第54話:卒業の儀
卒業の儀の朝がやってきた。
「よし、学園にいくぞ」
オレの号令と共に、一家総出で家を出発する。
オレとマリアを先頭にして、エリザベスとリリィ、フェンが後に続いていく。
「この道を歩くのも、今日で最後だね、パパ……」
学園までの通学路を歩きながら、マリアは感慨にふけていた。
一年間、毎日のように通っていた坂道。見慣れた街の風景を見て、少しだけ寂しくなっていたのだ。
「卒業するのが寂しいか、マリア?」
「うん……でも、大丈夫だよ、パパ!」
マリアは一瞬だけ下を向く。
だがすぐに、いつもの笑顔で答えてきた。
常に前向きなのはマリアの長所。また元気よく、学園に向かって歩き出す。
本当に元気な後ろ姿だ。
「ところでオードル。今日は私たちも参加してもいいのか?」
一緒についてきているエリザベスに聞かれる。卒業の儀に家族総出で出席してもいいのか
?と。
何しろ入学の儀の時は、オレしか参観していなかったのだ。
「卒業の儀の方は大丈夫だ。マリアの姉であるお前たちも、妹の晴れ姿を見て見たいだろう?」
「ええ、もちろん!」
「私もマリア様のお姿、今から楽しみです」
『ワン!』
エリザベスに続いて、リリィとフェンも嬉しそうに答える。
大事な妹であるマリアの晴れ姿に、誰もが期待を寄せているのだ。
「相変わらず元気だな。さあ、遅刻しないように急ぐぞ、お前たち」
こうして最後の通学路を家族4人と1匹で、オレたち元気に駆けていくのであった。
◇
学園に到着する。
卒業の儀が行われる礼拝堂に、皆で入っていく。
他の生徒と保護者も、すでに到着して席についていた。
まだ開会の前ということもあり、礼拝堂の中は話声でザワザワしている。
「オレたちは、後ろの席だ」
卒業の儀は生徒が前方の着席。オレたち保護者は後ろの席になる。
あくまでも主役は生徒なのだ。
「ん? マリア、緊張しているのか?」
席に向かう前のマリアの顔に、緊張の色が浮かんでいた。今までになく、マリアにしては珍しいことだ。
「うん、パパ。あいさつが、ちょっとだけ……」
今日の儀の最後に、卒業生代表の挨拶がある。優秀な成績を収めたマリアは、入学の時に引き続き挨拶をするのだ。
最後の別れの言葉について、何を言えばいいのか。マリアはまだ悩んで緊張しているであろう。
「そうか、マリア。それならいい“おまじない”を教えてやる」
「おまじな……?」
そんな娘を放っておく訳にいかない。父親としての小さな手助け。
「ああ、そうだ。自分の手に指で、×の記号を三回描いてみろ」
「×のマークを三回? うん、わかった」
首を傾げながらマリアは、指で記号を描いていく。
「できたら、その手を、こうやって飲み込んでみろ」
「こう? ごくり……」
「ああ、そうだ。それで今までの緊張が、マリアのお腹の中に消えていっただろ?」
「えっ? あっ、本当だね! どうして⁉」
半信半疑で行ったマリアの顔が、パッと明るくなる。
不思議そうに自分の手を、もう一度見直していた。
「さあな。オレも分からない。理屈や理由はないけど効果がある。だから“おまじな”なんだろうな」
「そうなんだ……面白ね、パパ!」
先ほどまでとは別人のように、マリアは明るい顔になっていた。今までの自信を取り戻していたのだ。
この分なら卒業の儀の挨拶は大丈夫であろう。
「ああ、そうだな。じゃあ、マリアの挨拶を楽しみ聞いているぞ」
「うん、わかった、パパ!」
自信に満ちた笑顔で、マリアは礼拝堂の待機部屋へと向かっていく。オレも後ろの保護者席につく。
「それでは、そろそろ、卒業の儀を始めます。保護者の皆さまは、席にお着き下さい……」
そんな時。
司会の教師の声が、礼拝堂に響き渡る。
いよいよ卒業の儀が始まるのだ。
「では皆さま、お待たせしました。それでは、これよりルーダ学園の今期の卒業の儀を開会いたします。まずは“卒業生入場”です!」
司会の言葉と共に、礼拝堂のパイプオルガンが演奏される。明るい未来に送る勇壮な音楽だ。
そして音楽に合わせて礼拝堂の後ろから、卒業生が入場してくる。
先頭を進むのは一番身長が小さい生徒……マリアであった。
年齢は一番幼く、身長は一番小さい。
だがマリアは誰よりも立派な入場な姿だ。
(マリア……)
保護者席から見ていたオレは、胸の奥がジーンとしてきた。
同時に目頭の奥が熱くなる。
だが、ここで涙を流す訳にはいかない。
父親として最後まで見守る責務があるのだ。
◇
そして、ここから先は戦いの連続。涙を止める死闘がスタートした。
卒業証書の授与式でも、マリアは立派な姿を見せてくれる。
毅然とした姿勢で賞状を受け取り、立派にお辞儀をしていた。
またその後の卒業生の感謝の讃美歌でも、マリアの歌声が一番胸に突き刺さってくる。
ここ何ヶ月、マリアが家で歌の練習をしていた光景。思い出されて、更に感動が込み上げてきた。
その後の学園長からの贈る言葉も、また感慨深いものがある。
本当にこの学園に入学して良かったと、負わせる感動の言葉であった。
そして、卒業の儀の最後が近づいてきた。
卒業生の代表による、感謝の言葉の時間となったのだ。
「卒業生代表、マリアさん」
「はい!」
司会に呼ばれて、マリアは礼拝堂の前方に登壇する。
卒業生と保護者全員に、凛々しい姿で視線を向けてきた。
深く深呼吸してから、マリアは口を開く。
「私がこの学園に入学したのは、今からちょうど一年前です……」
マリアの挨拶が始まった。
一年前はまだ舌足らずな部分があった。そんな挨拶が本当に立派になっている。
「最初はきんちょうと驚きの連続でした。でも、クラスではステキなお友だちに出会えて、本当に楽しい毎日でした……」
マリアは本当にこの一年間、頑張ってきた。
身分階級の差別にへこたれずに、全力で毎日を送っていた。
誰よりも積極的に、クラスメイトに接していいた。
「この学園で勉強できたことは、本当にほこりです。この一年間、支えてくれたお父さんとお姉ちゃんたち、家族みんなには本当に感謝しています……」
本当に立派な挨拶であった。
だがそれ以降のマリアの挨拶を、オレは聞くことは出来なかった。
何故ならついに、溢れ出してしまったのだ。
目頭の奥で止めていた熱が、大粒の涙となって溢れてきたのである。
「うっ、うっ……マリア……立派になっ……」
「マリア様……」
涙を流していたのはオレだけはなかった。
隣の席にいたエリザベスとリリィも、声を殺して号泣していた。
そしてオレたち家族だけではなかった。
他の保護者達も大粒の涙を流している。
マリアの挨拶を聞きながら、自分たちの子どもに姿を重ねていたのだ。
「これからも、もっと沢山勉強していきたいと思います。卒業生代表……マリア!」
マリアの締めの言葉と共に、卒業の儀は幕を閉じた。
こうして1年に渡るマリアの学園生活は、無事にゴールを迎えたのであった。
◇
感動の卒業の儀から、少し時間が経つ。
学園生活の全てが終了。
生徒たちが礼拝堂の前で、別れを惜しんでいた。
「マリアさん……素敵な挨拶でしたわ。よかったら、これからも私たちとお友だちでいてください」
「ありがとう、クラウディアちゃん! もちろん、これからもずっと友だちでいようね!」
マリアもクラスメイトたちと別れを惜しんでいた。
小さな腕でハグし合いながら、別れの辛さに涙を流している。
そして学生生活の楽しい話をしながら、笑顔で笑ってもいた。
未来ある豊かな感情。そんな光景は側で見ているオレの目にも、眩しく映っていた。
出会いがあれば、別れの時は必ずやってくる。
だが、別れの辛さに怯えていては、人は前に進んで成長はできない。
マリアたち生徒は、卒業という大きな別れに涙をしている。
だが同時に未来に向かっても、笑顔で前進しようとしていた。
そんな光景は大人になっているオレたちに、何か大事なことを教えてくれるのだ。
卒業という期限が決まっているからこそ、学生生活は輝いているのかもしれない。
「オードル、お疲れ様」
そんな感慨にふけている時、声をかけてきた男がいた。
「リッチモンドか……お前もな」
旧友であり副学園長であるリッチモンドだった。
この男も今日の卒業の儀のために、陰ながら頑張っていたのだ。
「ところでオードルたちは、今後はどうするんだ?」
「今後だと?」
卒業の儀の後のスケジュールを、リッチモンドから尋ねられる。オードル一家の今後の予定について。
「そうだな、後片付けが終わった後は、故郷に戻る予定だ」
このルーダの街には、マリアの学園生活のために越してきた。
卒業してしまったら、滞在している理由はない。
荷物をまとめて、オレの故郷の村に引っ越す予定だった。
「そうか……それは寂しくなるな。オードルらしい決断だけと」
「ああ。機会があれば、また飲もう」
村からルーダの街までは、結構な距離がある。
だがオレが単身で本気駆けたなら、それほど日数はかからない。
旧友であるリッチモンドとは、またいつでも再会できるであろう。
「ああ、そうだね。ところで、今住んでいる、あの屋敷はどうするんだい?」
「あの家か? 売り払うか、他人に貸すか……明日にまで考えておく」
一年前に引っ越してきた時に、郊外の屋敷を即金で購入していた。
今後は住む予定はないが、あの家にも愛着が湧いている。
庭をみんなで一緒に整えたり、家の中をリフォームしたりと、想いだが詰まった場所なのだ。
知らない他人に売るのは、少しばかり寂しい気もする。
「それならボクに貸してくれないか、オードル?」
「お前に……だと?」
「ああ。ちょうど自宅の書庫が一杯で、新しい別邸を探していたんだ! オードルの家を貸してくれるなら、あの倉庫がちょうどいいんだ!」
リッチモンドはこう見えて、ルーダの街でも資産家である。自宅の屋敷も結構な広さがあったはず。
だが研究熱心すぎて、その所有している書物の量は凄まじい。そこでオレの屋敷の倉庫に目をつけていたのであろう。
「ああ、お前なら大歓迎だ。いいぞ、リッチモンド」
「本当かい! 助かるよ、オードル! あと住居の方は使わないから、掃除と点検だけは、うちの者にやらせておくから!」
「それは助かる」
有りがたい提案だった。
リッチモンドが使うのは、屋敷の倉庫だけ。
オレたちが実際に暮らしていた建物は、そのまま保存と整美をしておいてくれるのだ。
これなら、何かあった時に、いつでもルーダの街に遊びに来られる。
まさに両者が得するウィンウィンな賃貸契約だ。
「明日から早速引っ越しの準備だろう? ボクも手伝いに行くよ。あと、賃貸契約の書類の方も作っておこう」
「ああ、期待しているぞ」
非力なリッチモンドに力仕事は任せられないが、書類関係ならこの男以上の者はいない。
オレも安心して引っ越し作業に専念できる。
「あっ、パパ!」
そんな時、マリアがトコトコとやってきた。
いったいどうしたのであろうか?
「マリアのお友だちも、引っ越しのお手伝いしたいって? 大丈夫かな?」
クラウディアたちクラスメイトも、オレとリッチモンドの話を聞いていたのであろう。
『マリアとの別れを惜しむ時間の引き延ばし作戦』子どもならでは可愛い知恵だ。
「ああ、いいぞ」
「やったー! みんなに教えてくるね!」
子どもの腕力など高が知れている。
だがマリアが少しでも長くクラスメイトを会えるのなら、それに越したことはない。
(さて、明日からの引っ越し作業も、賑やかになりそうだな……)
我が家の引っ越し作業は、予定上の大人数で行うことになった。
おしゃべりばかりが多くなりそうな、賑やかな光景が目に浮かぶ。
まあ、力仕事はオレ一人で全て解決できるので問題はない。
さあ。明日から頑張るとするか。
◇
こうして賑やかに引っ越し作業が、数日にわたって続く。
皆の頑張りの甲斐もあって、荷物の梱包や処分など、予想以上に順調に進んでいく。
リッチモンドとの賃貸の契約も完了。
リリィも働いていたパン屋での、最後の仕事も終える。
オレも学園での仕事は一気に終わらせておいた。
「さて、いよいよか……」
こうしてオレたち一家が、ルーダの街を離れる朝がやってきたのだ。
 




