長い時を越えて
だいぶ落ち着いた私が先輩を見ると優しく笑ってくれた。
「落ち着いた?」
「……はい」
「ゆっくり歩こうか。大丈夫?」
そういえば座りっぱなしでおしりが痛い。それどころじゃなかったから気付かなかった。
「大丈夫です」
私が立ち上がると先輩も立ち上がってゆっくりと歩き出したから私も続いた。ゆっくり、私が普通に歩くよりも少し遅めのスピードで歩いていく。
「椿と別れたあと若菜に言われたんだ。俺と椿は全く別の世界で生きるんだって。もう二度と椿の人生に踏み込んでこないでって。自分が椿を守るんだって」
ゆっくり歩きながら先輩は寂しそうに話しはじめて、私は一言も聞き逃さないようにじっと耳を傾けていた。
「忘れないといけないって思った。そうしないと若菜の制止を振り切って椿の世界に踏み込んでいきそうで、必死に勉強して国立大に行った。大学に行ったら入れるだけバイトを入れて忘れようって必死だった。だけどだんだん普通になって、ただ講義を受けて、サークルに行ってバイトをして、忘れられたと思ったんだ。もう椿の人生に踏み込んでいかなくてすむって安心した。だけど2年の9月くらいだったかな、間宮さんに初めて会った時……間宮さんは事情があって大学には来てたけどサークルにはずっと来てなくて、サークルの飲み会で初めて会ったんだ。俺は間宮さんのことを知らなかったけど向こうは俺の噂をいろいろ聞いてるって言って、みんなから離れた席でぼんやりしてた俺の隣に来てね、なにがきっかけだったかな……とにかく俺は椿のことを話してた。間宮さんはいろいろ失礼なことを言ってきて、俺も酔ってたしイライラしてたからあんまり覚えてないんだけど……でもところどころ心に残った言葉があったんだ。一度でも必死になって繋ぎ止めようとしたのか?言葉にして伝えたのか?自分の気持ちなんて他人がどうこうできるものじゃないんだから後悔してるなら従妹に止められようと本人に拒絶されようとも何度でも彼女の人生に踏み込んで行けば良いだろうって。忘れられたっていうのは忘れないと彼女の人生に踏み込んでしまうから忘れたことにしてるだけだろうって。なんて無茶苦茶なことを言うんだって怒ったんだけど後で酔いが覚めて落ち着いてきたら、ああ、椿の所に行こうって霧が晴れた気がしたんだ。……間宮さんの言葉というよりイラつかされて自分の気持ちを吐き出してスッキリしたのが大きかったかも。ずっと若菜の前ではもちろん昴や家族にも椿の話はできなかったから。それから忘れようとすることをやめた。バイトも減らせられるだけ減らして代わりに椿を探すことにした。実家を出てるだろうっていうのと、椿のことだから家に負担をかけないように学費が少しでも免除されるような制度がある学校に行くと思った。だからそういう制度がある大学を探した。といっても多すぎて困ったよ。休みのたびに親父に車を借りて全国探し回った」
「さ、探し回った……?」
静かに口を挟まずに聞いていた私は思わず口を出してしまった。緑道を歩きながら先輩は言う。
「そう、無謀なことしてるなって思ったよ。若菜には見つからないように昴に口止めして全国の大学の周りをうろうろと。自分でもこんなんで見つかるはずがないってわかってたけど他に探しようがなくて、代わりにここみたいに椿が来そうな所に行って椿が来たかもしれない、椿がこの景色を見たかもしれないって思うだけで椿と繋がってるような気がして幸せな気持ちに浸れた。昴に重症だ、危ない人だって言われたけど俺は椿を初めて見つけた時から自分がおかしいって自覚してたよ。でもそれだけじゃない。椿と一緒にいると自然に笑顔になるし優しくしたいって思う。なにもしないでただ一緒にいるだけで心地良くなって心が安らぐようになるなんていうのも椿に出会うまで知らなかった」
緑道を抜けると芝生が広がっていてピクニックに来ている家族が何人かいるだけだった。その広いスペースに先輩は腰を降ろした。
「そうそう、聞いてるんだったね。4年の時あまりに無謀なことを続けてる俺を見かねた昴が若菜に秘密でこっそり教えてくれたんだ。椿がここに住んでるって。就活もしないといけない、でもやっと希望の光が見えた、俺はすぐに親父にこっちで就職するって伝えたんだ。それしか言わなかったのに親父は絶対見つけてくるんだよ、でも先に就職先を決めてくることって言って車もその時くれたんだ。大学にお世話になった職員さんがいるって話したよね。家庭教師のバイトも紹介してくれた人で1年の時からよく知ってたからこっちで俺に合いそうな会社をすぐにピックアップしてくれて、そういうサポートがあってすぐに今の会社に決まった。それでようやくこっちで椿を探し始めたけどここだけでも十分広いからね、全然駄目だった。でも不思議だよ。ここに来て、この場所でこうやって寝そべって空を見たら椿もここに来たことがあるって確信したんだ。今までは来たかな、って思うだけで幸せになってたけど範囲が狭まっただけじゃないんだ、この県の他の場所にも行ったけどそう確信めいたことは感じなかった。まあ、でも椿が卒業したあとだったから遅かったんだけどね。仕事してからは忙しくてクラブにも行ってたから回数は減ってたけどずっと探してたんだ。近付いてるはずなのにどうして会えないんだって諦めそうになった。でも会いたくて、もう一度やり直したくて、探してた。それも3年目になって間宮さんに再会して、見つけたんだ。4月、営業事務からメールするからって言われて来たメールの送信者が椿で、急いで間宮さんを仕事帰りに呼び出した。どうしてもっと早く教えてくれなかったんだって。そしたら本名聞いてなかったし同姓同名かもしれないだろって言うから椿の特徴を言って、確かに本人かもって、なったんだ。でも出身地聞いてみないとって言われて1週間も待たされた。あまりに長いから昴に頼んで1枚だけ椿の写真を送ってもらって間宮さんに確認して本人だってわかって。すぐに会わせてほしいって頼んだのに色々理由つけてきて会わせてもらえなくて。最終的に、後から考えると俺の名刺を初めて見た時椿は動揺してた、会っても上手く行くとは限らないって念押しして6月のあの日会わせてくれた。覚悟してた、わかってたけど実際会ったら椿は全然目も合わせてくれなくて、やっぱり会っちゃ駄目だったのかなって思った。でも諦められなかった。拒絶からスタートで良い、もう一度椿の隣にいたい、それしか考えてなかった。……あとは前に話した通り」
ゆっくり体を起こした先輩は不安そうに私を見てきた。
「さすがに気持ち悪いって思った?」
「え?どうしてですか?」
「就職先をこっちにするってバレた時点で若菜にも知られて……。昴にも若菜にもストーカーみたいだって危険人物扱いされてた。自分でも確かにそうだと思うから」
私は勢いよく何度も首を横に振る。
「嬉しいです。こんなに思ってもらってたなんて……ご「謝らないで良いから」……はい」
まっすぐ見つめる視線を感じると昔若菜に向けていたものと全然違うように思う。優しくて胸が締め付けられるほど大きな愛情が込められていた。先週感じたように身動きできなくなった。私はゆっくり息を飲む。動けない私を気に止めずに先輩はすっと立ち上がって進んでしまって、数秒遅れて私は慌てて追いかけた。
最後の場所は噴水広場。噴水の周りには彫刻があったり絵が飾られている。
「ここで椿の話を思い出したよ。美術の授業に若菜に邪魔されたって話」
「そ、そんな話はしてませんよ」
思い当たる話はあるけど、と思う。
「椿が話す日常はいつも楽しそうで、ただの1日のはずなのに、なにかしら楽しいことがあって、椿が見るとなにげない日常がこんなにも色鮮やかになるんだって思った。他人が気にも止めないようなことに興味を持って調べてその上で自分なりの考えを教えてくれたり。話の途中で別の話題に飛んでいつの間にか戻ってきたり、椿の話はいつも面白かった。椿が興味を持つもの、行きたいと思う場所はどれほど楽しいものなんだろう、それを椿と一緒に見られたらどれだけ幸せなんだろうなって……見てみたかったんだ」
一瞬言葉に詰まった先輩を見上げると少しだけ目元が光って見えた。若菜じゃなかったんだ、先輩はそんな風に感じて私の話をあんなに楽しそうに聞いてくれていたんだ。なのに私は先輩がしたいことに身を任せるだけで先輩の望みを叶えてあげられなかったんだ。先輩の顔を見て私はまた涙が出そうになった。先輩、と呼びかけようとすると咳払いして先輩が喋る。
「あの頃伝えられなかったけど椿が好きだよ。一目見た瞬間から。でも椿のことを知るたびに一緒にいるたびにもっと思いが強くなって椿しか見れなくなった。どれだけ離れても椿に焦がれて椿を感じていたくて……。そのネックレスはただのプレゼントじゃなくて、俺の気持ちが伝わりますようにって願いを込めた。自分らしくないと思うけど……散々らしくないことしてきたんだけどね。かっこよくいたいのに、椿のことになるとかっこよくなれない……自分を保てなくなるくらい……椿のことが好きだ」
先輩の優しくて熱いたくさんの言葉が私の罪悪感でいっぱいの心を溶かしていた。だけどまた1つ先輩は優しい嘘をついた。あの頃先輩は伝えてくれてた。
『椿、好きだよ』
どうして私の名前を呼んでそんなこと言うの?私じゃなくて若菜でしょ?私を通して若菜に伝えたいんでしょ?……どうして私に言うのか考えて結局若菜に伝えてるんだと思うと心が壊れそうで伝えられるたびに記憶から消していた。何度も何度も先輩は思いを伝えてくれていたのに。
「……わ、私も好きです。優しく笑いかけてくれるのも楽しそうに話を聞いてくれるのも、なにげない話をしてるだけの時間が楽しくて一緒にいるだけで幸せになれて。……怒ってないんですか?呆れてないんですか?」
「怒ってないし呆れてもいないよ。椿のその言葉が聞けただけで十分嬉しいよ。ありがとう」
そう言って笑う先輩はこれまで見てきたどんな笑顔よりも嬉しそうで心からの笑顔だった。先輩の優しい眼差しには熱くて激しい愛情がたくさん込められていて今の私にはそれがよくわかった。
長い時を越えて……7年越しにようやく気持ちが交わった瞬間だった。確かに同じ気持ちを抱いていたはずなのに私のとんでもない勘違いをきっかけにあらぬ方向に進んでしまって、それが今やっと交わって通じ合うことができた。
罪悪感は優しく溶かされて先輩に愛されているという思いで心は満たされていた。これでようやく幸せになれるんだ。2人でハッピーエンドを迎えられるんだ。そう思って深く息をはくと大切な女の子の姿を思い罪悪感が逆流してきた。
「若菜!!」
「……え?」
呆然とする先輩の前で私は大切な親友のことを思って慌てて右往左往し始めた。
「若菜、若菜、若菜、どうしよう……若菜が、若菜が」
「落ち着いて」
「でも」
頭はすっかり若菜のことで頭がいっぱいだった。あわあわとする私の前に突然大きな手が現れて大きな音に驚いた私はぎゅっと目を閉じた。そしてゆっくり目を開くと先輩が苦笑いで私を見ていた。
「若菜には俺が伝えるよ。大丈夫、落ち込むだろうけどすぐ喚き散らしてコロッと水に流すだろうし」
「……若菜……」
落ち込んで涙を流す若菜が思い浮かんでくる。
「……結局若菜に勝てないのか」
そう言って項垂れる先輩を不思議に思う。
「勝ち負けなんてないですよ。若菜も先輩も、結城くんもみんな大好きです」
「……昴まで含めないでよー」
先輩は力なくそう言うとゆっくりと歩き出してしまった。
「どうしたんですか?」
すぐに追い付いた私は先輩に問いかけると先輩は笑って言う。
「若菜のことは俺も考えてるし昴もついてる。だから心配しなくていいよ」
「……はい。若菜には悲しんでほしくないんです。私のために泣いてほしくなくて、でも泣いてくれると思うんです。だけど……」
「わかってる。大丈夫だよ」
若菜と話すまで不安な気持ちがなくならないけど先輩がそう言うと不思議と安心できた。
「俺のカミーリアなのに……」
「……なんですか、それ?」
先輩が小さく呟く声を聞き返す。……あれ?どこかで聞いたことがあるような……。
「あ!!間宮さん!!」
はっきり聞き取れなかったけど以前間宮さんがそんなようなことを言ってた気がする、と記憶をたどる。
「そう、間宮さんに椿がどれだけ可愛いか惚けてたんだ。元々椿って呼んでると本人の前で口走って引かれるよって昴に咎められたから代わりに椿を英語にしてカミーリアって呼んでたんだ」
「な、なんだか恥ずかしいので止めてください」
「どうして?可愛い感じがしない?カミーリア」
よくわからないけど先輩がそう呼ぶ声が甘過ぎてそわそわする。
「だ、駄目です。よくわからないですけどそわそわします!!」
「じゃあ時々にするよ、俺のカミーリア」
すぐ目の前に顔を寄せて言うから全身一気に熱くなる。
「カミーリア禁止です!!」
「い、や」
私が立ち止まって叫ぶと先輩は嬉しそうに拒否するとクスッと笑って駐車場へと向かった。




