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本のなる木〜禁断の果実? いいえ、禁断の書です〜  作者: 高橋 雨
第二章 「透明」ではない世界
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12

♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢♢


 目がーー覚める。


 ハッ


 不思議な目覚めだ。

 なんだか、何日も眠っていたような気がする。


 ん? 目が覚める?


 いやいや、そんなはずはない。俺は眠れない身体だったじゃないか。

 だが、目が覚めるということは、つまり、()()()()ということだ。


 俺は寝ていたのか? 腹が減ることも気温を感じることもなかったあの身体の俺が?


 俺は、透明磁石人間だよなーー



「あ、戻ってきた」


 声がした。


 俺はこの声を聞いたことがある。何十日、いや何万年ぶりに聞いたように感じるその声。


 声のする方を見る。見なくても分かるのだが。


 読んでいた本をパタンと閉じて、その女ーーいや化物は言った。

「いやぁ、結構早かったね、戻ってくんの。相当精神弱いんだ。まあ、弱い人しか自殺なんてしないだろうけど」




 辺りを見回すと地平線の奥まで草原が広がっている。

 木。

 俺の頭上には巨大な木がある。木にはいくつもの本がぶら下がっている。

 他には、何もない。


 ここは、間違いなく現実の世界。あの丘の上の木の木陰に俺はいる。


 俺は自分の身体を見た。

 上半身だけを起こして、しっかり座っている。足が、腰が、見えるっ。

 両手を前に出して、合わせてみる。恐る恐る、ゆっくりと。


 ガシッ


 両手がすり抜けることなく繋がった。


 俺は急いで立ち上がる。自分の身体、顔をくまなくベタベタと触る。身体を洗う時のように。存在を確かめるように。


 それから手を握っては閉じ、握っては閉じ、握っては閉じ……


 自分の顔が自然とほころんでいくのが分かる。


 間違いない。


「はは、はははは。やった。やったぞ。戻った。俺の身体だ。俺の身体が戻ったんだ!」

 俺は思わず快哉を叫んだ。


「あれぇ?」

 そんな俺の顔を覗き込んでくる人物が一人。いや、人外が、一化物。


 久々に拝むことが出来たよ。このツラを。

 長かった。ずっとお前に言いたいことがあったんだ。

 恨み、文句、罵詈雑言、怒り……挙げればキリがない。

 様々な感情があったはずだ。

 そんな数多の感情、それを押しのけて最初に思ったことは悔しかったがやはりこれだった。

 美人だ。


「あれあれあれあれあれあれ、あれぇ? もしかして生きる喜び感じちゃってるぅ?」

 満面の憎たらしい笑みでそんなことを言われて、思わず俺は自分の手を下げた。そして、表情を整える。いや、整えるというより、思いっきり化物女を睨みつける。

「……いい加減にしろよ」

「なんだ、その目は。美女に向ける目じゃないねえ」

「ふざけんなっ」

 俺はそう叫ぶと、立ち上がってメンチをきった。こいつとの話し方なんてとうに忘れていた。

「なんなんだよっ、あれは、あの世界はっ。なんで俺はあんな街に行ってたんだ!? どういう仕組みだっ。しかもあんな身体になって! 訳がわかんねえよっ」

 だめだ。聞きたいことが多すぎて考えがまとまらない。


「やっぱ、うるさぁ」

 化物女が両耳を手で塞いで首を振る。


「なんだと……人の苦労も知らないで」

 奥歯を噛み締めながら言うと、

「苦労したのはあなたじゃないでしょ。楽だったでしょ? あの身体。どんなとこでもスルスルーって。いいなぁ、羨ましいなあ。言っておくけどあれ、私たちは使えないんだからね。ねえねえねえ、自分で自分を見た感じどうだった? 教えて、教えて!」

 頑是ない子供みたいに、前のめりになってペチャクチャと言葉を並べた。

 俺は一層、奥歯をギリリと噛み締め、

「やっぱりあんたの仕業なんだな。分かってたよ、分かってたけどさ。あんたっていうよりこの木だろ。この木にぶら下がっている本の物語の中に俺は入ってしまったんだ。違うか?」

 化物女に負けないくらい、唾を飛ばしてまくし立てる。化物女の口元が歪むのも気にしなかった。


 化物女は少し俺から距離をとって、

「ご名答、ご名答。さすが小説家もどき。想像力はあるね」

 軽口を叩いた。

「でもね、あのおばあさんが地獄地獄言ってたのは私とは関係ないからね。偶然、偶然。まぁ、あのおばあさんは見てて面白かったけど」

 ケラケラ笑う化物女の顔を見て、俺は改めて思った。


 やっぱり、今までのことは夢じゃなかったんだ。全部、本当に俺の身に起きたことだったんだ。


「……もう、何起こっても驚く気にもなれねえよ」


 体の力が抜ける。ふらふらと女から離れると、俺は地べたに座り込んだ。


「あっ……本」


 俺が座ったところに、ちょうどあの本があった。ページは閉じられている。


 俺は、これの中に今まで入っていたのだと考えると、やっぱり簡単には信じられない自分もいる。


 ちょっと待てよ。

 自分の考えていることに自分で疑問を覚える。

 今まで?

 俺は、空を見渡し風を感じた。そこで、知覚もちゃんと戻っていることを知る。それと同時にこの木は熱を吸い取るということも思い出した。だから、暑さを感じなくてもおかしいことではない。

 だが……

「今日は何日だ。確か俺はあっちの世界で一ヶ月近く生活していたはずだ。それにしては、あまりにも気温に変わりがない。それもこの木の特性か? だったらアンタはずっとここで一ヶ月も俺を待ってたのか?」


「ああ、それ」

 化物女はあっけらかんという。

「時間の流れあっちとこっちで全然違うから。詳しく説明すると、めんどいから話さないけど……まっ、こっちではほとんど時間が経ってないってこと。一時間ちょっとかな?」


「あぁ……そう……」

 非現実的なことを真面目な顔で喋る女を見上げる。

 聞きたいことがたくさんあって、どこから聞いたらいいのか分からない。


「……じゃあ、なんで俺はこっちに戻ってきたんだ?」

「は? 戻ってきたかったんじゃないの?」

「いや、そうだけど……」

 訳の分からない質問をしてしまう。


 どうなったんだっけ? 過去の世界で俺はどうしていたんだっけ? 気づいたらこっちの世界にいた。俺はどこで何をして戻ってきたんだ? あいつは、あいつは……そうだっ。


「虎丸はっ。あいつはどうなったっ」

 頭を抑え、必死に記憶を呼び起こす。しかし、うまく思い出せない。


「あれ? あれあれあれあれあれあれあれあれ、あれぇ?」


 化物女が顔を近づけてくるのを俺は手で払った。

「鬱陶しいんだよ。なんだよそれ」


 ひょい、と下がった化物女は黒いワンピースを揺らしながら言った。

「虎丸君が心配なの? あんなに大っ嫌いだった虎丸君が心配なんでしょ、ねえ」


「ーーっ」


 ニヤニヤと笑いながら化物女は言う。

「そうだよねぇ。あの子の苦労は半端なものじゃなかったもんねぇ。おばあちゃんが死んじゃった後なんか、あなたもう見てられなくなって常に最大限離れてたもんねえ」


 ばあさん……死んだ……?

 虎丸の苦労……?


 そうだっ。思い出したぞ。



 あの後、ばあさんが脱走したあの日。

 ばあさんは電車に乗って山下公園まで行ったんだ。

 ばあさんは認知症で、虎丸のことすら忘れていたはずなのに、なぜか虎丸とたった一回行っただけの道のりを覚えて、一人で電車に乗って山下公園に行ったんだ。警察が虎丸にそう話していた。

 そして、ボケたばあさんは、海に飛び込んで溺れて死んだ。

 そうだ。

 その後の虎丸はもう廃人だった。ばあさんを亡くした後は一度も笑わなかった。

 ()とラーメン屋で最後に話しているところも俺は見た。俺とは比べ物にならないくらい、この世に光を見ていなかった。

 そんな虎丸を見ていられなくて、それで、それで――


 あいつは悲しみの果てにばあさんを追って海に飛び込もうとしたんだ――


 その後どうなったんだっけ?



「怖かった? あの子が絶望に落ちていく様を見るのが」


 化物女に言われてどきりとした。図星だ。

 体育座りのような格好で、黙って俯く。

 表情にどうしても出てしまう気がしたからだ。


 俺が何も喋らないでいると、

「てかさぁ……」

 化物女が、腰に両手を当てこの雰囲気に似合わない声を出す。例えるなら、あまりの暑さにうだるような声。

「マジ、人間ってなんであんなことすんの? 醜い、醜いわあ」

「……は?」

「あれだよ、あれ。自慰行為。またの名をオナニー?」

「……」


 あまりにも突飛な話題に俺は困惑する。

 その顔でそんな言葉を発するなよ……。


 忘れかけていたが、この化物女はそういうやつだった。空気を読むとか話の脈絡なんかは無いに等しい自由なやつなのだ。


「もう、嫌なもん見せないでよ。おっさん、あのおっさんだよ。うぇぇ。思い出しただけでも気持ち悪ぃ」


 絶世の美女が下ネタを堂々と言い放ち、オエオエ吐くふりをする。

 シリアスな世界から一転。こいつのテンションにうまくついていけていない自分がいる。

 だからだろうか。地獄では、そういうのはどうなってるのだろう、などと余計なことをふと考えてしまったのは。

「え? 地獄ではどうなのかって?」


 ……ちっ、心を読まれた。

 そうだ。こいつは、地獄に落ちる人間を選別するとかで、人の考えていることが分かるんだった。だからこそ、おっさんの情事も見てしまったのだ。


「ものすごいよ。それはもう、人間とは比べ物にならないくらい凄いんだから」

 少し気になる自分に腹がたつ。

「でも、あなたになら教えてあげてもいいよ。特別」

 ちょいちょいと手招きするので、俺は仕方なく、あくまで仕方なく耳を貸す。


「……ひ・み・つ」


 小悪魔のようなくしゃっとした笑み。猫なで声。活字に起こせば語尾にハートがついただろう。内藤の野郎を思い出す。


「いい加減に――」

 呆れて口を開こうとした俺を遮ったのは、別人かと思うほど落ち着いた、化物女の声。


「でもさ、虎丸君のはどうだった?」

「え……」

「虎丸君がオナニーすること知って、()()したんじゃない?」


「――……」


「こいつも普通の高校生なんだって安心したんじゃない?」


 思いっきり息を吐いた。それだけで何も言わなかった。どうせ、俺の心のうちは全て知られているのだ。

「男子高校生の……そういうの見て安心するような趣味は俺にはない」

 吐き捨てるように言った。

 化物女は、フフフ、と含み笑いをした。


「そんなことよりも」俺は言った。「あいつは……あいつはあの後どうなったんだ。確か、山下公園の氷川丸のところの欄干に登って……そっから記憶がないんだ。あいつは、どうなったんだよ」

 頭をぐしゃぐしゃとかきながら訊いた。なんだか曖昧な記憶のままでは気持ち悪い。


「うぅーん」

 化物女が首をひねって唸る。

「ホントはあんま良くないけど、この人はここまでしなきゃダメそうだしな……」

 何かぶつくさ独り言を言っている。

「なんだよ、はっきり言えよ。分かるんだろ? あんたはなんでも分かるんだろ?」


 突如、化物女の顔が目の前にきた。

「じゃあ、もう一回行く?」

 化物女がしゃがんで俺と目線を合わせたのだ。

「……もう一回? あの世界に?」

「うん。一回戻ってきたのにもう一度行くのはあんま良くないことなんだけどね。人間界でいう暗黙の了解っていうの? そんなのが地獄にもあるわけ。まあ、そんなのあってないようなもんだけどね。閻魔様にバレなきゃ大丈夫っしょ」

「……閻魔様?」

 化物女は俺の質問を無視して、

「ただし、今度はそんなに長くいれないよ」


 バラバラバラバラ……


 化物女の言葉も言下に、落ちていた本がひとりでに動き出した。


「ホントにちょっと、あっちの世界で一日くらいかな。じゃ、そゆことで」


「え……ちょ……」


 本がまばゆい光を放ち、俺が何か言う間もなく視界を光が覆った。

久しぶりに化物女が出てきました。。。

嬉しいです。。。書くのが楽しい。

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