第71話:剣聖の罠
女鍛冶師ヘパリスの工房を訪れた帰り道。
下級街の薄暗い裏路地で、オレとエリザベスを待ち伏せしていた者がいた。
「待ち伏せか。相変わらず、気配を消すのが上手いな、ガラハッド?」
相手は剣聖ガラハッド。
大陸でも五本の指に入る剣豪である。
「かなり頑張って隠れていたつもりですが、さすがですね、オードルさん」
悪気の無い顔でガラハッドは姿を現す。
「その口で、よく言う。オレに見つかるように、ワザと待ち伏せしていたのだろう?」
ガラハッドは変わった男だ。
完璧な隠密をしながらも、オレだけに分かるように気配を放っていた。
隠密を得意としながらも、あえて正体を明かしてきたのだ。
「ガラハッド卿……だと⁉」
エリザベスが声を震わせながら、剣先を相手に向ける。
何しろこの剣聖は数ヶ月前、オレと剣を交えていた。
「おや? その剣の構えは……あなたはレイモンド家の、エリザベス姫殿下では?」
エリザベスに殺気をぶつけられても、ガラハッドは飄々(ひょうひょう)としていた。
一方で剣聖を目の前にして、エリザベスは言葉を発せずにいる。
「たしかエリザベスさんは1年前から、公爵領地に隠遁した、と聞いていましたが?」
公爵令嬢エリザベスは1年前、オレを追って家出していた。
そのことは王国内でも極秘事項。
王位継承権もあるエリザベスが、目の前で庶民の恰好をしている。
ガラハッドが不思議がるのも無理はない。
「それにエリザベスさん、あなた……かなり腕を上げていますね? 前に見た時は、隙だらけの構えでしたが」
以前とは違うエリザベスの剣圧を受けて、ガラハッドは口元に笑みを浮べる。
オレの指導のもと、急激に成長しているエリザベスの実力を、ひと目見ただけで測ったのだ。
「この短期間で一体どういう鍛錬を? まあ、それでも、“私たち”の間に立つ実力には、もう少しですね。お下がりください、エリザベスさん!」
「くっ……」
ガラハッドは最後だけ言葉を強める。
威圧的な声だけで、エリザベスは退いてしまう。
この一年間で腕を大きく上げていても、エリザベスは“王国”で五本の指に入れるかどうかの実力。
“大陸”でも5本の指に確実に入る“剣聖”との間には、見えない大きな実力差の壁あるのだ。
「大丈夫だ、エリザベス。下がっていろ」
「でも、オードル……」
「ガラハッドは戦いに来た訳ではない。ここはオレに任せておけ」
「わかったわ……」
武器を持っていないオレのことを、エリザベスなりに守ってくれたのであろう。
だが今日のガラハッドからは殺気を感じられない。
この男は狂気の側面もあるが、律儀な性格もしている。
恐らく街角でいきなり斬りかかってはこない。
「さて、ガラハッド。ここで待ち伏せして、いったい何の用件だ?」
この剣聖は何か用件で待ち伏せしていたのであろう。本題を進めていく。
「特に用事はありません。ここは私の通り道なのです、オードルさん」
「通り道だと?」
ここは王都の下級街。
上級騎士であり貴族の身分でもあるガラハッドが、普段から通り抜ける場所ではない。
「はい、そうです。先日の砦で剣を交えて以降、この先に引っ越したのです」
「引っ越しだと……オレを待ち伏せするためか?」
「はい、ご名答です! オードルさんが王都に来たら、必ず愛剣の所在の確認にくると思っていました!」
まさかの正解だった。
ルーダ近郊の砦で、この剣聖とやりあったのは三ヶ月も前のこと。
驚いたことに、ガラハッドは下級街にわざわざ引っ越しいたのだ。
王都にいつか来るかもしれないオレを、ここで待ち伏せするために。
とにかく、たいした奴だ。
ここまでくると執念を通り越して、別のエネルギで動いているのであろう。
恐ろしいまでの執着心だ。
とにかく愛剣の確認のために、ヘパリス工房に来るのを読んでいたのは見事だ。
オレとしても、もう少し慎重に動いていかなければいけないな。
「ご存知かと思いますが、オードルさんの愛剣は、今は王城にあります。もちろん、これから取り返しに行きますよね?」
ガラハッドは不敵な笑みを浮べる。
なるほど、これがコイツの狙いか。
何しろガラハッドは王城を守る近衛騎士団長。
城に忍び込んだとなると、オレを迎え撃つ理由が出来る。
つまりガラハッドの策に、オレがはまった状況になるのだ。
「いや、愛剣は別にいらない」
だがオレは罠にはハマらない。
「なんですと⁉ あなたの愛剣は、この大陸に二つとないもの! なぜですか⁉」
肩すかしをくらい、ガラハッドは声を上げる。
まさか希少な愛剣を手放すとは、予想もしていなかったのであろう。
「そんなに驚くことではない。今のオレは普通の田舎暮らしだ。剣など必要ない。それよりも今は娘用の果物ナイフを依頼してきたところだ」
「果物ナイフ……ですと⁉」
「邪魔するな」
ガラハッドは強者にしか興味をもたない性格。
こうして念を押しておけば、ヘパリス工房には二度と近づかないであろう。
「なるほどです……了解いたしました。まったく先がまるで読めない方ですね、オードルさんは。まあ、だからこそ斬りたい方なのですが」
何が面白いのであろうか。ガラハッドは再び不敵な笑みを浮べる。
ここで最初に会った時よりも、さらに嬉しそうにしていた。
「それではオードルさん。また、会いましょう。次は必ずあなたに愛剣を握らせる策を考えてきます」
「ご苦労なことだ。楽しみしている」
そう言い残してガラハッドは立ち去ろうとする。
この男のことだ。また謎な行動をしてくるのであろう。
変な男だが、武人としては嫌いではない。挑まれたなら、また全力で返り討ちにするまでだ。
「いいの、オードル。ガラハッド卿を逃して? ダジル商店のことも、バレてしまうかもしれないわよ?」
立ち去る剣聖を睨み付けながら、エリザベスが進言してきた。
その気になればガラハッドは、今のオレ一家の住まいも探し当ててしまう。
そうなると非力なマリアやリリィたち危険。
オレに本気を出させるために、家族を人質にする危険性を、エリザベスは案じていたのだ。
「あの男には謎の美学がある。心配はない」
砦で剣を交えて実感したことがある。
狂気の剣を持ちながらもガラハッドは正々堂々とした側面があった。
オレの家族を傷つけることは絶対にないであろう。
あの男の目的は、あくまでもオレ一人。
万全の体勢な戦鬼オードルと戦うことを、何よりも待ち望んでいるのだ。
「あの男はオレと少し似たところもある。だから分かる」
戦鬼だった頃のオレには戦うことしかなかった。
だからガラハッドの美学には共感もできる。
まあ、だからといって仲良く出来る相手ではない。
何しろ恐ろしいほどまでにしつこく、引っ越ししてまで待ち伏せして、追ってくる相手だから。
「そういう部分でガラハッドは、エリザベスにも似ているかもしれない」
「わ、私と⁉」
「ああ。オレの故郷の村を探し当てたのは、今のところエリザベスだけだからな」
完全に消したはずの痕跡を、エリザベスは1ヶ月以上もかけて追跡してきた。
王都から近隣の村へ。それから多く敵国の帝都まで潜入。
最終的には辺境のあの村までたどり着いた。
執念深さだけでいったら、ガラハッドと同等。
いや、それ以上だろう。
「い、いや私の場合は……ということは、ガラハッド卿もオードルに好意を⁉」
エリザベスは何やら一人で叫んで混乱していた。
この顔は、きっとよからぬ妄想でしているのであろう。
最近は大人しくなったが、エリザベスが変わった性格なのは、相変わらずだ。
そっとしておいてやろう。
「あっ……そういえば、エリザベス姫殿下」
立ち去ろうとしていたガラハッドが、遠目に振り返ってきた。
特に危険はない雰囲気。
エリザベスに何か用事があるのであろう。
「な、なんだ、ガラハッド卿?」
混乱していたエリザベスは、真面目な顔に戻る。
油断しないようにガラハッドに視線を向ける。
「そういえばレイモンド家のご子息……チャールズ殿下に、何やらよからぬ影が近づいていました」
チャールズはたしかエリザベスの実の弟の名。
年が離れていて、まだ9歳くらいだったはず。
「ばかな、チャールズに⁉ 何が起きたというのだ⁉」
家出をするくらいのエリザベスは、家族に特に執着はしていない。
だが唯一心配していたのは、たった一人の弟の身。
そんなに可愛い弟の名前が急にでてきて、エリザベスは気が気ではない。
「私は関与していなので、分かりません。でも心配なら、一度戻ることをオススメします。それも、手遅れにならないよう、なるべく早めに。では、改めて失礼いたします、オードルさん」
エリザベスの反応を確認して、ガラハッドは笑みを浮かべていた。
別れの言葉を残して、今度こそ本当に去っていく。
「チャールズが……そんな……」
エリザベスは真っ青な顔をしていた。
マイペースな彼女が、ここまで表情がするのは初めてみる。
よほど弟のことが心配なのであろう。
(まったくガラハッドのやつめ。こんな隠し球を最後に放ってくるとはな……)
先ほどの剣聖の表情から、これは第二の罠であろう。
エリザベスを助けるために、動くであろうオレ用の。
(やれやれ……仕方がないな)
こうしてオレはエリザベスのために行動を起こすのであった。
 




