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毎日投稿と昨日言ったそばから一日置いてしまいました、、、
情けない、、、
良いものにしよう、良いものにしようと考えるとどうしても時間がかかってしまいます、、、
誰か叱ってください、、。
「うわっ!……っと」
部屋に入るなり、俺の身体めがけて飛んできたのはガラスのコップだった。
スカッ
壁にあたり、コップは頭が痛くなる音をたてて割れた。
「びびったぁ……」
なんと便利な身体。俺は初めてこの身体に感謝した。
誰だよ、危ねえな。俺じゃなきゃ怪我してたぞ。
そうして室内を見回し、俺は眉をひそめた。
廊下には女が座り込んでいる。ボサボサの髪の間から鋭い目をのぞかせ、こちらを睨んでいる。
「あ? ババアも帰ってきてんじゃねーか」
奥の八畳ほどの部屋から、一人の男が姿を現した。
いかにも、だ。いかにもな見た目をしている。髭に角刈りに黒のサングラスに腰パン。さっき、コップを投げたのはこいつだ。コップを投げますよってツラしてる。コップを投げるそのためだけに生まれてきたようなクズ男。初見で分かる。
座り込んでいる女を足でどけて、男は虎丸の目の前まで来た。
「ひえぇぇぇ」
「っるせんだよ、ババア!」
唾を撒き散らしながら、動物のような声を出す。
「静かにしてくれよ。ばあちゃんが起きたじゃん」
横で虎丸が言った。やけに冷静な声で。
そして、そんな男に構わず部屋の奥へと入っていく。
そういえば、こいつはさっきからとんでもねえことが起きているのに、これが当然という顔をして一つも動揺している雰囲気がない。
だが、レジにいる時のあの優男の雰囲気もない。その表情には、暗い影が落ちている。
「オメーの母親だろ。オメーがちゃんと見てねえのが悪いんだよ」
男はそう女の方を振り向いて言った。
「なによっ。私だけが悪いんじゃないでしょっ」
耳をつんざくヒステリックな声で女が返す。
男は、それに負けじとどでかい舌打ちを一つして俺をすり抜け、これでもかというほどドアを乱暴に閉めると出て行った。
俺は、肩をすくめながらなんとなく女をよけ、部屋へと足を踏み入れた。
散らかっている。アパートのボロさが霞むくらい。さっきまであの男が暴れていたのがはっきりと分かる。服やら、雑誌やら、ガラスの破片やら。俺は透明なのも忘れて、気持ちひょこひょこと歩いた。
「ばあちゃんは危ないからテレビでも見てて」
虎丸は床を確認して、座布団を敷きばあさんを下ろした。そして、黙々と片付け作業に入った。
「そんなんその人にやらせなよ」
やがて、今まで黙っていた廊下の女が立ちあがって言った。
「……」
虎丸は、まるで聞こえていないかのような反応だ。
すると女が、手を叩いて笑いながらテレビを見ているばあさんの前まで来た。そして、ばあさんを見下ろすとヒステリックな声で叫んだ。
「母さんっ! あんたなんで勝手なことばっかすんの? いい加減にしろよっ!」
少しの間があって、ばあさんがテレビから女に視線を移した。そして、口を開いた。
「おや、あんたは誰だ? さては、テレビの中から飛び出して来たんだな?」
「ーーっ」
女は山姥のような形相で、近くにあったリモコンを掴んで床に叩きつけた。
当たらないとは分かっていても反射的に身構えてしまう俺とは違って、虎丸はピクリとも反応しない。
女は、床が抜けるんじゃないかと心配するほど、ドスドスと足音を立てて、アパートを出て行った。
二人がいなくなった後は、嵐が過ぎ去ったように静かになった。
虎丸は、散らかったコップを慣れた手つきで片付けた。ばあさんは一人、訳のわからないことを呟いてはテレビを見て喜んでいる。
ふうん。なかなか複雑な家庭環境らしいな。
クズとヒステリックを絵に描いたような夫婦。それが、虎丸の両親か。いや、まだ決まったわけではないが、年齢や雰囲気、会話からおそらくそうだろう。
そして、虎丸はそんな親をあてにせず、というか、アレじゃああてにできず一人でばあさんの面倒を見ている……。
改めて考えてもひどい親だ。それこそ小説の世界の話みたいな家族だ。
こいつは確か、まだ高校生だったはずだが……。
いや、別に同情なんかしてないけどな。俺には関係のないことだし。
それに、まだこいつは本性を見せていないのかもしれない。たまらなくなってばあさんに暴力を振るう可能性だってある。あの父親みたいに。
「お前も素晴らしい親に育ててもらったもんだな」
片付けをしている虎丸の背中にそう語りかける。
しかし、と俺は思う。
さっきから、どうも気になることがある。
あの、暴力オヤジを見てから記憶をカリカリと引っ掻かれているような気がしてならないのだ。
はっきりとは分からないのだが、「虎丸」という名前が強く想起されるのだ。
虎丸……虎丸……虎丸……
いや、もちろんそれは「虎丸健太」の印象が強いということもあるのだろう。
しかし、もっと未来、つまり、俺がタイムスリップする以前の世界、この横浜の地を離れた後に、全く関係のない場所で虎丸という名前を聞いたことがあるようなないような……
そんなことを考えていると、ふと視線を感じた。そちらの方を振り向くと、さっきまでテレビを見ていたばあさんがこちらを見ているではないか。
じぃー
と、効果音が聞こえてくるくらい、斜視がかかった目でこちらを見てくる。
「えっ……なんすか」
いや、なんすかじゃないだろ。何言ってんだ俺。俺は今誰にも見えていないんだぞ。会話なんてできるはずが……
じぃー
まさか、俺のことが見えてるのか?
すると、ばあさんが口を開いた。
「ところでさっきからそこにいるあなたは一体誰?」
と、そう確かに言ったのだ。そして、立ち上がってこちらに向かってくる。
は? ばあさんの顔が俺の眼前に迫ってくる。
俺がたじろいでいると、
「地獄から来たかぁ!」
ばあさんの弱々しい拳が俺の身体をすり抜けた。
「ひえー、地獄じゃあ。地獄のものがこんなところに。あんなところにも」
ばあさんは俺がいるところを中心に、手やら足やらをバタつかせたり、テーブルの上を、まるでそこに小さな虫が這っていてそれを潰すような仕草を見せたりした。
そして、やはり俺に迫ってくる。
「うぉわ」
思わず反射的に逃げる。ばあさんと俺は小さなテーブルの周りをぐるぐると回る。
やばいな。追いかけてくるばあさんがこんなに怖いとは。
っていうか、地獄地獄って、あの化物を思い出すからやめろよ。
すると、
「まぁた、始まったか」
虎丸が苦笑いを浮かべ、掃除している手を止めこちらに来た。
「こら、ばあちゃん。誰もいないよ」
そして、ばあさんをなだめ座らせた。ばあさんは人が変わったように黙った。
結局、ばあさんが俺のことを見えているのかどうかははっきりとしなかったが、虎丸の口調から察するに、地獄地獄言うのはいつものことでおそらく偶然なのだろう。
午後九時を過ぎたあたりで、ばあさんは飯も食わずに眠りについた。
そんなばあさんを見て、ふと思った。
俺は眠れるのだろうか。慣れないことが多過ぎて疲弊しているはずなのに、全然疲れない。眠気も襲ってこない。
目をつむる感覚はあるが、何もできないこの身体で、ずっと起きているのはそれはそれで辛い気がする。
一応、目をつむることは不思議なことにできる。
だが、こういうものは大抵一夜明ければ全部元どおりになるはずだ。
その期待だけを胸に、俺は部屋の壁に寄りかかり、目をつむった。そして、祈る。
頼むぞ。戻ってていてくれ……。
しかし、そう願う反面。
こいつが虎丸がどういう暮らしをしているのか、ほんの僅かではあるが気になっている自分がいた。
虎丸は、片付けやらなんやらを忙しそうに行なっていて、寝る気配はない。
そういえば、虎丸が作業をしながらこんなことを言っていた。
「何を怒ってんだろうな、あの人たちは」
虎丸が呟いた独り言は、狭い部屋にやけに響いた。
その乾いた声は、妙に俺の耳にまとわりついたのだ。
「どうせ、何もしないくせに」
結局その日、二人の親が帰ってくることはなかった。