勘違いですれ違った恋の結末
土曜日、朝起きてから私が作った朝ご飯に先輩はすごく喜んでくれた。ただの白ご飯と卵焼きと白菜の浅漬けときんぴらごぼうだったのに。
そして改めていろんなことを教えてくれた。まず荒木さんのこと。荒木さんは一度一般企業の営業に就職したけどすぐに辞めて土木の仕事をしていた。現場がこっちになった時に偶然私がここに住んでいると聞いて昔言われたことを思い出し本当は私が自分のことを好きだったのではと勘違いして今回のことが起きたらしい。
それから先輩は木曜日、仕事が終わったあと車で私のアパートまで来ていたそうだ。電話をくれた時は部屋の前にいて、明かりがついていなかったからもう寝てるかもしれないと思いながら私に電話をした。そしたら私は家にいるって言うのに後ろで電車の走る音がするし駅のアナウンスが聞こえるしで不安になって急いで駅に向かって走ったそうで。会社の最寄りだったら間に合わなかったとほっとした顔で笑う先輩に本当に申し訳なくなったけどもう口にはしなかった。
ご飯を食べてお茶を飲んで一息つく。つい一昨日まであんなことがあったのに穏やかな時が流れていた。1人にやついていると先輩から声がかかる。
「椿、とりあえず必要なものだけこれに入れて」
「……はい?」
先輩がなぜ置いてある場所がわかったのかわからないけど、私の旅行に行く時用のボストンバッグを広げてそう言った。私はわけがわからず首を傾げる。
「ほら、早く。向こうに泊まれば良いけどあんまりゆっくりしてる時間はないよ」
「いやいや、なんの話ですか?泊まる?どこか行くんですか?」
「うちだよ。俺の実家。それに椿の実家にも。だから椿もご両親に電話をしておいてね」
「は?え、今からですか?」
なんで実家に行くのかわけがわからず私は戸惑いを隠せないけど次の先輩の言葉に絶句する。
「ご挨拶に行かないと。それに婚姻届の証人も必要でしょ」
なんでもないことのようにそう言う先輩に私は口を開けてパクパクと動かしてから息を飲むと大声を出した。
「話が急すぎです!!」
「なんで?」
「逆になんでそうなるんですか!?」
「だって結婚するでしょ?」
「します!!しますけどこういうのはもっとこうゆっくり進むんじゃないんですか?」
「じゃあいつなら良いの?もう二度と離れないんだから婚姻届を明日出そうが1週間後に出そうが関係ないよ」
「ちょっと待ってください!!明日出すつもりですか!?」
「そうだけど?明後日は月曜日で仕事行かなきゃだし。あ、仕事は続けたいだけ続けてくれて良いけど十分貯金はあるし、心配ないよ」
「もう!!もう!!ちょっと待ってくださいってば!!なんでそんなに急ぐんですか?」
先輩の暴走が止まらなくて私は先輩の大きな両手をそっと自分の両手で包み込んだ。すると先輩は私の手をほどいて自分の手で私の手を包み込む。
「だってもう1秒も離れたくないんだ。椿が離れそうで、椿がまた無茶なことして俺の前から消えそうで……怖い」
「……先輩。私はもう二度と先輩から離れません。無茶なこともしません。わかりました。行きましょう、実家。すぐ出しましょう、婚姻届。それで夫婦になりましょう」
私がそう言うと先輩は目を輝かせた。分かりやすくてなんだか心がぽかぽかする。
「さすが俺のカミーリアだね。話が早い。じゃあここに荷物入れてね」
その言葉にガクッとなる。
「まさか、先輩、わざとですか?」
「そんなことないよ。言ったでしょ。不安が解消されたらケロッてしちゃうんだよ」
「それ便利ですね」
「ありがとう」
「褒めてません!!それにもしかしなくても私この部屋に帰って来ないですよね!!」
私はボストンバッグを指差してそう言う。
「嫌だな、椿。このバッグにこの家のものが全部入るわけないでしょ。戻ってくるよ。でも実家から帰って住むのは俺のマンションね」
馬鹿にされてるようで少し頭が痛くなった。文句を言おうと口を開いたけど先輩が先に口を開く。
「椿、俺のすることならなんでも嬉しいんでしょ?」
「それは……そうですね。そうです。支度します」
この口論にも疲れてしまった私はさっさと支度をすることにした。そして私たちは先に先輩の住むマンションに行き荷物を置くとすぐに実家へと向かった。
そんな感じでいろんなことが先輩のペースで進んでいった。
そして婚姻届を提出して役所から一歩出てから先輩はしんみりした調子で言う。
「いやー、これでお揃い1つめだね」
「お揃い……なにがですか?」
繋いだ手に力を込めた先輩を見上げると先輩は幸せそうに言った。
「名字」
「……はい?」
「だから、名字。佐々木隼人と佐々木椿。ね、お揃い」
私は自分の顔がとんでもなく真っ赤になったのがわかった。
「そんなお揃い言う人初めて聞きました!!」
「やった。椿の見るドラマにも読む雑誌やネットにも出てこなかった?」
「そんな意味わからないこと言う人は多分、多分ですけどいません!!今度調べておきます!!」
「本当に調べるの好きだね。でもなんでも調べようとしていろんなこと知ろうとして、自分で吸収しようとする椿見てるといろいろ教えたりしたくなるんだよね」
「なんだか背中がゾクッとしました!!またろくでもないこと考えてますよね!!やめてくださいよ!!もう、いい加減先輩は人をからかうのやめてください!!」
「それは無理かな。それに椿はいい加減その先輩っていうの止めてくれない?」
「えっと……」
「夫婦になったんだから名前で呼んで?」
その期待を込めた目を向けられると断りづらい。
「さ、佐々木さん」
「たった今お揃いになったばっかりだよ。椿も佐々木さんだよ」
「そ、そうでした……」
「早く」
「は、はや……無理です!!ハードルが高すぎます!!」
「……仕方ない。じゃあその敬語を止めてくれない?」
「そ、それも無理です!!」
「もう、わがままだなー。可愛いけど」
「可愛くないです!!」
「でもちょっとは頑張ってくれないと。椿も俺になんでも言ってって言ってくれたのにあれも駄目、これも駄目って……」
「う、それは……。頑張ります、いや、頑張る……ます」
「……そのぎこちなさも可愛いから良いかも……」
「もう!!先輩は全部言わなくて良いですから!!恥ずかしいから止めてください!!」
こうして、長い時間をかけてようやく同じ世界で生きることができた私たちはそれからもいろんなことを勘違いしたりすれ違ったり……でも何度でも2人で向き合って話して解決した。若菜と結城くんと4人で住むという話し合いが何度も繰り返されたり、若菜と2人でウェディングドレスを見に行ったら泣かれてしまったり、お義母さんが私たちの家に家出してくるという珍事件が起きたり。時にはまた悲しくなることもあるけど賑やかで楽しくて、でも公園でのんびりとピクニックしてなにも話さない穏やかな時間を過ごしたり……とにかく毎日が幸せ。
これもあの苦しかった日々があったからだと思うとなんだか感慨深いものがある。あの勘違いがなければ私たちはすぐに幸せになれたと思う。でもあの勘違いがあったからこそお互いをこんなにも大切で愛しいと思えるのかもしれない。
仕事に行って早く帰ってきた方がご飯を作ったり2人で家事をしたり……そんな日々がかけがえのないものだと思う。私ももちろん彼もそう思ってるだろう。
そうそう、仕事は続けても辞めてもどっちでも良いよと言っていたけれど、私が先に帰って玄関で迎えると毎日こんな風に出迎えてくれたらなって言うし私が作ったご飯を食べると毎日私のご飯が食べられたらなって言うし……非常にわかりやすい。なんでも言ってと話しているというのに思うことがあるようではっきり口にすることがない。
だけど一緒にいるうちに若菜が言う女々しい男心というものを理解した私はなにも言わないけど自分の中で決めてることがある。子供ができたら仕事を辞めて彼が望むことを叶えよう、と。
いまどき子供ができても仕事はできるし、お金のことを考えたら仕事を続けた方が良いだろう。それでも彼が望むならなんでもしたい。私の大好きな笑顔で喜ぶ顔が見たい。だから結婚してすぐにそう決めていた。
そしてついにその時が来た。どんな笑顔を見せてくれるんだろう、どんな風に喜んでくれるんだろう、なんて言ってくれるんだろう。そう思うと帰ってくるのがいつも以上に待ち遠しい。そわそわする気持ちを抑えられない。
帰ってきて着替えをする、そんな見慣れた後ろ姿を見ながら私は期待に胸を膨らませて言う。
「隼人さん、あのね、話したいことがあるの」




