思いがけない再会
定時の18時を少し過ぎた頃間宮さんが会社に戻ってきた。
「坂下、さっきはありがとな」
「いえ、お帰りなさい」
「もう上がれそう?」
「大丈夫ですよ」
「じゃあちょっと待っててくれるか?」
「はい!!」
どんな人と飲むのかわからないけど最近飲んでなかったから楽しみ。そんなにお酒強いわけじゃないけど1人でも居酒屋に行くことはあるし、居酒屋の雰囲気とかが好き。
「間宮くん、坂下さんと飲みに行くの?」
「そうなんですよ。青木さんもどうですか?」
「私は帰って夕飯作らないと」
「わー!!青木さん主婦みたいですね!!」
「主婦だから。みたいじゃなくて主婦だから。……坂下さんって真面目でしっかりしてるけどちょっとずれてるよね。間宮くん、変な所連れてかないでね」
「変なとこってどこですか!?大丈夫ですよ!!」
「本当かなー……。坂下さん!!」
「え、はい!!」
頼れるお兄さんみたいな間宮さんが青木さんと話していると少し子供っぽくなるから見てるといつも不思議だ。なんでも青木さんの弟さんが間宮さんに似ているそうで、からかうと面白いと以前話していた。
そんな2人のやりとりを眺めていたら普段大きな声を出さない青木さんが大きな声で私を呼んで私の両肩をがっしり掴んだ。
「知らない人に声をかけられても無視すること。21時前には家に帰ること。良い人だと思っても気を許さないこと。良いわね?」
「ええっ……。はい?」
「青木さん、そんなに心配しなくても大丈夫ですって」
「坂下さんから見たらどんな極悪人でも優しい人、良い人になっちゃうんだから、心配しすぎってことないのよ」
良いわね、と笑顔なのに目が笑ってない青木さんに圧倒されながら私は首を縦に何度も振った。
「よし、じゃあ私はあがるね。お疲れさま。間宮くん、頼むわよ」
「信用ないですね……。わかってますよ。お疲れ様です」
「あ、お疲れ様でした!!」
いつの間に帰る準備をしていたのか、青木さんは鞄を持って私たちに手を振って部屋を出て行った。
「はあ、疲れた……」
「え、大丈夫ですか?」
間宮さんが肩を落として席に座った。
「大丈夫大丈夫。って、もうこんな時間だよ。急がなきゃ」
「あ、本当ですね。もう40分です」
約束は19時だ。お店はこの近くらしいけどぎりぎりになってしまいそう。私も帰り支度を始めた。
「よし、行ける?」
「はい!!」
2人とも、ものの5分で仕度を終わらせて部屋を出る。そして会社から出ると6月らしく少し湿った空気がするけど蒸し暑さが和らいで涼しい。
「今日は涼しくて良いですね」
「昨日なんて夜でも暑かったからな」
「そうですね。あ、ところで今日飲むのって誰なんですか?」
「え、言ってなかった?」
「はい」
取引先の人だと言ってたけど誰かは言ってなかったはず。
「そうだったっけ?……ま、いっか。その方が……」
「え?すみません、後半聞こえなかったんですけど」
どんどん小さい呟きに変わって隣で話しているのに聞き取れなくなっていた。
「え!?いや、なんでもないよ、気にしないで」
「はあ……。それで、取引先の方とおっしゃってましたけど」
「ああ、そう。取引先の人なんだけど偶然大学の後輩でね」
「え、そうなんですか?偶然ですね」
「ああ。だから担当がそいつに変わって再会した時は驚いたよ」
「それは驚きますね」
私も今年仕事に慣れてきた春にシラン商事の担当者がこの人に変わると、あの人の名前を聞いた時再会した気持ちになって衝撃的だった。そんなわけない、すぐに同姓同名だと思い直したけど動揺して1週間くらいは仕事が手に付かなかった。
「あ、この店だよ。ちょうど21時だな」
「はい」
間宮さんが立ち止まったのは以前営業課で来たことのある海鮮メインの居酒屋だった。2人でお店に入ると右奥から誰かが立ち上がって手を振った。
初め店員さんで隠れていたけど店員さんが移動してその人が見えた。
「うそ……」
その人は忘れるはずがない、7年前と変わらない優しい笑顔で手を振るその人は私が初めて恋したあの人だった。
立ち止まって動かない私を気にしていないのか間宮さんは私の腕を引っ張って彼がいるテーブルに進む。
「佐々木、悪いな。ぎりぎりになっちまって」
「いえ、お疲れ様です」
下を向いている私の上で2人が親しげに話してる。
「坂下、シラン商事の佐々木隼人だ。俺の大学の後輩でもある」
ええ、そうですよね。どれだけ否定しても再会してしまったようだ。
それでもまだ認めたくなくて顔をあげることができなかった。
「坂下さん、久しぶり」
けど7年振りの彼の優しい声に私は思わず顔をあげていた。
「……」
彼はあの頃と変わらず優しくて笑っていて私は何も言えなかった。二度と会わないとは思ってなかった。
彼があの子と関係ある以上、いつかは再会するとわかっていた。その時は当たり障りのないことを言ってすぐにまたさよならして……と何度もシミュレーションしてた。こんな形での再会なんて望んでなかった。
「坂下、とりあえず座ろう。もう腹へって死にそうだ」
「間宮さんはまたおにぎり1つですか?」
「そうなんだよ。あれじゃ食べたうちに入らないよな。あちこち駆け回ってるってのに」
「大変ですね。どんどん食べましょう」
「そうだな」
気が付くとテーブルには人数分のビールと料理が並んでいた。
「坂下、乾杯するぞ」
「え、えっと……」
私はまだこの状況についていけていなかったけど間宮さんにビールを持たされた。
「間宮さん、何に乾杯するんですか?」
「そうだな……」
間宮さんは言葉を区切ると私を見て苦笑いした。
「とりあえず坂下の、佐々木との不本意な再会に乾杯といこうか」
その言葉に私は目を見開いた。そうだ、どうして私が彼と知り合いだと知っているのか。それになぜ私が彼に会ってこんなに動揺しているのか知っているのだろうか。
なぜかわからなかったけど2人は私の気持ちを知っているはずなのに何も言わなかった。
グラスを合わせた音が虚しく鳴った。だけど時間は止まってくれない。
「坂下さん、今日は見積書ありがとう」
「え、あの……いえ……」
そして7年ぶりの会話は仕事のことだった。
「俺と佐々木は大学のバスケサークルの先輩後輩なんだ」
彼は小さい頃からバスケをやっていて頭も良かった。間宮さんが教えてくれた大学は私たちの地元から電車で通える距離にある国立大学だ。
「そうなんですか……。えっと、国立大なんて頭良いんですね」
「坂下、お前それどっちに言ってる?俺か?俺が国立行ってたの意外だって思ってる?」
「い、いや……2人ともですけど!!間宮さんが頭良いのも普段からわかってますから意外だと思ってるわけないじゃないですか!!」
間宮さん酔ってるのかな。まだ乾杯したばかりだけど。……あ、でももうビールなくなってる。早い。
「間宮さん、近いですよ」
飲み会での間宮さんはこんなだっただろうか。あまり覚えていないけど今みたいに1杯で酔うことはないはず。なんだかテンションが高い気がする。
今の私たちは、壁側に彼が座って入り口側の彼の正面に間宮さんが座ってその隣に私がいる。
間宮さんは気分が良いのか私を覗きこむように見ていて彼が注意するとニヤニヤと笑って元の体勢に戻った。
「はいはい。まったく、心が狭い男だな」
「間宮さん、存分に酔ってもらって良いですけど1人で帰れるくらいにしてくださいね」
「はいよ」
彼が間宮さんとお酒を手に話してるのは不思議だ。思い出す彼は当然だけど高校生でお酒も飲んでいなかった。
「で、2人ってことは俺が通ってた大学のこともあいつから聞いていなかったんだね」
「え?あ、ああ。……はい」
私に話を振られるだけで動揺する。彼が"あいつ"と親しげに話すのは彼女のことだ。
彼の想い人で私の親友。あの頃彼が彼女のことを話すたび、見るたびに私は心がきりきりと痛んだ。
こんなに月日が経ったのにこんなに痛むならいつかすると思っていた再会の時にも同じことだっただろう。それが思いがけないタイミングで少し早まっただけ。そう思うことにしよう。
「実家から通って、バスケサークルで間宮さんに会ったんだよ。間宮さんはこの辺りが元々出身でこっちで就職したけど俺は去年まで同じ県のシラン商事の支社にいてね。今年本社勤務になったんだよ」
「そうなんですね」
会ってしまったものは仕方がない。できないだろうけどできるだけ自然に話をしないと。
「佐々木、お前次も生で良いよな?」
「はい、坂下さんはレモンサワーで良い?」
「え?……はい」
「すみませーん、生2つにレモンサワー1つ頼みます」
……なんで2杯目がレモンサワーってわかったんだろう。彼とお酒を飲むのは初めてのはずなのに。
私の怪訝な表情に気付いたのか彼は苦笑いした。
「間宮さんに聞いたことがあったんだよ」
「間宮さんに?」
「うん。初めの1杯はビールで2杯めはレモンサワー3杯めからはカクテルかソフトドリンクだってね」
「別にそれくらい話したって良いだろ?減るもんじゃないし」
「それは……そうですけど」
そういう問題じゃなくて私の話をしてること事態が問題なんです、とは言えない。
何だって知らない所で私の話なんてするんだ。彼だって昔少し付き合ってただけの女の話を聞いても楽しくないだろうに。
2杯めを飲み始めて間宮さんがよりいっそう饒舌になって大学時代の話をする。彼と話すのは気まずい私は聞き役に徹することができて安心した。彼と間宮さんは学部も同じだったそうでこんな先生がいた、あんな先生がいたと、間宮さんが物真似をして彼がそれを似てると笑う。そのうち3杯めのカクテルも飲み終わった頃時刻は20時過ぎになっていた。
「お、そろそろ帰らないと門限の21時過ぎちまうな」
「間宮さん、それ私のことですか?一人暮らしなのに門限なんてありません」
「いやいや、青木さんにも言われてるし坂下は21時までに帰らないとな」
そういえば青木さんがそんなこと言ってた気がする。だけど子供扱いされているようで少しムッとした私は強い口調で言った。
「子供扱いしないでくださいよ。朝帰りだってしたことありますから」
「へえ……」
優しくて柔らかい彼の声が低く響いた。お店はたくさんの人の声が聞こえているはずなのに一瞬周りの声が聞こえず彼の小さい呟きだけが店内に響いた、気がする。
でもそれも一瞬で彼が優しい笑顔を表現を浮かべて今のが気のせいだったように元のざわめきが戻った。
なんだかいけないことを言った気がしてどもりながら話す。
「バ、バイトです。コンビニでバイトしてて、それでいつもは夕方からのシフトだったんですけど1度だけ頼まれて深夜にシフト入ったことがあって……」
なんで言い訳のように話してるのかと思うけど私が早口でそう言うと彼は笑みを深めてそっか、と一言だけ言った。
私は言い訳したことを恥ずかしく思った。自分が気まずいと思ったのは気のせいで彼は少しも気にしてないように見えた。




