第29話:新しい家族
聖教会。
この大陸でも最大の規模を誇る宗教である。
各地に教会を建て信者を抱え、膨大なお布施金を集めていた。
その最高権力者である教皇は、大国の国王以上の権力を持っていると言われている。
聖女はそんな聖教会の象徴。
天神の声を直接聞くことができる存在といわれ、信者から慕われている。
だが、聖女の姿を見られるのは、聖教会の関係者でも数少ない。
◇
そんな聖女を救いだす。
オレたちは茂みに身を隠したまま、唖然とするのであった。
「うっ……ここは?」
しばらくして、助けた少女……聖女が目を覚ます。
「ここは、さっきの橋の近くだ。賊どもは追っ払ったから、もう大丈夫だ」
「あなたは……先ほど、私を助けていただいた方ですね? 命を助けていただき、本当にありがとうございました」
意識を取り戻した聖女は、起き上がる頭を下げてくる。
かなり丁寧な口調で、礼儀正しい少女だ。
「たいしたことはない。通りすがりで、火の粉を払っただけだ」
「私の名前はリリィと申します。一応は“聖女”と皆さんに呼ばれる役職についています」
律儀に自己紹介もしてきた。
そしてエリザベスが言っていたように、聖女と呼ばれる存在だった。
だが、こんな場面で自己紹介だと。
少しのんびりしている聖女様だな。
マイペースな性格なのであろう。
だが名乗られたからには、こちらも名乗るのが漢の礼儀である。
「オレの名前はオードル。今の職業は村人だ。こっちは流れの女騎士エリザベス」
一人ずつ順番に紹介していく。
エリザベスは王国の公爵令嬢だが、流れの騎士だと説明しておく。
その方が面倒ないであろう。
「エリザベスと申します、聖女様」
オレの紹介に、エリザベスも合わせてくれる。
騎士用の礼儀で挨拶をしていた。
「それにオレの娘のマリアと、ペット犬のフェンだ」
こっちの二人は隠す必要はないであろう。
普通に案内する。
「わたしの名前はマリアです。としは5才です。どうぞ、よろしくお願いします!」
マリアは聖女の真似をして、頭をペコリと下げて挨拶をする。
その立派なまでの挨拶に、オレは心の中で感動をしていた。
出会った時は舌足らずだったマリアが、ちゃんと自己紹介をしていることに感極まる。
『ワン!』
少し遅れてフェンも、鳴き声で挨拶をする。
ペット犬と紹介されていても、特に怒っている様子はない。
白魔狼の誇りは、今日も休みなのであろう。
「マリア様? あら、あなたは……?」
マリアのことを、聖女はじっと見つめていた。
特にマリアの瞳の奥を、ずっと見ている。
何か気になることがあるのであろうか?
「いえ、私の勘違いでしたわ。こちらこそよろしくです、マリア様」
何も無かったようである。
小さなマリアに対して、聖女はしゃがんで挨拶をする。
「ところでオードル様、馬車の護衛の皆さんは……」
「残念ながらオレが駆け付けた時には、全員死んでいた」
馬車の護衛兵は、全員死亡していた。
賊どもは目撃者を出したくなかったのであろう。
丁寧に止めまで刺されていた。
「そうでしたか……私を守るために……」
「悲しい気持ちは分かる。だが先に事情を聞かせてもらおうか? 聖教会の象徴である聖女が、なんであんな辺境の街道にいたんだ? しかも、あの少ない護衛の数で?」
聖女リリィに事情を聞く。
何しろ今回の件は普通ではない。
聖女は聖教会での唯一無二の存在。
だから、いつもは王都の大聖堂の奥にいたはずだ。
こんな辺境の街道を、あんなこっそりと移動はしていない。
しかも少ない護衛しか付けていなかったのだ。
「大聖堂で何かあったのか? この先のために聞かせてもらうぞ」
今回は意図せず事件に巻き込まれてしまった。
聖女の護衛は全滅していたので、彼女をどこかに送り届ける必要がある。
だが襲撃者たちは普通の盗賊ではなかった。
だから理由を聞く必要があったのだ。
「実は私は“聖山”に、強制送還される途中でした」
「聖女が“聖山”に強制送還? そんなバカな話があるのか?」
聖女の言葉に、耳を疑う。
聖山とは名前はいいが、岩だらけの厳しい山岳地帯である。
聖女は聖教会の大事なシンボル。
大事な聖女を聖山送りにした例など、一度も聞いたことがない。
「実は私は国王陛下に逆らってしまいました。何やら逆鱗に触れてしまったようです。だから強制送還にあってしまったのです」
なるほど、そういう事情か。
あの短気な国王なら、有り得る話だな。
それにしても王都では何が起きているのであろうか。
市民の大事な聖女を、このような目に合わせるなど、普通の状況ではない。
(まあ、オレには関係ないがな)
オレは国王に暗殺された男である。
そんな国がどうなろうと、関係はない。
「あと、聖女のお前に警告しておく。さっきの野盗の連中は素人ではない。おそらくは黒十字騎士団の連中だ」
「黒十字騎士団ですか?」
「ああ、聖教会の裏の騎士団だ」
先ほど戦って、分かったことがある。
さっきの野盗は聖教会の連中だった。
黒十字騎士団は教皇の汚い部分を実行する、闇の部隊である。
オレも昔、の連中とやり合ったことがあった。
だから先ほどの戦い方から、思い出したのだ。
「ねえ、オードル。それって、つまり……」
「ああ、エリザベス。聖女を感情的に追放したのは国王。だが命を狙ったのは聖教会の教皇だ」
赤十字騎士団は聖教会にとって邪魔者を消してきた。
つまり聖女リリィの存在が、今度は邪魔になったのであろう。
だから無理やりでも事故死に見せかけて、先ほどは殺そうとしたのだ。
「でも、オードル。聖女が亡くなって、聖教会は大丈夫なの?」
「噂によれば、今代の聖女が亡くなれば、新たな聖女が啓示を受けるという……」
聖女のシステムは不思議なところがある。
先代が亡くなった後に、その後継者が出現するのだという。
新しい聖女は村娘や赤子など、小さな少女になるという。
「はい、オードル様のおっしゃるとおりです。私も5歳の時に啓示を受けました。それ以来、大聖堂の中で暮らしてきました」
リリィは神妙な顔で、自分の話をする。
先代の聖女が亡くなった夜に、天から光が降りて来たと。
そして聖教会の騎士団が村にやってきて、大聖堂に連れていかれたという。
「聖女、お前の両親は、その時はどうした? 自分の娘を無理やり連れていかれて?」
「教団の教えにより、『聖女の家族は、父である天神のみ』です。育ての父母は土に還りました……」
なるほど、そういうことか。
聖女リリィの両親は、教団の騎士団によって消されたのであろう。
土に還ったとは聖教団らしい強引な言葉だな。
「事情はだいたい分かった。さて、聖女。お前はこれからどうする? どこに行きたい?」
大まかではあるが、今回の事情が分かった。
聖女リリィは国王の逆鱗に触れて、王都から追放された。
その移動の隙を狙って、身内である聖教会の教皇に暗殺部隊を向けられた。
そして今は運よく一人だけ生き残っている。
この状況を踏まえて、聖女に尋ねる。
自分がどうすればベストなのかと?
どう生きたいのかと?
「今の私には、もう居場所がありません。大聖堂にも、故郷に戻る家はありません……」
聖女は初めて暗い表情を見せる。
下を向いて辛そうにしていた。
何しろ聖女は本当に居場所がないのだ
王都の大聖堂に戻ろうものなら、今度こそ暗殺をされてしまうであろう。
それに実家の両親は、すでに消されている。帰る村もない。
また大陸のどこかの他国に逃げても、生き延びる可能性は低い。
元聖女であることがバレたなら、国家間の外交の道具にされてしまうであろう。
聖女とはそういう存在なのだ。
そして正直なところ、オレもこれ以上は関わりたくない。
何しろこの聖女に関わったら、これからドンドン面倒が広がっていくのが確実。
静かな暮らしなど望めないであろう。
「私のこの命は、天神に捧げています。だから命が惜しくはありません……」
聖女リリィは口を開き、静かに語りだす。
オレに対する答えではない、自分自身に語っていく。
「ですが、死ぬ前に、もう一度だけ自由になりたかったです……野山を駆けて遊んだり、買い物をしたり……そんな普通の女の子みたいに……」
少女は小さな涙を流していた。
普通の生活がしたいと。
何しろ聖女に選ばれた者は、外界から一切遮断されてしまう。
権謀が渦めく教団関係者に囲まれて、息苦しい生活を強いられる。
この少女……リリィの場合は、5歳からの普通の暮らしは、教団によって閉ざされていたのだ。
「大丈夫だよ、せいじょの、お姉ちゃん!」
そんな時である。
何かを決したマリアが、泣いている聖女の手を握りしめる。
「マリア、お友だちになってあげるよ! だから泣かないの! マリアと、たくさん遊ぼうね!」
そう言いながら、何度も聖女の頭を撫でる。
涙を流している聖女を元気づけるために、満面の笑みで撫でていた。
「だから、パパ……」
そしてマリアはオレに視線を向けてきた。
じっと見つめて、何かをうったえてくる。
「ダメだ、マリア。今回ばかりはダメだ」
マリアのうったえを断る。
聖女を助けるのは、ここまでだ。
これ以上は無理だと。
「パパ……」
だがマリアは諦めなかった。
真っ直ぐな瞳で、オレのことを見つめてきた。
「ダメだ……」
「パパ……」
「くっ⁉ ああ、分かった! オレの負けだ!」
ついに屈してしまった。
マリアの純粋な想いに、負けてしまったのだ。
「仕方がない、オレたちと一緒こい、聖女」
「えっ……ですが、私が行けば、皆さんに迷惑が……」
「気にするな。なんとかなる」
普通の市民は、聖女の顔など知らない。
ふだんは大聖堂の奥に隔離されていたからだ。
知っているのは教団の関係者の数人だけ。
あとはエリザベスのような上級貴族だけであろう。
普通の市民は名前を知っていても、誰も顔を見たことがない。
情報通だったオレですら、聖女の顔と名前は初めて見た。
だから、これから住む街でも大丈夫であろう。
「やったー! ありがとう、パパ!」
「だが、マリア、こういうのは、今回だけだぞ」
「うん、わかった! だいすき、パパ!」
大好き、パパか……。
悪くない言葉だな。
これをマリアの口から聞けてだけでも、今回の選択は正解だったのかもしれない。
「そんな……私が……本当にですか、オードル様……」
「ああ、そうだ。今日からはお前は聖女ではない。普通の村娘リリィ……うちの家族のリリィだ」
「はい……本当にありがとうございます……」
リリィは大粒の涙を流す。
だが今度の涙は、先ほどの悲しみの涙ではない。
新たなる人生への喜びと希望の涙であった。
「じゃあ、これからは『リリィお姉ちゃん』と、よばないとね!」
「マリア様? 私に妹が……?」
「それなら私が長女だな。よろしく頼むぞ、リリィ」
「はい、エリザベス様! 不束なに妹ですが、こちらこそよろしくお願いします」
『ワンワン!』
「はい、フェン様もよろしくお願いします」
オレ以外の2人と1匹は、早くもリリィと仲良くなっていた。
新しい家族として、笑顔で出迎えている。
(やれやれ……オレもお人よしになったもんだな……)
オレは聖女のリリィを引き取ることにした。
「さて、休憩はそこまでだ。さあ、いくぞ。」
目的の街まであと少し。
こうしてオレたちは新しい家族を得て、学園のある都市に向かうのであった。