代わりに
「付き合おう、椿」
優しく笑う先輩の目元にはくっきりとクマができていて顔は疲れきってきた。彼の様子は失恋した痛みを必死に隠しているようで、それが痛々しく感じた。
好きだった。希望がないってわかっていたのに諦められず、好きの気持ちを抑えられなかった。
私は卑怯ものだ。私は自分が言ってしまった身勝手な言葉を後悔した。彼の傷付いた心に付け入ってしまった。だから私は思う。
彼が少しでも気が紛れるように、心が晴れるように、彼に元気になってもらえるように、彼のために若菜の代わりにそばにいよう。
それから先輩は自分の腕から私の手をそっと離した。動揺してずっと掴んだままだったと今気付いた。
「とりあえず連絡先、交換しようか」
2人で会っても私が喋ってばかりであっという間に時間が過ぎてなんだかんだと聞く機会がなかった連絡先を今になって交換した。
携帯に先輩の名前が表示されて複雑な気持ちになった。
「じゃあ、帰ろうか」
「……はい」
先輩に手を繋がれてまた複雑な気持ちになる。本当はこの場所には若菜が……。
そしてその日は先輩の何気ない話に頷いたり問いかけに答えたりして駅まで着くとそのまま別れた。
家に着いて部屋で呆然としていると携帯にメッセージが届いた。先輩からの初めてのメッセージだった。
『火曜日、一緒に行こう。8時半に駅で待ち合わせで大丈夫?』
先輩はやっぱり優しい。こんな形で付き合うことになっても彼氏でいようとしてくれる。だから私も先輩のためにできることをしないと。
土曜日、私は1人で電気屋に行ってコテを買い、洋服のお店で女の子らしい洋服を買い。本屋で若菜が読んでる女子高生に人気の雑誌を買った。
家に帰ると雑誌を見ながら制服を着崩して以前若菜が教えてくれた動画を見ながらコテで髪を巻いてみた。そしてクローゼットの中を半分空けて今買ってきたばかりの洋服をしまった。半分はいつも通りの黒と白のシャツやパンツ。もう半分は新しいパステルカラーのブラウスやスカート。
しまい終えると携帯の写真フォルダを開き、若菜と撮ったたくさんの写真を見る。これで若菜に近づけるだろうか。
私と若菜の見た目は正反対で若菜が身長150センチの小柄で可愛らしいのに対して165センチの女子の平均より少し高めで10人に聞いたら1人くらいは美人だとお世辞を言ってもらえるような私。似せるのは困難だと思うけどやってみなければわからない。性格は変えられないから見た目だけでも若菜に寄せてみた。
うちの学校は校則がそこそこ緩いから私も制服を真面目な着方でしていたわけではなかったけど若菜が読んでる雑誌に載ってる流行りを勉強した。
時には若菜に直接アドバイスをもらうこともあった。
「若菜、この雑誌に載ってるスカートなんだけど……若菜はどっちが良いと思う?」
「あー可愛いよね!!私はねー、こっちの小さいお花のが好きだけど椿にはこっち……いや、椿にもっと似合いそうなのがもっと後ろのページにあって……」
若菜なら小さいお花を選ぶんだ。
「ねー、若菜……この動画のアレンジが上手くできないんだけど……」
「見せてー!!……うん、大丈夫。やってあげるね」
「ありがとー」
私が一生叶わないと思って考えたこともなかったけど先輩には若菜と付き合ったらやりたいことがあったんじゃないかと思って先輩がしたいと言うことはなんでも喜んでやった。
先輩は優しいから好きでもない私のことをちゃんと彼女として扱ってくれる。時々先輩は私のことが好きなんじゃないかって勘違いしてしまいそうになることがあるから自惚れないように一定の距離を保つように気を付けた。
先輩に元気になってもらいたくて、自分の気持ちを隠して寄り添うように先輩のそばにいた。
先輩と付き合って1ヶ月、10月のある日の放課後、私は先生に書類のプリントとホチキス止めを頼まれた。先輩とは放課後毎日一緒に帰っている。私の部活がある火曜日と木曜日は部活が終わるまで待ってくれる。だからたまには1人でゆっくりしたいだろうと思って、用事ができたので先に帰っていてください、とメッセージを送って複合機がある教室に行った。コピーが全部終わるまで課題をして、さて、一気にホチキスでカチャカチャやろうと思っていると教室のドアが開いた。
「椿」
「あ、佐々木先輩……すみません」
教室に入ってきたのは佐々木先輩だった。メッセージを送ったけど直接一緒に帰れないことを謝った方が良かったのかな、とまず謝ったけど先輩は気にしてないように私の謝罪に答えずに聞いてきた。
「用事ってどうしたの?」
「授業で使うレジュメです。人数分プリントしてホチキスで止めておいてって頼まれてしまって」
「椿は本当に人がいいね。彼氏を放って頼まれ事を優先するなんて」
「う……ごめんなさい」
「良いよ。それが椿の良いところだからね。これ全部プリント終わったの?」
「はい、あとはとめるだけです」
「オッケー」
「え、オッケーって、先輩!?」
「手伝うよ」
「そんな、悪いです!!」
「1人より2人でやる方が早く終わるよ。そしたら一緒に帰ろう」
「先輩……ありがとうございます」
結局気を使われてしまった。既にホチキスとプリントを手にしている先輩は私が食い下がっても手伝ってくれるのだろう。そう思って素直に感謝して先輩と2人でやることにした。
あれ……そういえばなんでここにいるってわかったんだろう……。
ふと、疑問が浮かんだけど先輩が話す今日あったことの話を聞いているうちに、その疑問は初めからなにもなかったようにさっぱりと頭の中から消えていた。
そしてあっという間に終わり先生に渡して先輩と手を繋いで一緒に帰る。
「先輩、たまには1人で帰らなくて良かったんですか?」
「良いんだよ。俺は椿と帰りたいんだから。椿は俺と帰りたくなかったの?」
「私は先輩がしたいことならそれで……」
「……」
先輩が握る手に力が入ってどうしたんだろうと、先輩の顔を見上げる。先輩180センチの長身で女子の中では高い方の私でも見上げる形になる。私には顔を向けていない時、今みたいに真っ直ぐ前を見る時の先輩の表情はいつもよくわからない。
「今度の休み、どこに行きたいか決めた?」
「……この前も言いましたけど先輩が行きたい所で良いですよ?」
「椿は行きたい所ないの?」
「先輩が行きたい所に行きたいです」
「……はぁ」
あ、またため息だ。先輩は最近ため息をつくことが多くなった。やっぱり私と付き合うことにしたことを後悔しているのかな。やっぱり若菜が良いって思ってるのかも。
「じゃあ、映画館にしようか」
「良いですよ」
「DVDじゃなくて良いの?」
「良いですけど、どうしてですか?」
「椿、家で観る方がリラックスできるって言ってたから」
「あー……。そうですけど先輩が映画館で観たいなら良いですよ」
「椿、無理してない?」
「全然してないですよ?たまには大きいスクリーンで観るのも良いですよね」
「……そうだね」
先輩が笑いかけてくれる。若菜に向ける熱い視線は向けてもらえないけど私は先輩の優しい笑顔が好きなんだからこれで良いんだ。先輩の悲しげな顔より何万倍も良い。一時だけでも良い。私と付き合うことで一瞬でも先輩の気が紛れる時があるなら私は幸せだと思えた。




