。でも、一つだけ確かなことがある。

 

 確かなこと。

 それは多分、この日が死をはっきりと意識した日だった、ということくらいだろうか。

 だからこそ俺は、その日のうちにネットの裏掲示板で丘の上の木の存在を知ったのだから。

この後から、だんだんと物語が動き出します。

引き続きよろしくお願いします。


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