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御所焼失ショックでおかしくなってしまいました。
じつは、Kさんが学問所にいる間に、あこがれの婚約破棄ものを書いてみたいと前々から思っていたのですが、そんなことをしたら名前を言ってはいけないあの人に絶対(物理的に)抹殺されそうなので、泣く泣くあきらめたという経緯がありまして……すいません、出来心なんです!
「どう? なにか思い出した?」
隣を歩く貴婦人がすさまじい勢いで振り返る。
「い、いえ、お母さま……」
その目力に圧倒され、全身が凍りつく。
「ちょっと、わかってる!? あなたの一生がかかってるのよ? 死ぬ気で思い出しなさいっ!!!」
恐怖のあまり、圧をかけてくる母親の姿が涙でぼやけてくる。
「そんなことおっしゃられても……無理なものは無理で……」
「泣くヒマがあったら、あの桜の花をよーく見るのよ! ほら、なにか思い出したでしょう!?」
「お母さま……あれはオージュの花。サクなんとかではありません」
門前でやり合う私たちの横を、今日の入学式に参列する貴族の馬車がひっきりなしに通っていく。
このロートリンゲ王立学園は、主に貴族子女の教育機関として設立された文法学校。
なので、ふつうは玄関の車寄せまで馬車に乗ったまま入るのだが、母はなぜか門の前で車を止め、私に馬車を降りるよう命じた。
ということで、五大侯爵家のひとつ・グリュスヴァイク侯爵家令嬢である私は、王家の紋章がほどこされた壮麗な門扉の横に立たされているのだ。
「ラノベで、前世の記憶を思い出すタイミングとしては、生後すぐか、二、三歳の頃、ないしは婚約相手との初顔合わせの時、そして学園入学の日――つまり、ゲームスタート時! あなたは今までそのすべてをムダにしたのだから、これが最後のチャンスなの!」
「……お母さま……」
母はときどきわけのわからないことを言って私を詰ってくる。
――『前世の記憶』という理解不能な妄想にとらわれるたびに。
母によると、なんでもここはおそらく『乙女げーむ』という『ばーちゃる空間』が現実化した世界で、私には『悪役令嬢』なる役柄が配されているにちがいないんだとか。
しかし、母はこの『げーむ』を『ぷれい』したことがなく、今後どのような『いべんと』が起き、私が最終的にどうなるのか知らないらしい。
「こんなことならゲームもやっておくべきだった! じつは一度やろうと思ってインストールしたことがあったんだけど、スタート直後、異世界に飛ばされたヒロインがベルサイユ宮殿の鏡の間みたいなところで、『気づいたら私は中世のお城のようなところにいた』とか言うんだよ!? ねぇ、ベルサイユ宮殿が中世って……あそこが建てられたのはたしか十七世紀末頃でしょ? それが中世!? いくら無料ゲームつーても、イベントやアイテム購入で課金もあるんだから、いちおう時代考証くらいするべきじゃない!? もうあれで完全に萎えて、速攻アンインストールしちゃったんだよね~」
世間では『淑女の中の淑女』『貴婦人の鑑』と称される母だが、前世の話をしはじめると徐々に言葉づかいが乱れてくる。
そして、母が言うには、自分も『悪役令嬢』的立ち位置だったが、自分には『らのべ』の知識があったから、なんとか『ばっどえんど』を回避できた。
でも、私の場合は母が『すとーりー』を変えてしまったから先行きは不透明、だから元の『しなりお』を思い出せばなんとか対処できるかもしれないというのだ。
そうはいっても……、
「ご期待くださっているところ大変申しわけないのですが、私はお母さまのおっしゃる『転生者』ではないと思います。ですから、いくら真冬に冷水をぶっかけて高熱を出させようと、庭木の上から突き落とそうと、満開のオージュの下を歩こうと、前世なるものを思い出すのは不可能で……」
「なにを弱気な! あなたには絶対前世の記憶があります! その証拠は――」
ただでさえキツイ顔をさらに引きしめ、母は門の奥をビシッと指さした。
「あれです!」
その白魚のような指が指し示す先には、こちらにすごい速さで接近してくるひとりの少年が。
「お嬢さまー!」
サラサラの黒髪をなびかせて駆け寄ってきた少年は、私の手から鞄を奪い、うやうやしく一礼した。
「お出迎えが遅れて、申しわけございません。生徒会の仕事で少々手間取りまして」
形のいい眉をヘニャっと下げ、今にも泣き出しそうな顔でわびる。
「気にしなくていいわ。私たちも今到着したところよ」
「うう、なんとお優しいことを……ヒルダお嬢さま! ぼくは一生あなたについて行きます!」
ほほを紅潮させて叫ぶのは私の従者兼護衛見習い。
「……証拠って、クラウスのことでしょうか、お母さま?」
「そうよ。あなたが拾ってきたあの糞尿まみれのボロ雑巾もどきが、こんな美少年だったのよ? これ、どうみても攻略対象でしょ? あなたは潜在能力でそれを察知したとしか考えられません。だから、あなたの脳細胞のどこかにはこのゲームの記憶があるはずなのよ!」
「……違……」
クラウスを拾ったのは、なにかを感じたからではなく、本当に仕方なく連れ帰っただけなのだ。
あれは七年前。
その日、我が家が支援している孤児院を慰問して帰る途中、馬車の前にフラフラと転び出てきた者がいた。
幸い寸でのところで停車したので蹄にかけることはなかったものの、汚いローブを着たその人物は馬車の前に横たわったままピクリとも動かなくなってしまった。
そうこうするうちに騒ぎを聞きつけた町衆が集まってきて、この状況からみなは浮浪者が馬車にはねられたのだとささやきはじめたのだ。
貴族の馬車には両側に大きく家紋が描かれているので、それが何家のものか一目でわかってしまう。
停車直後、御者が相手の状態を確認したので、こちらに過失責任がないのははっきりしているが、もしこのまま行き倒れて亡くなりでもしたら、きっと街では『グリュスヴァイク侯爵家の馬車が浮浪者を轢き殺した』と噂になるだろう。
(……さすがにそれはまずい)
そう思って、いやいやながら悪臭を放つ行き倒れを馬車に乗せて、家に連れて帰ったのだ。
だから、家に戻った後、使用人たちがブーブー文句をたれながら汚泥と吐瀉物・糞尿まみれの衣服を脱がせてきれいに洗いあげたら、中からガリガリに痩せてはいるものの、なかなかの美少年が出てきたのは全くの予想外だった。
さらに、その六、七歳の少年をまじまじと見つめる母の口から、
「え、まさか、これ、隠しキャラ?」というつぶやきがもれた時は、嫌な予感しかしなかった。