第86話:断崖の壁越え
クラウディアを助けた後、オレたちは更に戦地の中心地に向かう。
目的はクラウディアの父親バーモンド伯爵を助けることだ。
バーモンド城に迂回しながら進んでいく。
城から少し離れた小さな森に到着する。
「護衛長が言っていた隠し道は、ここだな」
迂回した目的は、バーモンド城への隠しルートを使うため。
先ほど助け出した伯爵夫人の護衛の騎士長から、ここを教えてもらっていたのだ。
「こんな所に城からの抜け道があるのね、オードル?」
「そうだな、エリザベス。城主用の脱出口だな」
多くの城には脱出用の隠しルートがある。
普段はカモフラージュされているために、見つかる可能性は低い。
「今のところ帝国兵はいないみたいね?」
「そうだな、だが油断はできないぞ」
クラウディアたちが乗った馬車が、ここを通った痕跡がある。
つまり、いつ帝国軍の斥候部隊が、ここに来ても不思議ではないのだ。
「よし、バーモンド城に向かうぞ」
周囲を確認してから、オレたち一行は出発する。
戦闘はオレが受け持ち、後方はエリザベスとフェン。
中段はリリィたち馬車組だ。
森の中に隠された脱出用の道を進んでいく。
ゆっくりと進んでいくので、隊列は短くして警戒だ。
「エリザベス、フェン。周囲の警戒を怠るな。既に帝国兵が潜んでいる可能性もある」
後方を任せている二人に注意を促す。
先頭を進んでいるオレも、常に最大級の警戒を欠かしていない。
「ねぇ、オードル。それにしても今回の帝国の先行部隊は変よね? 今までの連中とは何かが違うわよね?」
「そうだな。ここまで足の速くて手際の良い部隊は、今まで帝国にはいなかったはずだ」
エリザベスが疑問に思うのも無理はない。
今までの帝国の主力は重量騎士団。
今回のような兵速の先行部隊は見たことがないのだ。
「それにバーモンド城を包囲している本隊は、一騎当千の強者ぞろいらしい。油断は禁物だ」
「機動力があって、尚且つ猛者ぞろい……なかなか手強そうね」
エリザベスが警戒するのも無理はない。
戦において部隊の機動力は、かなりの重要性をもつ。
高い攻撃力と防御力をもつ部隊でも、横や後ろを取られてしまったら脆い。
今回の様に相手が準備する前に、一気に前線を突破することも可能。
オレが傭兵団長の時にも重視していた。
とにかく機動力のある敵部隊は危険なのだ。
「だが今回のオレたちの目的は救出作戦だ。無理をして帝国兵と戦うことはない」
「でも、もしも行く手を塞いできたら?」
「一応は退避勧告をして、排除する」
オレは非暴力な聖人ではない。
相手が襲いかかって排除する。一般市民に害を与える奴らも、許してはおけない。
「了解したわ。あとオードル、もしもバーモンド伯爵が、脱出を拒否したら、どうするの?」
「その時は“バーモンド伯爵の意思”を尊重する」
騎士や貴族は自分の市民を守る義務がある。
そのために彼らは日々、血反吐を履くような剣の鍛錬を積み、騎馬や弓などの武芸を磨いているのだ。
特に当主たるバーモンド伯爵は、妻と娘を先に逃がして今でも籠城して戦っている。
もしかしたらオレの退避に説得を、聞いてくれる可能性は低いかもしれない。
「まぁ、その時はクラウディアからの、この手紙を渡してやる」
先ほど別れ際に、クラウディアから手紙を預かっていた。
彼女の父親に宛てた直筆の手紙だ。
城を脱出する時は、急ぎ過ぎてろくに別れの挨拶も出来なかったという。
娘から父への想いの手紙なのだ。
「あの子からの手紙……出来ればちゃんと渡してあげたいわね」
「そうだな。親子の最後のメッセージになるかもしれないからな」
もちろんバーモンド伯爵を生かして逃すのが、今回オレたち第一の目標。
だが戦場では何が起きるか予想もできない。
常に最悪の事態を予想しながら、臨機応変に行動していく必要があるのだ。
(さて、どうなることか……)
いろんなケースの対策を立てながら、オレたちは秘密のルート進んでいくのであった。
◇
「ん? この先だな。一度停まるぞ」
秘密の脱出ルートの終わりが見えてきた。
まだバーモンド城は見えてこないが、もうすぐ近づいてきたのであろう。
馬車を停めて周囲を更に警戒する。
「ここから先は、またオレとエリザベスの二人で潜入する。リリィたちは待機。フェンは護衛だ」
これからの役割分担を皆に説明する。
オレとエリザベスがバーモンド城の中に潜入。
うまく伯爵を助け出したから、この馬車の地点まで連れてくる作戦だ。
《フェン、何かあったら本気を出していいぞ。手加減はするな》
《わかったワン!》
オレたちがいない間は、戦闘員はフェンだけになる。
もしも帝国兵に見つかったら、先制攻撃で殲滅させるしかない。
少し残酷かもしれないが、ここは戦場。
家族を守るために躊躇している場合はないのだ。
さて、準備は終わった。
そろそろバーモンド城に向かうとするか
「パパ、気を付けてね……」
別れ際にマリアが小さくつぶやく。
いつになく心配そうに、泣きそうな顔をしている。
「大丈夫だ、マリア。パパは強い。急いで帰ってくる」
「うん、待ってるね、パパ!」
いつものように力こぶを見せてやる。
今度は満面の笑みでマリアは見送ってくれる。
これでオレも千人力。
たとえ相手が誰であっても、今は負ける気がしない。
「さて、エリザベス。いくぞ」
「わかったわ!」
オレはエリザベスと、森の中のルートを駆けていく。
地形的に、この先は険しい岩山になっているはず。
越えていった先に、バーモンド城の裏側に到達できるだろう。
「ねぇ、オードル。戦の音が、随分と激しくなっていない?」
進行方向の遠くから、金属音と戦の声が聞こえてくる。
「そうだな。もしかしたら帝国兵が、城門を攻めているのかもしれないな」
バーモンド城の周囲には、市民の住む城下町が広がっている。
街の周囲は巨大な城壁で守られている。
護衛騎士長の話では、まだ城下町の城壁は突破されていない。
おそらく帝国兵が力押しで、城門を攻撃しているのであろう。
「それは心配ね。大丈夫かしら?」
「聞いた情報によると、相手には攻城兵器はない。城門なら、あと数日なら持つはずだ」
一度、守りに徹した城壁への攻めは、かなり時間がかかる。
特に工作部隊と攻城兵器がないと、堅牢な城壁を乗り越えるのは難しいのだ。
「それなら少しだけ、安心ね」
「だが油断はできない、先を急ぐぞ」
戦場では何が起こるか予想もできない。
オレたちは移動速度を更に上げて進んでいく。
そして垂直に近い絶壁に到達する。
「よし、この岩山だな。ここを越えたらバーモンド城へなはずだ」
「近道って……こんな断崖絶壁を……これを登っていくの⁉」
エリザベスが言葉を失うのも無理はない。
目の前を塞いでいるのはまさに岩の壁。
垂直に近い角度で、岩山が切り立っていたのだ。
「その分だけ、帝国兵が来る心配もない。さあ、お前の荷物を全部よこせ。持ってやる」
「ありがとう。でも、かなりの重さになるけど、大丈夫なの?」
「この程度の荷物は問題ない」
エリザベスの装備している武具を解除。代わりに持ってやる。
軽装になったエリザベスなら、この断崖程度なら登りきれるであろう。
「さぁ、登るぞ」
「わ、分かったよ! 置いていかないでよ!」
闘気術で身体能力を強化して、岩山を登っていく。
ロッククライミングの要領だ。
「なかなかの険しさだな、ここは。さて、ドンドンいくとするか」
今回は登攀用の器具も持ってきている。
傭兵時代の素手での城壁登りに比べたら、簡単な作業だ。
「ちょ、ちょっと、速すぎるわよ、オードルってば!」
泣き言を言いながらも、エリザベスは必死で付いていくる。
ほほう、なかなかの速度だな。
身の軽い分だけオレよりも楽かもしれないな。
これなら、もう少し登る速度を上げられそうだ。
オレたちは断崖絶壁を一気に登っていく。
「ふう……よし、頂上に着いたな」
岩山の頂きに到着した。
眼下に広がる断崖は、なかなかの絶景。
時間があればここで景色を眺めていたいくらいだ。
「オ、オ―ドル、速すぎよ……ぜぇぜぇ……」
少し間を空けてエリザベスも到着する。
かなり息を切らしているが、息を整えたら大丈夫であろう。
「エリザベスも登攀の筋は良かったぞ」
「わ、私は身軽だったからね……それより、その重量で、あの速度のオ―ドルが凄すぎるのよ……」
「まぁ、鍛え方の違いと、登り方だな」
傭兵時代の城攻めで、いつも敵軍の城壁を登っていた。
時には完全武装の傭兵仲間を背負いながら、城壁越えをしたこともある。
何事も経験。
だからオレは断崖の登攀も得意なのだ。
「完全武装で城壁越え……って、それも凄すぎよ。オ―ドルを敵に回した方は、同情したくなるわね……」
「オレの部隊は城攻めも得意だったからな。懐かしい思い出だ」
傭兵団長時代、部下たちを多くの砦と城を落とした。
部下たちも身軽な者が多く、攻城兵器が無くても城壁を突破できたのだ。
「さて、休息は終わりだ。そろそろ行けるか?」
「ありがとう。私も大丈夫よ!」
エリザベスも装備を付け直して準備万端。再出発の時間となる。
二人で岩山を駆け下っていく。
「地形的にこの岩山を下った先に、バーモンド城の裏手があるはずだ」
「そうみたいね。かなり戦の喧騒も近づいてきたわね」
バーモンド城の最上階の塔の上が、遠目に見えてきた。
断崖に少々手こずったが、ようやく目的地に到着するのだ。
「ん?」
その時であった。
オレは遠目にマズイ光景を目にする。
「ねぇ、オードル……あれって……」
「ああ、そうだな。城下町の城門が突破されている」
まさかの光景であった。
帝国兵が今さまに城門を突破。
城下町を無視して、そのままバーモンド城に進軍しているのだ。
「でも城門攻めが始まったのは、ついさっきだったわよね⁉ あんな堅牢な城門が、こんな短時間で破られたの⁉ 信じられないわ!」
エリザベスが声を荒げるのも無理はない。
城門攻めの激音が聞こえてから、時間的にそれほど経っていない。
それにも関わらず城下町の城門は、完璧に破られていたのだ。
それにここから見ても、やはり帝国軍に攻城兵器はない。
まるで奇術でも使ったように短時間で、帝国兵は一気に城門を破っていたのだ。
でも、いったいどうやって……。
「ん? あの軍旗は……」
その時である。
先ほど以上に衝撃的な“物”を発見。
目にしたのはバーモンド城に押し寄せる、帝国軍の掲げる旗だ。
「ね、ねぇ、オードル……あの軍旗って……」
同じモノを目にしたエリザベスは、足を止めて言葉を失う。
彼女も見覚えがある文様の旗なのだ。
「ああ、そうだ。あれは“オードル傭兵団”の旗だ」
「そ、そんな……」
まさかの事実。
バーモンド城を攻め落とそうしていたのは、かつての部下たち。
大陸でも最強と名高い“オードル傭兵団”だったのだ。




