第46話:競技大会
晴天の空の下、マリアたち生徒は整列していた。
「それでは、これよりルーダ学園の競技大会を開会します!」
学園長の宣言が、闘技場内に響き渡る。
年に一度の競技大会……通称“運動会”が開幕したのだ。
「では、始めは技能走です。初等部の生徒は、スタートラインに集合してください」
続いて司会者のアナウンスが響く。闘技場の中は、声が反響しやすいように設計されているのだ。
「パパ、見ててね!」
「ああ、気をつけてな」
さっそくマリア出番がやってきた。いつもよりも真剣な表情で、マリアは家族席の前を通過していく。
「マリア、頑張るのだぞ!」
「マリア様、ファイトです」
『ワン!』
オレと同じ保護者席にいた、エリザベスたちも声援で送りだす。まさに家族総出の応援団。他の保護者達も声援を送っている。
「では。位置について……よーい、ドン!」
いよいよ開始。教員の合図で技能走がスタートする。
技能走とは走りながらクジを引いて、その指示に従っていく競争の競技。
マリアの走る組は3番目。あと少しスタートの順番となる。
マリアの奮闘を守っていやらないと。
「ん? 大丈夫か、オードル? 少し顔色が悪いぞ。緊張しているのか?」
「なんだと? このオレが緊張だと?」
エリザベスの指摘で気がつく。今のオレは明らかにコンディションがおかしい。マリアを心配しすぎて緊張していたのだ。
(まさかこのオレが緊張するとはな……)
国王や皇帝を目の前にしても、オレは緊張などしたことがなかった。数万の敵を目の前にしても同様。今まで一度も緊張をしたことがないのだ。
(これが緊張か……面白い現象だな)
今のオレは不思議な状態にあった。
マリアには好成績を収めて欲しい。だが頑張り過ぎて、怪我しないで欲しい。その矛盾で心拍菅上がっていたのだ。
(戦鬼と呼ばれた、このオレが緊張か。だが今は見守ることしか出来ないな)
競技大会では保護者は、何の手助けもできない。今のオレは無力の塊。マリアの武運と安全を祈ることしか出来ないのだ。
くっ……だが内心では何かマリアの手助けをしてやりたい。でも、どうすれば?
「それならオードル様、声援を送るのはどうですか?」
「“声援”だと、リリィ?」
「はい。『頑張れ、マリア!』と応援してあげたら、きっとマリア様も活力が湧くと思います」
なるほど! そういう手助けの仕方があるのか。
応援とは戦場における『鼓舞』のようなものか。それならオレも得意としていた分野だ。まかせておけ。
「あっ、オードル! 次はマリアの番よ!」
エリザベスの声で気がつく。マリアがスタートラインで準備していた。いよいよスタート順がやってきたのだ。
「よし。みんな、マリアに声援を送るぞ」
オレは女性陣に指示を出す。ここまでの流れを見ていたが、声援を送るタイミングは一瞬。そこを見極めることが重要であろう。
「では。位置について……よーい、ドン!」
スタート審判の合図が鳴り響く。横一列に並んでいた生徒たちは、一斉に駆け出す。
マリアは中々の好スタートをきっていた。
よし。いいぞ!
「マリア様、頑張って!」
「マリア! そこだ! 相手を倒してもいくのだ!」
『ワン! ワン!』
オレ以外の三人は大きな声を、マリアに向けて送っている。
他の保護者席からも、子どもへの声援が送られていた。会場内は応援の熱気で盛り上がっている。
(まだだ……もう少しのタイミングだ……)
だがオレは無言でいた。声援を送るタイミングを狙っていたのだ。
何しろこの技能走というのは、クジを引いてからが本番。その勝機を見計らっていたのだ。
マリアは一生懸命に駆けていた。途中でクジを拾い、中身を確認した。
その時である。視線が左側の障害物に向けられる。
よし……今だ! オレはそのタイミングを見逃さなかった。
「マリア……迷わずに進め!」
オレは叫ぶ。たったひと言だったが、最適の応援をマリアに送る。
反応したマリアが『うん、パパ!』そう頷いたように見えた。
もしかしたらオレの気のせいかもしれない。
だが見事に障害物を乗り越えて、マリアはゴールしていく。
「おお、やったな、オードル! マリアは一位だったぞ!」
「おめでとうございます、オードル様! マリア様は見事でしたわね!」
『ワンワン!』
三人が大喜びしている結果となった。
見事にマリアは1位を獲得。証である赤いリボンを受け取っていた。
「ああ……そうだな」
そんな光景を遠くに見つめながら、オレは深く息を吐き出す。先ほどまでの極度の緊張感から、一気に解放されていたのだ。
(まさに手に汗握る展開だったな……これが競技大会か……)
両手は汗でグッショリ濡れていた。今まで体験したことがない緊張感に、思わず苦笑いしてしまう。
(自分の競技ではないのに、父親とはここまで緊張して興奮してしまうものなのか……)
苦笑いしながら息を整える。大陸中の父親は、競技大会で皆が大変なのであろう。なかなか心労が絶えないものだな。
(まったくオレも修行が足りないな……)
こんな貴重な体験ができたのも、マリアのおかげ。今後も父親として精進していかないとな。
「パパ! 見てた? マリア、一位とったよ!」
技能走を終えたマリアが、保護者席の前にやってきた。胸につけた赤いリボンを、誇らしげに見せてくる。
「ああ、見ていたぞ。頑張ったな、マリア」
「ありがとう、パパ! この後もがんばるね!」
本当に嬉しそうにしながら、マリアは移動していく。
さて、プログラムによると、この後は少し休憩。徒競走と玉入れ、リレーがある。
運動会は始まったばかりなのだ。
(つまり、さっきの緊張があと3回もあるのか……正念場だな)
こうして父親のオレも、娘の応援との戦いが始まるのであった。
◇
その後、競技大会は順調に進んでいく。
マリアは徒競走でも一位を獲得。我が娘ながら見事な健脚だった。
続く団体競技の玉入れでも、マリアの組みは見事に勝利。マリアは的確な投擲で、自軍の勝利に貢献していた。
途中の昼休憩ではマリアは一度席に戻ってきた。
リリィの作ってくれた弁当を、家族みんなで美味しく食べる。まさに一家団欒のひと時であった。
昼食の後は保護者参加の競技はあった。各クラス対抗の“綱引き”である。
「さて、いくぞ、お前たち」
オレたちも保護者として参加する。エリザベスとリリィ、フェンも特別参加だ。
係員に従って、会場の中央に進んでいく。長い綱の両脇に整列する。
「まずは、手を頭の上に上げてください。その後に合図しから、スタートとなります……」
合図の審判から指示がある。
この綱引きという競技のルールはシンプルだ。両軍が綱を引き合って、勝ち負けを決めるのだ。
(あまり目立たない方がいいな。手加減して引くか……)
今回オレは闘気術を封印することにした。純粋に肉体的な筋力だけで、綱引きに参加することにしたのだ。
(相手のクラスの保護者は、なかなかの力自慢が多そうだな……)
対戦相手の戦力を分析する。男性陣が多く、大柄な武芸者もいた。
それに比べてこちらは女性陣が半数。かなりの戦力差があるであろう。
(よし、いくか!)
審判から合図の右手が上がる。いよいよ開始の合図が下されるのだ。
「はじめ!」
「「「よいしょ! よいしょ!」」」
合図と共に参加者から掛け声があがる。綱引き競技がスタートしたのだ。
「くっ……なかなか手強いわね!」
「頑張りましょう、エリザベス様!」
『ワン!』
リリィたちも頑張って綱を引いていた。フェンも口でくわえながら頑張っている。
(今のところは相手の優勢だな? このままでいけば負けてしまうな?)
オレも綱を引きながら冷静に見ていた。最初の分析の通り、男女比の差が大きく出てしまったのだ。
「さて、そろそろ頑張るとするか!」
初めての競技の観察は終わった。オレは両手に力を入れて綱を引き始める。
「はぁああ!」
大地の足を踏ん張り、膂力を最大限にする。さあ、ここから更にギアを上げていくぞ!
「ピピー! そこまで!」
だがオレは本気を出すことはなかった。その前に勝敗が決してしまったのだ。
「勝てましたね、オードル様!」
結果はリリィが大喜びしているように、オレたちの勝利したのだ。
「オードル……あなた……」
競技後、エリザベスが疑惑の目で見てきた。
「オレは闘気術を使っていなかったぞ?」
「そうなのか⁉ まったくオードル一人で勝ったような試合だったな……」
エリザベスに唖然としなら、苦笑いしていた。
どうやらオレは綱引きで頑張り過ぎたようである。運動会というものは、なかなか難しいものだ。
◇
そして運動会は最後の種目へ。
マリアの出場する“リレー徒競走”が始まろうとしていたのだ。
「マリアちゃん頑張って!」
「クラウディア様もファイトですわ!」
マリアたち代表選手へ、クラスメイトから声援が送られていた。
リレー競技は各クラスから足の速い数名だけが選ばれる。精鋭部隊によるクラス対抗の戦い。“バトン”と呼ばれる筒を早く運んでいく競技なのだ。
オレたち一家も家族席からスタート見守ることにした。
「あら? マリア様はアンカーなのですね?」
「一番年下なのに、凄いわね、マリアは」
『ワン!』
何とマリアはアンカー走者であった。最年少の五歳にも関わらず、クラス内で一番足が速かったのだ。
(アンカー……つまり殿役。これは大役だな)
まさかの娘の大役に、最大級の緊張感が押し寄せてきた。
殿は軍の中でも一番重要な役職。退却戦闘は進軍の三倍も難しいと言われていた。
傭兵団を率いていたオレは、殿……アンカーの重要性を、身をもって知っているのだ。
(特に今の路面のコンディションは最悪だ。マリアは無事にゴール出来るのか?)
今日一日の激しい競技大会で、闘技場内の土は荒れていた。
所々に削れた場所もあり、身体の小さなマリアは不利な状況だ。
(とにかく最後も見守り、声援を送るしかないな……)
ここまできた娘のマリアを信じるしかない。
保護者席にいるオレが出来るのは、静かに機を見守ること。あとは最後にタイミングで声援を送ることだけだ。
「では。位置について……よーい、ドン!」
いよいよリレー競技がスタートした。第一走者が一斉に駆け出す。
「頑張れ! 頑張れ!」
「負けるな! 急げ!」
「追い越せ! 負けるな!」
闘技場内に今日一番の声援が響き渡る。
最後の種目であるリレーは競技大会の花形の種目。応援する生徒と保護者、市民が大声援を送っているのだ。
(今のところは四クラスとも互角の争いだな……)
第三走者まで進み、リレーは互角な争いが繰り広げられていた。
四つ組を代表する選手は、誰もが懸命に駆けている。その一生懸命な姿に、他人の親であるオレまで感無量だ。
「オードル様! いよいよ、あと二人でマリア様の番です!」
応援しているリリィも、思わず声をあげる。
バトンはマリアの一人前の選手に手渡される。
「クラウディア様、ファイトですわ!」
「クラウディア様、ガンバですわ!」
マリアへバトンを渡す選手は、伯爵令嬢のクラウディアであった。クラスの中ではマリアの次に足が速いのであろう。かなりの健脚であった。
「マリアさん!」
クラウディアは見事トップに躍り出る。そのままアンカーのマリアにバトンを持った右手を伸ばす。
「あっ⁉ バトンが⁉」
その時事件が起こった。観客席から悲鳴があがる。
手が滑ったクラウディアは、バトンを落としてしまったのだ。
急いで拾い、マリアに手渡す。
だが時すでに遅し。
バトンを受け取ったマリアは、最高位に順位が落ちていたのだ。
とにかくマリアは懸命に駆けだす。
「マリアさん……ごめんさい……」
クラウディアの悲痛な声が聞こえてきた。バトンを渡し終えて、彼女は放心状態に陥っていたのだ。
自分のミスで自軍が最下位に転落してしまった。その後悔の声だった。
だが心配はなかった。
『大丈夫だよ、クラウディアちゃん!』駆けながらマリアがそう応えていたのだ。
全力疾走しているので、もちろん声が聞こえるはずない。だがオレの耳にはたしかにそう聞こえていたのだ。
「よしっ!」
最下位を駆けていたマリアが、気合の声をあげる。意識を集中して、ゴールに向けて全力で駆けていく。
マリアはドンドン加速していった。
「凄いですわ……マリア様が追い越していきますわ!」
「ああ、そうだな。これがマリアの本気なのかもな……」
リリィたちに続き、観客席もざわめきだした。何故なら最下位確定だと思われていた少女が、どんどん加速していったのだ。
その速さは五歳とは思えない健脚。誰もが驚いていた。
マリアは一人抜き、もう一人抜いていく。
そして直線で最後の一人に、追いつこうとしていたのだ。
「マリアちゃん頑張れ!」
「マリアさん、お願い!」
クラスメイトたちから大声援が送られる。観客席からも、小さな少女に向けて声援が送られていく。
大声援を受けてマリアが、最後の一人に追いつく。ここで抜けたら一位に躍り出る。
だが最後の直線はあと少ししかない。誰もがハラハラしていた。
「マリア! いけ!」
機は熟した。
オレは声の限り叫ぶ。
今まで抑えていた全ての感情と共に、声援を送る。
「ゴーーール!」
ゴール地点の審判の声が響きわたる。
アンカー選手がゴールしたのだ。
結果はどうなったのであろうか? この観客席からは見えないくらいだった。ほぼ同着に見えていたのだ。
「最後のリレーは……大逆転した……」
ゴール地点の審判が、マリアの右手を上げる。直後、子どもたちから大歓声があがる。
マリアが一位でゴールしたのだ。
(やれやれ……運動会か。心の臓に悪い大会だったな……)
こうして競技大会はマリアの大活躍で、無事に幕を閉じたのであった。




