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勘違いですれ違った恋  作者: 柏木紗月
再スタート編
51/53

助けて



 それからの日々はそれまでとは一変した。毎日送られてくる私の写真やメッセージに怯えながらも、仕事ではいつもと変わらないように努めた。職場のみんなにも心配をかけたくなかったし間宮さんから先輩に連絡が行くのも怖かった。先輩には一番知られたくなかった。心配するだろうし、でも仕事を放って帰ってこれるはずない、知らない方がなにも考えないで集中できるはず。それに先輩との約束を守らなかったことが原因で後ろめたさもあった。そのことが余計に自分でどうにかしなきゃという気持ちにさせていた。

 ストーカーは元恋人関係にあった人が多いみたい。荒木さんは付き合ってたわけではないけどそもそも私が思わせ振りなことを言ってしまったことがいけなかったのかもしれない。だからといってしてはいけないことだと思う。先輩は自分でストーカーみたいだって言ってたけど全然違う。先輩は確かに強引なところもあるけど荒木さんとはまるで違う。私のことをいつも気遣ってくれてた。

 荒木さんと再会した日のことから私は記録をつけるようにした。記録をつけた方が良いとネットで読んだからだ。だけど1週間くらい経ってからその日記と携帯の履歴を警察に見せに行ったけど男女間のもつれだから様子を見ましょうと言われて帰されてしまった。

 毎日先輩にもらったネックレスを身に付けて洗濯した先輩のハンカチをお守りにして、気が狂いそうになると先輩の愛してるというメッセージを見て気持ちを落ち着かせた。


 そしてメッセージをブロックしたりなにか刺激になるようなことをすると余計に事態が悪化しそうで荒木さんとのやりとりは続けていた。そんな中、荒木さんは何度も平日の夜に会おうと誘ってきた。2人で会うのは危ないとわかるから理由をつけて断っているけど向こうも仕事があるはずなのに残業はないのだろうか。それに試しに由紀に聞いてみたら荒木さんは普通の一般企業の営業マンだそうだ。鳶職のような格好をしていたけどあれは仕事ではなかったのかな。どうにも実際に会った荒木さんと由紀が教えてくれた、最近荒木さんと会った知り合いから聞いた話とは食い違いがある。わからないことが増える一方だった。

 そしてそんな日々が過ぎていき10月11日になった。私はこの日が大切な日だということが、すっかり頭から抜けていた。昨夜荒木さんからこんなメッセージが届いたからだ。


『明日仕事帰りに坂下さんの最寄り駅で待ってるよ。ホテルのレストランを予約したんだ』


 私はすぐに遅くまで仕事があるので行けません、予約してもらって申し訳ないですがお断りします、と返事をした。だけど不安は心を埋め尽くす。どうしよう。早く帰れば良いの?遅く帰れば良いの?いつまで待ってるつもり?私が断っても荒木さんは待ってるだろうと確信できた。今まで直接会ったのは最初に会ったあの日だけ。なのにどうしてこんな強行手段に……?私は毎日用心のために以前間宮さんからもらった防犯ブザーを仕事用の鞄に入れて持ち歩いていた。なんで間宮さんがくれたかはわからないけど役に立つかもしれないと思った。いざとなった時存在を忘れてしまいそうな気がしたけど改めてそれが鞄に入っていることを確認して私は出勤した。





 思わずため息をついてしまう。時計をみると16時。朝から全然集中できない。もう今日は早退してしまおうか。そう思っているとドアの外で慌てた足音が聞こえた。


「坂下!!」

「は、はい!?」


 勢いよくドアを開けて入ってきたのは間宮さんで呼ばれた私は大声で返事をした。


「今日送った請求書確認してみろ」

「え?せ、請求書……」


 パソコンを操作して作成したメールを開いて添付した請求書データを見る。


「あれ?うそ……」


 添付したデータの日付が違っていた。慌てて他のメールも確認する。


「これも…こっちも…」


3件確認して全て間違っていた。今日は送ったのは40件。メールに添付した元データが保存してあるフォルダも見てみたら違っていて全部間違っているようだった。私は顔が青ざめるのが自分でわかった。


「す、すみません!!」

「それだけじゃない」

「え?」

「内容も間違ってる」

「……え、本当だ……。どうしよう、すみません、すみません!!」


 請求内容もちぐはぐで他の会社に送るものが別の会社に送られていた。私は慌てて謝罪を繰り返す。


「坂下さん、落ち着いて。請求書を作り直しましょう。私も手伝うから」


 話を聞いていた青木さんが私の背中を擦って声をかけてくれた。


「青木さん、頼みます。今取引先からも問い合わせの連絡がばんばん来てる。会社の電話にも連絡きたらそっちの対応も頼みます」


 営業課のオフィスにいたみなさんが電話をかけたり電話に出たり対応を手伝ってくれて、急いで修正していると電話が鳴った。私は出ます、と声をあげて受話器をとった。


「はい、トリトマでございます」

「お世話になっております。シラン商事の佐々木です」

「あ、お世話になっております。坂下です」


 私が取った電話は先輩からだった。その時ようやく今日が先輩が帰ってくる日だと思い出した。


「今日お送りいただいた請求書の件ですが……」

「申し訳ございません!!ただいま訂正しているところでございますのでもう少々お待ちいただけますでしょうか」

「あ、そうなんだ。大丈夫大丈夫。その感じだと他の会社も?」

「は、はい……」

「俺のとこ後回しで良いから」

「いえ、そんな!!早急に対応しますので!!」


 じゃあ、無理しないで頑張ってね、と言われて電話を切る。私のミスなのに無理しないわけにはいかないでしょ!!そう思ってスピードをあげて修正を再開した。

 結局他の仕事もあって全部の会社に再発行した請求書データを送り終えたのは21時だった。最後まで手伝ってくれた間宮さんと青木さんにお礼を言った。


「大丈夫大丈夫。気にしないでね」

「そうそう。次気を付ければ良いんだよ。それに坂下は入社してずっと真面目にミスなく仕事してたから1度のミスでそんなに落ち込むな」

「そのミスがこんな大きなことに……」

「わっ、間宮くん、余計なこと言わないでよ。坂下さん、大丈夫だから泣かなくて良いの。間宮くんなんて入社して今までトラブルの常習犯なんだからね」

「ちょっと青木さん!!その話は良いじゃないですか!!」


 涙ぐむ私を慰めてくれる2人にミスしてみんなに迷惑をかけてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだった。送ってくれるという間宮さんの言葉に甘えて駅まで送ってもらった。


「じゃあ気を付けて帰れよ」

「はい。今日は本当にすみませんでした。ありがとうございました」


 おう、気持ち切り替えて明日乗り越えれば土日だからな、と言って間宮さんと別れる。その後ろ姿を見送った私はため息をついて駅近くの公園に行った。

 情けない……そう思いながらベンチに座ってそのままぼんやりしていた。どれくらい時間が経ったのか、犬の吠える鳴き声にハッとして腕時計を見る。


「え、もう22時?」


 1時間くらいなにもしないで呆けていたらしい。私は急いで荷物を持って駅に戻り電車に乗りこんだ。と、そこで荒木さんのことを思い出す。まさかこの時間まで待ってないよね。……いや、待っていそうだ。どうしよう。どうしたら良いの?むしろ帰らない方が良いのではないか?……そうだ、先輩が帰ってきてるんだ。先輩のお家に行くのはどうだろう。先輩にメッセージを送ろうと鞄から携帯を取り出した。……駄目だ、理由を説明できない。先輩のお家に行くのは諦めたけどその手にした携帯を見ると荒木さんからメッセージが届いていて体が硬直する。


『待ってるよ』


 5分前に来ているメッセージだった。確実にいるんだ。どうしよう。……そして私はもう1つメッセージを開く。先輩からのメッセージだ。


『お疲れさま。仕事大丈夫だった?やっぱり土曜日じゃなくて今日会いたい。会いにいっても良いかな?』


 会いたい。私も先輩に会いたいよ。だけど今は駄目だ。荒木さんと鉢合わせちゃうかも。そもそも先輩が帰ってくる前に荒木さんとのことをどうにかしたかったのに……いったいどうしたら良いの?

 そう考えてる間に最寄の駅に着いてしまった。降りて良いの?荒木さんに会ってしまう。怖い。その時先輩からの着信が入って私は反射的に画面をタップして耳に当てながら電車を降りた。……降りてしまった。もうこうなったら荒木さんに見つからないように駅を離れてアパートに向かおうと決意してゆっくり歩き始めた。


『あ、椿?お疲れさま』

「先輩、お帰りなさい」

『うん、ただいま。椿、今どこにいるの?』


 電話越しに聞こえる先輩の声に少し安心する。勇気が出てくる。どうにか今を乗りきって土曜日に会おう。とにかく今は駄目だ。私は時間が22時をとっくに過ぎていることから先輩を安心させるために嘘をついた。


「もう22時ですよ。家にいますよ」

『……そう。じゃあ今から行って良い?』

「先輩も疲れてるでしょうし、土曜日会えるんですから今日は止めておきましょう」


 周りに注意しながらゆっくり歩き改札を抜ける。いないかな、大丈夫かなとキョロキョロと辺りを見渡して見つけてしまった。そして目が合ってしまう。もう駄目だ、終わりだ、そう絶望感で頭が真っ白になってしまう。駅のアナウンスをぼんやり聞きながら時が止まったような感覚がした。


『椿?聞こえてる?』


 耳に聞こえる先輩がなにか言っていたけど私は早口で喋って電話を切ってしまう。


「それじゃあ先輩また土曜日に。おやすみなさい」


 荒木さんは駅前の広場にあるオブジェの前に立っていた。私は恐怖に震えながら行っちゃ駄目だとわかってるのに、無視してアパートに向かってしまえば良いのに、吸い寄せられるように荒木さんの所に歩いてしまった。

 もうこうなったらこれで終わりにしよう。ちゃんと話をつけてそれでスッキリした状態で先輩に会えば普通でいられる。私はそう気持ちを切り替えて荒木さんに対峙した。


「待ってたよ、坂下さん。大丈夫。ホテルの予約の時間遅らせてるから」

「荒木さん、私は行かないって言いました。それに何度も言ってますけど私は荒木さんのことを好きだとは思ってないんです。だからもう、こういうのは止めてください」


 最初は笑顔だった荒木さんの顔から表情が消えて電灯で照らされた顔が不気味に見えた。私は震える声で首にかけたネックレスに触れながらさらに続けた。


「わ、私は他に好きな人がいます。私の好きな人は荒木さんではないんです。思わせ振りなことを言ってしまったのは謝ります。だけど」


 避ける間もなく私は荒木さんに抱き締められた。

 嫌だ、気持ち悪い、先輩以外の人に触れられたくない。

 私は息が苦しくなって涙が出て必死に腕から逃れようとしたけど全然びくともしなくてそれが余計に私をパニックにさせていた。


 先輩、助けて!!


「椿!!」


 その時大好きな声が聞こえて体が自由になったと思ったらすぐに懐かしい腕に抱き締められた。安心する、大好きな先輩だ。


「誰?」


 先輩の低い声が頭の上から聞こえた。その問いに答えず荒木さんが私に問いかける。


「まだ別れてなかったの?浮気は駄目だよ」


 違う。まったく違う。全然話が通じない荒木さんの問いかけに私は先輩の腕の中でも頭を横に何度も振る。先輩がゆっくり私の背中を擦ってくれた。


「変な言いがかりしないでくれませんか?警察呼びますよ」


 先輩が低く冷静な声で荒木さんに応対する。


「警察に行っても無駄だよ。男女間のもつれだからね。恋人と痴話喧嘩してるだけだもんね。警察はなにもできないよ。ね、そう言われたもんね、坂下さん」


 なんで警察に行ったこと知ってるの?いや……そうだ……。荒木さんからは毎日写真が送られてきた。私を監視しているようだった。警察に行ったことも知っていたんだろう。


「ちょっと喧嘩してるだけなんだ。坂下さんは僕のことが好きだからすぐ仲直りするよ。今日だってホテルを予約してる。これから一緒に行くんだよね」

「行きません!!あ、荒木さんのこと好きじゃないです!!きょ、今日もちゃんと断りました!!」


 先輩の体から少し自身を離して私は声を震わせながら詰まらせながらそう言った。もう嫌だ。全然わかってくれない。恐怖で精神が崩壊した私は涙を流して先輩の服を握りしめる。先輩が強く抱き締めてくれた。そして私は声をあげて泣いてその後のことはなにもわからなかった。気が付くと自分のアパートのベッドの上に座っていた。

 先輩は私がパソコンを使ったりお化粧をしたりする時に使う机の前で立っていた。先輩が手に持っているものに気付いた私は小さく悲鳴をあげる。それはこの1ヶ月半書き続けた荒木さんから受けたストーカー被害の記録をつけたノートだった。先輩には見つかりたくなかったのに。そう思ってると先輩はそのノートを乱暴に床に叩き落とした。私は肩を震わせた。怒ってる。先輩が怒ってるとわかって私はなにか言わなきゃって思うのになにも言葉にできなかった。


「携帯見せて」

「……え」

「携帯見せて」


 なんの気持ちも感じ取れない抑揚のない冷たい声で先輩はそう言うと右手を差し出してきた。私は焦りながら携帯を鞄から取り出す。


「写真は?」

「しゃ、しん?」


 先輩の意図がわかって私は慌てて荒木さんから送られてきた写真を画面に表示させた。先輩はゆっくりそれをスライドさせていきなにかしたあと私に携帯を戻した。そしてなにも言わず玄関に向かおうとした。


「先輩!!」


 先輩がどこかに行っちゃう。怒ってて良いからそばにいてほしい、離れないでほしい、私はその一心で先輩を呼び止めた。


「怒ってますよね。わかってます。怒られて当然です。相談しなくてすみません、でも心配かけたくなくて、あの、先輩との約束守らなくてすみません、自分でどうにかしようと思ったのに結局先輩に心配かけて迷惑かけてすみません」


 私が涙を流しながらそう言うと先輩は戻ってきて私に目線を合わせると苦しそうに顔を歪ませて言う。


「怒ってるよ。でも椿にじゃない。椿に何度も謝らせてる自分に腹が立ってる。俺は椿のことはなにもなくても心配するしそれが迷惑だなんてこれっぽっちも思わない。椿が俺のためになにも言わなかった理由もわかってるつもり。だけど言ってほしかった。あとから知ってあとから椿が苦しんでたってわかってももう遅いんだよ。その時にどうにかできたらって思ってもどうしようもできない。……あとから知る方が残酷だよ」


 それは今回のことだけを言ってるわけじゃないとわかった。先輩の苦しみに歪む顔に私も苦しくなって胸が締め付けられる思いだった。


「これからはちゃんと言います。なんでも。なんでも思ったこと全部その時に言います。だから先輩もなんでも言ってください。それになんでもしてください。私先輩のすることならなんでも嬉しいです」

「椿もなんでも言って。椿がしたいと思ってることはなんでも叶えてあげたい。できないこともあるかもしれないけど椿のわがままとか全部聞きたい」

「それじゃあ抱き締めてください」

「うん」


 そして優しく抱き締められるとすごく暖かくて安心した。さっきまで恐怖で震えていたのに安心して、幸せな気持ちになった。幸せな気持ちになると今日まで張り詰めていた凍えた心がゆっくりと溶けていくようだ。そうなると急に眠気に襲われる。


「また……。……でもまだ先輩と……話して……」


 この前の車に乗っていた時もそうだったけどまだ先輩と話していたい。一緒にいたい。


「大丈夫。一緒にいるからゆっくり眠って良いよ」

「でも……まだ……先輩にしてほしいことが……」

「うん、なに?」

「キス……してください」


 私がそう言って意識を手放す直前、頬にそっと先輩の唇が触れたのを感じた。






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