7年越しに知る真実の欠片
目的地に着いて空気を変えられるかな、とほっとしていると先輩の腕が助手席に回ってきた。今度こそ思わず悲鳴をあげそうになって慌てて口を両手で押さえた。先輩は私の様子なんて気にしていないように自然に駐車場に車を停めていた。
だから!!なんで私ばかりこんなにドキドキするはめになってるの!!
心の中で文句を言いながら車から降りた。違うことを考えよう、平常心平常心。
「先輩、退職する方はどんな人ですか?男性ですか?女性ですか?年齢は?」
同じく車を降りて鍵をかけ終えた先輩に声をかける。
「男の人だよ。年は……30代半ばくらいかな」
「それならこういうのはどうですか?」
私は携帯を見せて事前に調べておいたサイトを見せる。
「キーケースとか、ボールペンとか、普通ですけど普段使いできるものが良いと思うんです」
「え?わざわざ調べてきてくれたの?」
「え?……あ、買うもの決まってました?すみません……」
「いや、決まってはないけど……」
頑張って役に立とうといろいろ調べてきたけど余計なお世話だったのかも。落ち込んでいるとポンと頭に手をおかれて身体が熱くなる。
「せ、先輩!!なにするんですか!!」
ブンブンと頭を振ると先輩は手を離してくれた。……まったく、心臓に悪いったら。
「ごめん、あんまり可愛いから」
「だから!!そうやってからかわないでくださいよ!!」
「ごめんごめん」
「思ってないですよね!!いつもいつも!!」
「まあまあ。とにかく行こう。外は暑いし」
確かに7月に入ってますます暑さが増してきて早くも今日は猛暑日だとニュースでもやっていた。暑いのに余計に暑くなってしまったとぼんやりしているうちに店内へすたすたと歩き出してしまった先輩を慌てて追いかけた。
「お昼は食べた?」
「はい。軽くですけど。先輩は?」
「朝と昼同じだよ」
「そうなんですか?昨日も遅くまで残業だったんですか?」
「まあね。でも朝から予定がない日はだいたい10時過ぎまで寝てるよ」
「お休みの日はゆっくりしたいですもんね」
「そうそう。あ、こっちだよ」
「え?……こっち?」
『アクアリウムはこちら』
と書かれた看板の示す方へ自然に進んでいく先輩にまたしても置いていかれて追いかけた。追い付くと同時に先輩に問いかける。
「先輩、アクアリウムって?」
「うん。きっと綺麗だよ」
「え、それは綺麗だと思いますけどなんなんですか?行くんですか?」
「駄目?」
「いや、駄目じゃないですけど贈り物買うんじゃないんですか?」
「そんなの後でいいって」
「え……そんなのって……」
今日はお世話になった上司への贈り物を買いにきたはずだよね。そんなのって……。
「ちゃんと後で買うんだから良いの。キーケースかボールペンだったね。たしか3階にあるはずだよ」
「え、なんだか適当すぎじゃ……」
「ほら、着いたよ」
もうこれじゃあなんのためにわざわざここまで来たのかわからないよ、と思いつつも先輩って昔からマイペースでちょっと強引なところがあったなと懐かしく思う。先輩が素早く入場料を支払ってまた慌てる私を宥めながらそのアクアリウムへと入っていった。
結果的にアクアリウムはとても良かった。照明を暗くしてライトアップされた水槽で泳ぐ魚たちはとても綺麗ですぐに夢中になって見入ってしまった。しかし2階にあるハワイアン風なカフェに入って注文を終えた頃にはうっとりした気分も冷めてきてアクアリウムに入る前の不満が復活して不機嫌さを隠せなくなった。
「なんで怒ってるの?」
「だってまたお金先輩が払っちゃったじゃないですか!!」
「えー、そんなにこだわる?」
「当たり前ですよ!!気にしてください!!」
付き合っていたら男の人に払ってもらってもまあ、そういうものだろうと思えるけど今の私と先輩はあくまでも高校時代の後輩と先輩だ。気にしすぎかも知れないけどそこは2人とも今は立派な社会人だしお互い一人暮らしだしもっとシビアに考えても良いはずなのに。私って頭固いのかな……。
「わかった。じゃあ食事代は俺が払う。で、他はそれぞれでってことにしよっか」
「あんまり変わらなくないですか……?」
「良いの良いの。だいたいなんでそんなに頑なに奢らせてくれないの?前はそうじゃなかったのに」
「それは……だって付き合ってる人には奢ってもらうものだって雑誌に載ってたんですもん」
付き合っていた時のことに触れるのは気まずくてどんどん声が小さくなった。そんな私に対して先輩は気にしてる風ではなく、普段と変わらない様子で言った。
「ああ、そういうこと。昔から勉強熱心なのは変わらないね」
……勉強熱心とは、違う気がする。なんだか気が抜けてしまう。
「……じゃあさっきのアクアリウムは払いますね」
「え、なんで?」
「今先輩が食事代以外はそれぞれだって言ったからですけど……?」
「今言ったんだから今から適用されるんだよ。さっきのは無効」
「そ、そんな……」
なんだか丸め込まれた気がしないでもない。でもこのやりとりを永遠にやっているのも疲れてしまうと思い直した。
「もう、わかりました。じゃあ今からですね」
「うん」
「……先輩、なんで嬉しそうなんですか?」
「そう見える?」
「見えます」
いつも微笑んでる先輩だけどなんだか今日はずっと楽しそうだ。
「そう。でもまだ教えてあげない」
「え?どうしてですか?」
「どうしても」
「んー……。わかりました」
そう話していると頼んでいた料理がきた。先輩はコーヒーだけで、私も飲み物だけにしようかと思ったけど美味しそうだったパンケーキも頼んでいた。いただきます、と言って一口食べると頬っぺたが落ちるくらい甘くて美味しかった。
「んー美味しい!!先輩も食べますか?」
「俺は良いよ」
「本当に美味しいですよ?先輩も甘いもの好きですよね?」
若菜とご飯に行くといつも甘いものをお互いに食べ合っているから普通に聞いたのにその答えに頭が真っ白になった。
「いや、甘いものは苦手なんだ」
「え……?」
そしてあのクリスマスイブの日が頭を駆け巡る。
「……先輩甘いの好きって。……あれから苦手になったんですか?」
「んー、いや、昔からね。でもまったく食べれないってわけじゃないよ」
「でも……でもあの時はそんなこと言わなかったじゃないですか」
そういえばあの時先輩は好きとは言ってなかったような気もする。あれも先輩に無理させてしまってたんだ。どうして?苦手だって言ってくれたらそんなに甘くないケーキを勧められたのに。
「そうでも言わないとダイエットだって全然食べてなかったでしょ。それに昴が教えてくれたよ、若菜が落ち込んでるって。軽い気持ちでダイエットしてるって言ったら坂下さんがどんどん食べなくなって痩せていくから自分のせいだって。」
「え……そんな……若菜が?」
そんなこと知らない。若菜もなにも言ってなかった。大人になってからもそんな話してない。私先輩だけじゃなくて若菜にも心配かけてたんだ。それにそんな若菜のそばで結城くんも気が気じゃなかっただろう。
「どうして誰も言ってくれなかったんですか?言ってくれたら私……」
ふと思う。言ってくれたらなにかが変わっただろうか。あの頃の私は誰かになにか言われても聞けなかったかもしれない。
「……言っても無駄だと思ってたんですか?」
「そういうんじゃないよ。ただ、俺たちの誰かが言ってもあの時はまだ坂下さんに声が届かないだろうって思ったけどね」
やんわり言ってくれたようだけど言ってることは同じことだ。本当に周りが見えてなかったあの頃の自分が情けない。
「それに、俺が本当のことを言ったら……」
「そうですね!!聞く耳持たずでしたよね、私って本当に馬鹿でしたよねー!!」
その後のことにも触れようとした先輩の話を、思わず明るい声を出して遮った。また逃げてしまった。逃げないって決めたのに。本当に私ってダメダメだ。
「ううん。坂下さんはいつも一生懸命で頑張ってくれてたよ。気付いてあげられなかった俺が悪い。だから自分を責めないで」
どうして私の周りには優しい人ばかりいるんだろう。どう考えても私が悪いのに気を使ってこんな風に言ってくれるんだろう。俯いている私の目から1粒涙が溢れてしまう。と、その時目の前にハンカチが差し出された。
「泣かないで。こんな所じゃさすがに俺も上手く慰められないしね」
その言葉にここが人の多い休日のショッピングモール内のカフェであると思い出す。
「す、すみません……」
「良いよ。続きは後でね。先に食べちゃおう」
「す、すみません……」
もう謝ることしかできない。いろんなことを申し訳なく思いながらパンケーキを完食した。甘いけど少し苦くも感じた。




