第50話:潜入
週が明けて数日が経つ。
今日の我が家は、いつものように穏やかであった。
マリアは朝から笑顔で勉学に励む。オレも清掃員の仕事をこなす。
リリィもパン屋で仕事を。フェンも護衛の仕事に精を出していた。
エリザベスが自由人なのも相変わらず。
夕方には全員が帰宅して、夕食の卓を囲む。
本当にいつもの何気ない日常。
だが、その日の夕方すぎ。
オレは一人、家を出発する。家の皆には『また旧友と飲む』と言っていた。
家にはエリザベスとフェンがいるから、警備も万全で問題はない。
◇
それから少しの時間が経つ。
「さて、着いたか……」
オレは街から離れた、薄暗い街道沿いにいた。旧友との飲み会は嘘の話だったのだ。
「さて、あの砦か……」
やって来たのはルーダ近郊にある砦。あまり近づき過ぎないように、遠目に目視する。
「あの集団の中に、国王がいるのか」
ここにやって来た目的は、国王に直訴するため。ルーダ学園に対する特別課税を止めてもらうためだ。
「さて、ここまでは予定通りだな」
今回、国王は近衛騎士団を率いて、ルーダの街に向かってきた。予測通り、街の手前の砦で、夜を明かしている。
明日の午前中には、騎士団と共にルーダの街に入るであろう。
街に入ってからの説得は、色々と面倒になる。そのため国王の動きを先読みして、オレは今宵を実行日に決めたのだ。
「それにしても、随分と大掛かりな部隊で来たものだな」
遠目に砦を観察しながら、ため息をつく。
砦に滞在しているのは、予想以上の大部隊であった。騎士と従者など合わせて千人以上はいる。
大よその兵士数は、かがり火や気配で読める。とても自国内の街の視察にきた規模ではない。
「ルーダ学園に対する威圧が、目的なのだろうな。あの国王が考えそうなことだ」
大部隊でルーダ学園に視察に来られる。それだけでリッチモンドたち経営陣は圧を受けるであろう。
ここで国王を“説得”しておかないと、ルーダ学園は陥落するのは目に見えている。
「さて、そろそろ潜入するか……」
こうして千人以上の部隊が滞在する砦に、オレは単身で潜入していくのであった。
◇
(よし。久しぶりの潜入工作だが、上手くいったな……)
オレは無事に砦の敷地内に潜入していた。
闘気術で肉体を強化して、砦の壁を越えてきた。隠密術で気配を消していたので、気がつかれることはない。
武器は持ってきていないので、金属音を鳴らしてしまう心配もない。
鎧は一応、鉄大蛇の鱗鎧を着込んできた。上から黒いマントを羽織っているので、暗闇での隠密性は優れている。
また、いつもの村の仮面で目元も隠している。見られただけでは正体はバレないであろう。
(さて、ここから先は慎重に移動しないとな……)
砦の中庭の死角に身を隠しながら、周囲を確認する。
砦内は多くの騎士と兵士がいた。今は夕食の後であろう。酒盛りをしながら雑談している者が多い。
(酒盛りとは気が緩んでいるな……だが、今回の任務では仕方がないのかもな)
ルーダの街は王国の領土でも、内部に位置する。敵国との戦闘の可能性はない。
そのため王都から連中も、ここまで気が緩んでいるのであろう。
(オレとしては有りがたい……さて、行くとするか……)
最前線の砦は常に警戒態勢が敷かれている。それに比べたら、ここの砦は楽な雰囲気。
オレは気配を消しつつ、砦の奥へと移動していく。
(だが、近衛騎士団の連中は、要注意だな)
騎士の中には闘気術の使い手も多い。そのレベルは千差万別。だが近衛騎士団は王国の中でも腕利き揃い。
油断はしないようにオレは完全に気配を消していく。
砦の中庭から、建物の方へ到着する。
(それにしても、王国の騎士と兵士のレベルは下がっているのか?)
それは観察しながら気がついたことだった。オレが王国に在籍していた時よりも、兵士の質が明らかに低下していたのだ。
前と同じレベルであったなら、オレもここまで簡単には潜入できなかった。
(オレが抜けた後に、王国の内部で何かが起きていたのか?)
砦の部隊の質から、王国内の問題について推測する。
国にとって一番大事なのは、在籍している人の質。特に兵士の質は重要。
ここまで低下しているのは、今までも見たことがなかった。
(このままでいけば王国は、あと数年も持たないかもしれないな……)
王国の隣国には強国が多い。帝国や共和国を初めとして、大陸は群雄割拠の状況なのだ。
人の質が低下した王国では、それらの強敵を押し返せるとは思えないのだ。
(まあ、今のオレには関係ない話だったな。さて、いよいよ砦の中に潜入するか……)
中庭の警備は難なく突破できた。ここから先は気を引き締めていく。
今のところいたのは従者や兵士などの下級兵。
だが、建物の中から強者の気配が、何人も感じられる。
(近衛騎士団の連中か……やるな。ここから先は“無”になって移動しないとな……)
隠密術を極めた先に“無”となる技がある。傭兵時代にオレもある程度まで習得していた。
(さて、そろそろ本気を出していかないとな……)
久しぶりの本気の隠密術の発動。オレは思わず笑みを浮べる。
最近は田舎暮らしと街暮らしで、こうした緊張感から離れていた。
だがオレは緊張感のある現場は嫌いではない。
立ち向かうのが困難な壁ほど。男として心が踊るのであった。
(よし……いくぞ)
こうしてオレは砦内の最深部へと潜入していくのであった。
◇
それから少し時間が経つ。
潜入は順調に進んでいた。近衛騎士に見つかることなく、オレは砦の内部を攻略していた。
砦の中の通路の死角を、気配を消して移動。時には外の壁をよじ登ってショートカット。
警備の近衛騎士は金属鎧の完全武装。そのためうるさい音でオレは探知しやすいのだ。
多少の苦労はあったが、オレは砦攻略の最終段階へと手を付けていた。
(さて、国王はこの先の奥の部屋だな?)
オレがたどり着いたのは、ひと気のない砦の屋上。
正面入り口から大きく離れているために、警備の者は少ない。普通の者は潜入できないルートなので、近衛騎士も手薄。
先ほどまで警備していた三人の兵も、今はオレの足元で気絶してもらっていた。
「ふう……さて、ここから先は声を出してもいいだろう」
久しぶりに発声する。
周囲には人の気配は皆無。今宵の強い風向き的に、少しくらいの声は出しても大丈夫であろう。
どちらにしても、この先にいる国王を説得するには、オレが声を出す必要があるからな。
「さっさと終わらせて帰るとするか」
ここまで来たら障害は残っていない。
あとは国王の部屋に侵入。誠意をもって説得。それで片がつくであろう。
誰一人、血を流すことなく、無事に学園は救われそうだ。
「……という訳にいかなそうだな。そろそろ、出てきたらどうだ?」
屋上の暗闇に向かってオレは話かける。
誰もいないはずの空間。
「……いつから気がついていましたか? 完璧に気配は消していたはずですが?」
だが暗闇の奥から声が返ってくる。誰もいなかった空間に、男が気配を消して潜んでいたのだ。
(やはり、いたかガラハッド……)
待ち伏せをしていたのは鋭い眼光の剣士。
大陸でも屈指の剣の腕をもつ“剣聖”ガラハッドであった。
 




