第80話:戦火にさらされる地
華やかな舞踏会の最中、王都を揺るがす報告が入ってきた。
隣国の帝国軍が突如、大軍を招集して王国に侵攻してくるというのだ。
宮殿で行われていた舞踏会は、即座に中断。
国王をはじめとした貴族の当主は、王城に移動して対策会議を開催することになった。
公爵の一人娘エリザベスの婚約者である、ルーオド・イシュタルことオレも、舞踏会からの流れで、そのまま会議に同席することになった。
「まずは帝国軍の詳細を、改めて報告するのじゃ!」
会議の長たるルイ国王は、初っ端から興奮していた。
まさかの隣国かのら大侵攻に、平常心を失っているのであろう。
「はっ! では改めて報告いたします。国境警備隊の報告によると、先に帝国軍の先行部隊が、我が王国の領内に向かって侵攻してきているとこと」
近衛騎士が卓上の地図を示しながら説明していく。
貴族たちの視線が地図上に注目される。
「帝国内に潜ませていた工作員によると、帝国内の諸侯が相次いで兵を招集。王国に大部隊を派兵するとのことでした!」
この大陸では互いの国に、情報工作員を侵入させるのが常識。
遠距離通信用の高速の連絡鳥を使えば、今回のように短い時間で本国に報告できるのだ。
「敵軍の総数はどのくらいじゃ⁉」
「はっ、陛下。各工作員の報告をまとまめますと、敵軍の総数……約十万かと!」
「じゅ、十万じゃと⁉」
「ば、馬鹿な! 十万もの大軍だと⁉」
「今の我が軍の三倍以上ではないか⁉」
「なぜ帝国ごときが、それほどの大軍を招集できるのだ⁉」
敵数の報告を聞いて、会議室が一気にザワつく。
貴族たちが驚くのも無理はない。
この大陸の文化レベルでは、大国でも数万レベルの兵数の維持が限度。
十万などという膨大な大軍は、過去にどの大国も集められたことはないのだ。
(十万か……誇張もあるかもしれないが、あの皇帝と今の帝国なら十分現実的な数字だな)
会議を聞きながら、オレは頭の中で計算していた。
過去に帝国を訪れた時の国力の様子。
それに先ほどの舞踏会でのガラハッドからの情報。
ここ一年間で周囲の小国を併合して、強大な力を付けていたのであろう。
そう……宿敵である王国と決着をつけるために。
「皆の者、落ち着くのじゃ! 帝国軍が進軍してくるとあるが、今はまだ先方の少数部隊だけじゃ!」
「「「はっ!」」」
国王ルイは諸侯たちを静まらせる。
人間的には器の小さな男だが、ある程度の王としての力は持っているのだ。
(たしかに十万なんて大軍は、そう早く動員できるものではない。本隊が王国領土内に到達するまで、ある程度の時間はかかるであろう)
傭兵時代の経験から、更に頭の中で軽く計算する。
計算によると、帝国軍の本隊が本格的に侵攻してくる前に、王国軍もギリギリ数は揃えられるはず。
(だが先方隊は既に進軍してきているからな。国境を接している王国の諸侯の領土は、かなり被害が出るな)
王国の領地配置は次の様な感じだ。
まずは中央に王都があり、周囲は国王が収める直轄領。
その直轄領の更に周囲には、王国の貴族が収める貴族領地はあるのだ。
つまり帝国軍が最初に侵攻してくるのは、帝国と国境が近い王国の貴族。
彼らは自分の私兵で、帝国先兵軍と戦わないといけないのだ。
(ん?)
卓上の地図に視線を移して、オレはあることに気が付く。
「おい、帝国軍の先方隊が向かっている、ここはどこの貴族領地だ?」
「はい? 失礼ですが、貴方様は……?」
近衛騎士が不審がるのも仕方がない。
何しろ今のオレはダンス正装の衣装に、舞踏会の仮面を付けたまま。
どう見て怪しい男なのだ。
「その者はワシの可愛い姪っ子のエリザベスの婚約の、ルーオド・イシュタル殿じゃ!」
「あ、あの、エリザベス様の⁉ はっ、失礼いたしました! そちらの領地はバーモンド伯爵様の領地です!」
「やはり、そうか。バーモンド領か」
嫌な予感は当たっていた。
バーモンド伯爵はクラウディアの実家。
つまりマリアの大事な同級生の家が、帝国軍に蹂躙されようとしていたのだ。
運命とは何とも過酷なもの。
(ん? それにしてもおかしいな。なぜ帝国軍の先兵隊は、真っ先にバーモンド領を狙っているのだ?)
卓上の地図を見ながら、ふと疑問に思う。
何しろバーモンド領は王国でも辺境にある。
王都や他の領地とも地理条件が悪く、帝国にとって戦略的な価値が低い。
(それに、あそこを占領しても旨味のない土地だったはずだ)
バーモンド領を過去に訪れた時のことを思い出す。
鉱山や農産物の特産物も少なく、占領した旨味が少ない。
オレが帝国軍の総大将なら、違うルートで進軍していくであろう。
「誰か、最近のバーモンド領で、何か変わったことがあったか知らないか?」
会議がまとまらずザワつく諸侯たちに聞いてみる。
この場にバーモンド伯爵はいないで、近隣の貴族から情報を仕入れるしかない。
「バーモンド領ですか、ルーオド・イシュタル殿? そういえば……最近、バーモンド領の、この辺りの盆地で、変わった遺跡に発見されたと聞いていますが?」
バーモンド領の隣の領地の貴族が挙手。
地図を指差しながら情報を提供してくれた。
「遺跡だと?」
「はい。今までにない形の変わった遺跡だということで、ルーダ学園の専門家が調査隊を率いているはずです」
「ルーダ学園の専門家……だと? そうか、情報提供を感謝する」
まさかの情報に、思わず声を上げそうになった。
軽く深呼吸して平常心を整える。
(ルーダ学園の専門家か……間違いなくリッチモンドの奴が行っているな)
あの男は大陸でも屈指の古代遺跡の研究者。
しかも珍しい遺跡の調査が、三度の飯より好きな奴だ。
間違いなくバーモンド領に行っているのは旧友リッチモンドであろう。
(それにしても古代遺跡だと。もしかすると帝国軍がバーモンド領に真っ先に侵攻したのは、発見された古代遺跡が関係あるのか? それともただの偶然か?)
普通の古代遺跡には文献などの埋蔵品しか見つからない。戦略的な価値も皆無。
帝国軍がわざわざ軍を派遣する意味はないのだ。
この仮説は頭の隅に置いておく。
(とにかくクラウディアとリッチモンドが危ないな……)
二人とも非戦闘員とはいえ、戦場ではどんな扱いを受けるか想像もできない。
最悪の場合、戦の空気で興奮した一兵卒が暴走する場合もある。
つまり二人の命は危険にさらされているのだ。
「皆の者、落ち着くのじゃ! これは逆にチャンスであるぞ! 憎き帝国軍を一網打尽にするのだ!」
ルイ国王はザワツク諸侯を一喝する。
今はまだ開戦直前だと。会議室の諸侯に激を飛ばす。
「諸侯たちよ、各々の精鋭軍を招集して、帝国軍の本隊を返り討ちにするのじゃ!」
「「「おおー!」」」
こうして何の策も出されないまま、会議は解散となる。
各諸侯が自分の領地に急いでも戻り、私兵を招集してから、次回は作戦会議が開かれることとなった。
◇
オレとエリザベスは王城から、上級街にあるレイモンド公爵邸に移動した。
公爵の私室にオレ一人で呼ばれる。
護衛も執事もいない二人きりの室内。
レイモンド公は神妙な顔を、仮面の下のオレの目を見つめてきた。
「ルーオド殿……いえ、オードル殿とお呼びしても大丈夫ですか?」
「……エリザベスから聞いたのか?」
「はい。舞踏会の前に。戦鬼オードル殿のいきさつは簡単にお聞きしております」
やはりそうか。
どうりで今日は舞踏会の前から、レイモンド公の視線が違った訳だ。
おそらく舞踏会の婚約者の作戦の後、暴走したエリザベスは実父レイモンド公に話したのであろう。
「それなら仮面を外させてもらうぞ」
「おお……そのお顔は間違いなく戦鬼オードル殿」
レイモンド公とは直接的な面識はない。
だが傭兵団長時代のオレの顔を遠目に見ていたという。
「改めてエリザベスがお世話になっております、オードル殿」
「気にするな。それよりも話は今回の戦のことだろう?」
「はい。困ったことになりましたな……戦鬼と呼ばれたオードル殿の目から、今回の戦はどうなると思いますか?」
「今回の戦か? そうだな、十中八九で王国は大敗するな」
頭の中で戦の計算は終わっていた。
どんな戦術や奇策を用いても、王国に勝利する確率は皆無に近い。
兵力差以上に今の王国軍には、有能が指揮官と兵士が少なすぎるのだ。
それに比べて帝国は絶対的なカリスマ性の皇帝をはじめ、多くの有能な将軍たちがいる。
屈強な帝国軍十万に対して、弱体化した王国軍三万では歯も立たないだろう。
「やはり、そうですか。そうなると敗戦後の我が王国は、どうなると思いますか?」
「敗戦後だと? あの皇帝の性格だと、王国民の皆殺しや、残虐な行為はないだろう。戦の定石とおり、負けた国は領地の大部分を帝国に吸収される。あと有能が貴族や兵や帝国に登用されるはずだ」
帝国の皇帝は武を好む覇者だが、愚王ではない。
有能な人材は積極的に部下に用いて、ここまで帝国領を大きくしてきた。
「なるほど、やはりそうなりますか。ですが王家の血筋を引く者は……」
「そうだ。国王と一族は処刑だ」
大陸の戦では滅ぼされた国の当主と一族の命はない。
この王国でいえばルイ国王と妻の王妃。
あとレイモンド公爵たち国王血縁者たち全てが、処刑になるであろう。
「オードル殿、一つ“お願い”を聞いてもらってもいいですかな?」
「一応、話は聞いておこう」
「ありがとうございます。エリザベスを……我が娘を、貴殿の故郷に連れていって下さいませ」
「エリザベスを? チャールズは構わないのか?」
まさか懇願であった。
人の親ともなれば自分の子は可愛いもの。だが一人娘だけとは意外な依頼だった。
「はい……チャールズは王族男子。敗戦後に行方が分からないとなれば、捜索隊が出てしまうであろう」
「たしかにそうだな」
王族男子は、亡国と最期を共にするのが常。
もしもルイ国王の養子となったチャールズの姿が見つからないとなれば、帝国軍は執拗に残党狩りを続けていくであろう。
「ですからエリザベスだけでも、生き延びて欲しいのです……」
一方、エリザベスは令嬢。
姿をくらましたとして、それほど大きな騒ぎにはならないであろう。
それに今まで彼女は王国軍の要職に着いた経歴もなく、ここ一年は姿すらくらましていた。
オレの故郷に逃亡しても問題はないだろう。
「その件は考えておく。レイモンド公はこれからどうするのだ?」
「私は弟の身なれど、王族として生まれた男子……帝国軍に最後まで足掻いてみせます」
「そうか。良い覚悟だ」
「戦鬼と誉れ高いオードル殿に、そこまで褒めていただければ幸い。では、オードル殿はそろそろ自分の家に戻りください」
「そうだな、一度戻らせてもらう」
帝国軍の侵攻の噂は、既に王都市民にも伝わっている。
まだ大きな混乱はないが、至る所で大騒ぎになっているだろう。
家に留守番をしてもらっているマリアたちが心配だ。
(帝国軍の侵攻か……)
こうして窮地に追い込まれた王都の中、オレはエリザベスと王都の家に戻るのであった。