2人の時間
「若菜が素直だと逆に気持ち悪いね」
「そんなことありませんよ!!」
先輩が私の正面に来てそう言うから私は怒って言った。
「ごめんごめん」
そしてそう言ったきり先輩は黙ってしまった。
「先輩……?」
「えっと、今日は会えて嬉しかったよ」
「あ、はい。私もです」
先輩と何度も2人で話してるのに今日はずっと賑やかだったから間が開くと落ち着かなくなる。この前はなにも話さなくてもほっとできる気がしてたはずなのにな。私が感じた違和感のこととか出張のこととかいろいろ聞きたいことがあるのになにからどう切り出せば良いのかわからない。
「出張のこと、いつ言おうか迷ってて……あんな感じになっちゃってごめんね」
「え、いえ……」
「一昨日決まったんだけど来週会った時に言うのも急だし電話で言うのもなって……」
急に決まったんだ。来週会った時に言われたら突然のことでもっとびっくりしたと思う。
「確かに今日聞けて良かったです。若菜に感謝ですね」
私は笑って言った。寂しいのには変わりはないけど。私は若菜が向かった先を見る。アパートの2階、自分の住む部屋の明かりが付いてアパートの全ての部屋の明かりが付いたのを見る。その私の視線を追っていた先輩が私に視線を戻して言った。
「予定通りいけば10月11日に帰ってくる。週末空けておいてくれる?」
「え、ちょっと待ってください……10月の……」
私は慌てて携帯を取りだしスケジュールを表示して10月の予定を確認する。
「11日は木曜日ですね。13日土曜日は……なにも予定がないので大丈夫です。空けておきますね」
そう言ってスケジュールに"先輩と会う日"と予定を入力する。
「日曜日も」
「え、日曜日もですか?……はい、大丈夫です」
日曜日にも同じように予定を入力した。それと一緒に11日に"先輩が帰ってくる日"と入力した。
寂しいのは、変わらないけどこうやってスケジュールに先輩の名前が書き込まれるのは嬉しかった。
「でも良いんですか?バスケクラブ行かなくて」
私は嬉しいけど子供たちも先輩が帰ってくるのを楽しみにしているはずだと思って聞いてみた。
「良いの良いの。坂下さんに会いたいから」
「……それなら良いんですけど」
顔が熱くなってきた。嬉しいけどなんだかすごいことを言われてる気がする。そう思ってると先輩がため息をついた。
「どうしたんですか?」
「出張行きたくないなーってね」
苦笑いしてそう言う先輩に私はドキンと胸が高鳴った。勘違いしてしまいそうだ。
「な、なに言ってるんですか。海外出張なんてすごいです。期待されてるんですね」
「それは良いんだけど坂下さんに会えないのが寂しくて。……坂下さんは寂しくない?」
「え……」
優しい眼差しで見つめられて言葉に詰まってしまう。本当にこれじゃあ……。
「寂しくない?」
もう一度問いかけられて私は顔を真っ赤にしたまま答えた。
「寂しいです」
私がそう答えると先輩は嬉しそうに優しく笑った。昔から変わらない私の大好きな笑顔。その時私はさっきの車でのことが頭に浮かんだ。若菜との関係に感じた違和感、私が知らない先輩、写真のこと……。
「先輩は昔若菜のこと……」
「ん?」
「あっ、いえ……なんでもないです」
なにを聞こうとしたんだろう。口が勝手に動いていた。
先輩は昔若菜のことが好きでしたよね
変わりようがない事実を、なんで今さら聞こうとしたんだろう。答えはわかってるのに。その時私は自分の住むアパートの電気が消えた様子をぼんやりと見た。
「もう時間切れか」
「え?」
「坂下さん」
小さく呟いた先輩の声が聞き取れなくて聞き返したらはっきりと名前を呼ばれる。まっすぐと視線を交わらせると先輩は小さな巾着袋を差し出してきた。
「……これは?」
「開けてみて」
先輩からそれを受け取ってリボンを外して中身を取り出す。
「……これは」
それはさっきお店で見た緑色のしずくのネックレスだった。ビニールの袋からも出してそのネックレスを見つめる。
「あげるよ。お揃いはまた今度ね」
先輩は笑ってそう言った。良いんだろうか、こんなに嬉しくて幸せで……。
「それつけてみて?」
「え、今ですか?」
「うん」
私はふわふわとした頭のままネックレスを自分につけた。包装は先輩が受け取ってくれた。
「うん、よく似合ってる。それ土曜日つけてきてくれる?」
「は、はい。……ありがとうございます」
「それからその服と髪型似合ってる。可愛いよ」
胸の鼓動がさらに速くなった。目を細めて愛しいものを見るような視線に私は身動き1つできないほど硬直してしまった。もう勘違いでも幸せだから良いや。そんな気持ちを感じながらやっぱり若菜はすごいと思った。若菜のおかげでこんなに幸せな気持ちになれるんだから。
「若菜が、若菜がやってくれたんです」
私はそう言ってサイドに流されている髪の毛を触った。ありがとう若菜、と心の中で感謝した。
「そっか。……そうかなって思ったけどね」
その言葉と少し複雑そうな表情を見てスッと頭が冷静に戻った。
やっぱり先輩は若菜が好きだったんだ。若菜に関わること、若菜が考えて作り出すセンスが先輩の好みにマッチしていて、誰がやったか言われなくてもわかるくらい若菜が大好きなんだ。今は風化したとしたんだとしても想っていた事実は確かに先輩の中にあるんだ。
そう思うと少し悲しかったけどもう昔の私じゃないから、卑屈になったりしない。今は違うんだから。だから私は褒めてもらえたことを素直に喜ぶことにした。そして改めて若菜がすごいと思う。
「本当に若菜はセンスが良いですよね!!」
「うん……若菜に勝てない」
「あー!!」
またしても先輩の声が聞き取れなかったのは声が小さかったのと若菜の大音量の叫び声が聞こえたからだ。キャリーバッグをゴロゴロと大きな音をさせながら引っ張って駆け寄ってきた若菜は私にグッと顔を近付けて言った。
「なんで椿泣きそうなの!?」
「え、な、泣いてないよ?」
少し悲しかっただけで泣いてないのに若菜は私の言葉を聞かずに先輩の服の裾を掴んだ。
「なんで泣かせるの!!また酷いこと言ったの!?」
勘違いして先輩に詰め寄る若菜に私は慌てて止めに入る。
「わ、若菜、違うよ!!ゆ、結城くん!!」
今着いた結城くんも何が起きてるのかわかって苦笑いすると若菜の肩を引いて先輩から引き離した。
「若菜、坂下さんは泣いてないんだから落ち着いて」
「泣きそう!!」
「大丈夫だよ、若菜。心配してくれてありがとう」
「椿……」
私がそう言うと若菜は少しだけ涙を貯めた目を擦って私に抱きついてきた。
「椿大好き!!」
「う、うん。私も大好きだよ。でも近所迷惑だから大きな声出すのはやめてね」
「椿が怒ったー!!わーん!!」
「お、怒ってないよ!!」
若菜の勢いによろめいてしまいそうになるのをかろうじで踏みとどまってやんわり注意したら若菜は泣き真似をしだしてしまった。私は怒ってないよとごめんを繰り返しながら若菜の背中を擦る。そして心の中でもう一度お礼を言った。
いつも本当にありがとう
しばらくして先輩は少し苛立ったように時間とだけ言うから私は慌てて若菜から離れた。少しだけ怖かった……。
「ご、ごめんなさい、時間私のために早く帰ってくれたのに」
「そ、そうじゃないよ。もう21時になるからそろそろアパートに入った方が良いね。部屋に入るの確認するまで待ってても良い?」
「え、そこまでしなくても……」
先輩はいつもと同じ調子で言うけどますます子供扱いされてるみたいでどきまぎしてしまう。
「良いから良いから」
そう先輩が優しく笑って言う。
「じゃ、じゃあ行きますね」
「うん、おやすみ」
そして若菜に鍵を返してもらう。
「2人も今日は本当にありがとう。また連絡するね」
「連絡するしまた遊ぼうねー!!」
「じゃあまたね」
3人に手を振って私はアパートへと歩き出した。少しして後ろから若菜の痛いという悲鳴が聞こえて驚いて振り向くと先輩と若菜がなにか言い合ってるのと結城くんが苦笑いしながら私に手を振ってるのが見えた。
私は首を傾げるけど今日1日の出来事を思い返して、楽しかったなと思いながら再び歩き出した。




