【枕返し】は最強の妖怪であるとここに提唱するためだけの小説。
妖怪【枕返し】。
夜な夜な眠る人の枕元に現れ、その人を布団の上でくるりと一八〇度ばかし回し、頭の向きと足の向きを入れ替える形にして去っていく。
おちゃめな悪戯大好き妖怪。【小鬼】の一種とされる説もある。
基本的に余り害は無いとされている。
ただし南枕で寝ていると北枕にされてしまうので「お、俺は今……き、北枕で寝ていたのか……!? まるで死人になった気分じゃあないかッ……!! ふ、不吉だぞ……すごく不吉だ!!」とメンタル面に若干の爪痕を残される危険性はある。
今夜は奴が来そう、と感じた日は、西か東に頭を向けて寝よう。
もしくは枕元にブービートラップを仕掛けておくといいだろう。
◆
ネルゾ・十九穂・マクラーレンはイギリス紳士の血が四半分ほど混ざった日系クォーターの男子中学生である。
旧知の者は彼を【ネッちゃん】と呼ぶ。
日系の血に二度の侵食を受けながらもその頭髪は輝かしき太陽の様な山吹ブロンド。瞳の色は清々しい蒼穹を思わせるコバルト・ブルー。……ブルー系の瞳は劣性遺伝であるはずだのに。おそらく、「俺達は優勢遺伝子ですからーwww」と調子に乗っていたダーク・ブラウン遺伝子を紳士的不意打ちで駆逐したのだろう。
身長はつい先日一九五センチを超え、趣味のラグビーで自然と鍛えられた肉体はとても筋肉分厚く、お節介焼きの友人に「君の足はまるで丸太の様な足だ!!」と評される。
そんな「お前は本当に男子中学生か!? 実は高校生なんじゃあないか!? 本当の事を言え!!」と問い詰めたくなる様な存在、ネルゾくん(一四歳。本当)の朝は、大体七時を少し過ぎた辺りから始まる。
「……んん~…我ながらよく寝たぜ……」
朝、ジャスト七時。
自身を優しくそして暖かく包んでくれていた毛布をぞんざいな動作で取り払い、ベッドの上で金髪碧眼のマッチョガイ(一四歳だから。信じて)ネルゾが上体を起こした。
「………………むむ?」
起きて早々、寝癖ボンバーな金髪を軽く手櫛で整えながら、ネルゾはふとした違和感を覚えた。
「ワァッツ…何だァ……? 何かいつもと様子が違うぜ、これは……」
僅かばかしの違和感……その正体は……
「……!! オーマイゴォ……何てこった……俺は今、【北に枕を向けて寝ていた】!!」
そう、逆なのだ。いつもと。
いつもは南側にある窓側に枕を置いて寝ているのに……今、ネルゾの視線の先に……【窓】があるッ!!
仰向けに寝ている上体で状態…間違えた。
仰向けに寝ている状態で上体を起こしたら、南の窓が見えた……これ即ち……
「ファック・シッッッ!! ちくしょう!! 【北枕】と言えばお通夜なんかでホトケサンを寝かせる方角だって聞いてるぞ!! 不吉じゃあねぇかよ~……うぅ……俺はよォ~…こう言うのすげぇ気にするタチなんだぜ、ちッくしょぉぉ~……!!」
いくらガタイが良いと言っても、ネルゾは一四歳(本当だから。イギリス紳士の屈強な遺伝子が悪さしてるだけだから)。
その心はとってもピュア。
未だに「クリスマス・イヴの夜にプレゼントを持ってきてくれる人と言えば?」と聞かれればキリッとしたハンサム顔で「そんな事も知らねぇのかよ……やれやれ。イイぜ、教えてやる。……サンタクロースさんだ」と堂々喝破するし、カラスに睨まれて鳴かれたら【股の間からそのカラスに向かって石を投げる】と【カラスの呪い】から逃れられると信じている。ハロウィンの時は思春期にありがちなテンションで「子供の遊びだ」なんて斜めに構えたりせず実にピュアなハートで取り組み、本気を出し過ぎた結果、不審者一一〇番された。
なので、【北枕】で寝ていた……それだけの事でも精神的なダメージはとっても大きい。
ネルゾはもう既に半泣きだ。精神的グロッキー。
「何で……何でホワァイ……何で俺は【北枕】で寝ていたんだ……何と言うスリープ……うぅ……あう……そんな、何故だァァ……」
ちゃんと、南枕で寝ていたはずだのに。何でこうなった。どうしてこうなった。意味がわからない。
もしこれが寝相の問題なら、寝相が悪いなんてレベルじゃあない。寝相が絶望的だ。枕や毛布まで綺麗に巻き込んで一八〇回転するなんて。
本当に寝相? え、マジなの? だったら俺は俺が恐いぜママン。
混乱と恐怖の余り、ネルゾの涙腺は限界をオーバー。
ネルゾの頬を伝い、そのやや尖った顎から涙が一雫がドロップした……その時。
そのティアドロップを、小さな掌が受け止めた。
「……えッ……!?」
「……ご、ごめんなさい……まさか、この悪戯でそんなガチ泣きされる日が来るとは夢にも思わなくて……」
それは、聞きなれぬ幼い声だった。
「なッ……ふ、Who!? て、テメェは誰だァ!?」
思わず、ネルゾはクールでない大声を上げてしまった。
それも仕方無い。
ベッドの下から見知らぬ左前襟の白装束を纏った一〇歳くらいの女児が這い出してきて、自分の涙をその可愛らしい掌で受け止めたのだ。
例えイギリス紳士の血を四半分受け継いでいたってビックリする。このビックリに国籍は関係無い。
「あ、私その……犯天真暗子って言います……はじめまして」
「お、おおう……はじめまして……お、俺はネルゾ・十九穂・マクラーレンだ」
「長いですね」
「それはまぁ……クォーターだからな。国境を越えて色々と背負っている」
それはさておき。
「……へい、リトルレディ真暗子。ちょいと質問なんだが……何でベッドの下から? と言うか、さっきの謝罪は一体……」
「あ、一から説明しますね。私実は、【妖怪】でして。【枕返し】と言う【鬼】の一種です」
「…………よ、妖怪だって? しかも……【鬼】? おいおい、おいおいおい……俺が坊やだからって馬鹿にしているのか? 流石にそりゃあない。人を疑うのは悪い事だとグランマが言っていたし俺も全く同意見だが……それを踏まえた上で前向きに検討したって……悪いが、信じられないぜ」
真暗子は少々ファッションセンスがイカれちゃあいるが、それ以外は至って普通の女の子だ。
正直、「【座敷童】です」と名乗られた方がまだ信憑性がある。
「本当ですよ? 多分、下半身を見ていただければ納得してもらえるかと……よいしょ」
「下半身? なんだ? 下半身に妖怪らしさがくっついてるとでも………………」
ベッドの下から這い出し、自らの横に座った真暗子の下半身を見て、ネルゾは絶句した。
なんと、真暗子のお腹から下は……
「ま、枕ッ!?」
そう、真暗子の腰に当たる部分は、枕だった。身に纏っている着物と同様の白地に薄らと桜花弁と血飛沫の様な柄を散らした枕カバーに収まったシングルサイズの枕。
それも、ただの枕ではない……真暗子の股間にあたる部分から、雄々しい【肌色の角】が一本生えている!! それも血管が通っているらしく、角の表面にはいくつかの筋が浮かび、熱い心臓の様にドクンドクンと脈打っていた!! 先端が若干膨らんでおり、少々ピンクがかっているのも特徴的だ。
「下半身が枕……なるほど……【枕返し】だから……なのか? まぁそれは置いといて、その突起物は【鬼の角】って訳か……」
「はい。察しが良いですね。あ、角には触らないでくださいね。鬼の角はとっても敏感なんです」
下半身が枕で、股間の辺りに極太に脈打つ敏感な角を生やした女児……成程、絶対に人間ではない。
ネルゾは確信した。
妖怪だこいつ。
「初めて見た……妖怪。ん? まぁそれは納得したから良いとして……何で【枕返し】と言う妖怪の君が俺のベッドのアンダーグラウンドに? と言うか【枕返し】って何だ?」
「その……【枕返し】はですね……【人の向きを反転させる能力】を持っていまして……」
「?」
「こう言う能力です」
真暗子の小さな手が、ネルゾの分厚い胸板を軽くタッチ。
すると……
「うおッ!?」
ふわぁ、とネルゾの身体が、浮いた。
「な、なんだ!? 何が起きている!? え!? なにこれ恐い!! ヘルプミー・ママァン!!」
「落ち着いてください」
ゆっくり、何かに細心の注意を払う様にゆっくりと、真暗子が掌を回転させていく。
すると、それに合わせてゆっくりとネルゾの身体も横方向に回り始めた。
「おぉ……おおおお、ぅおぉおおおおお……!?」
最終的に、ネルゾは綺麗に一八〇度回転した形になり、お尻からベッドにふんわり着地。
「で、最後に枕を仕込めばコンプリです」
そう言って、真暗子はネルゾの枕を手に取って、呆然としているネルゾに軽くパス。
呆然としつつも、趣味のラグビーで鍛えられたパス反射能力が作用してネルゾは枕をキャッチ。
枕の中で蕎麦殻が立てたザランッと言う音で、ネルゾはハッと我にかえる。
「ィ、いい、今のはまさか【ヨージツ】か!?」
「妖術…妖怪科学技術とはまた別ですが、まぁ妖怪特有のものであると言う点では一緒ですね」
「は、ハラショー……!!」
ロシアの血は流れていないはずのネルゾでも思わずハラショーと口走ってしまう。妖怪ってすごい。
「ん? 待てよ。と言う事はまさか、俺が【北枕】で寝ていたのは……」
「ご、ごめんなさい……」
「……理由を聞かせてくれないか。感情のままに怒鳴りつけるのはナンセンスだと思ってはいるが……理由によってはそれも辞さないぞ」
「………………生きるためなんです……」
「……何?」
「私達【枕返し】は、正確には【小鬼】と呼ばれる分類に属します。【小鬼】は……人間に悪戯をして、その人間がリアクションをする時にこぼす【生気の欠片】を定期的に摂取しないと……」
「まさか、死…」
「いえ、流石に死にはしませんが」
「あ、そう」
「ただ、いざという時に力が出ないんです。元気が出ないと言いますか、低血圧的な……? とにかく、日々を活力的に【生きるため】、【枕返し】は人に悪戯をするのです」
「成程……ハリのある生を全うするために止むなしと……」
そんな事情があったのでは、叱責するのはお門違いだな……とネルゾは溜息。
彼女は【枕返し】としての生を遂行しているに過ぎない。
言うなれば、彼女が人に悪戯をするのは、犬が散歩をしてストレスを抜き、健やかな精神を得るのと似た様な行為。
生命維持に絶対必須な行為ではなくとも、死に瀕した時に過去を振り返り、良い生であったかどうか、悔いが残るかどうかに影響する事。
即ち【死に際】の心持ちを大きく左右する要素。
死とは生の集大成だ。
死に大きく影響するのであれば、それは生にも大きく関わると言える。
生の遂行は生命体の宿命。
そして、どうせ生きるのであれば、より良い生を求めるのは生命体の性。
善悪を決めつけて咎め立てるべき事ではない。
「軽い気持ちでした……私が今まで悪戯をしてきた人達は皆、『ビックリだぜおい。不思議な事もあるもんだ』と軽いリアクションだったので……いつの間にか、人に悪戯する事に対する気持ちが軽薄になっていました……まさか、ガチ泣きするくらいビックリする人がいるなんて夢にも思わなくて……本当に、ごめんなさい」
「……頭を上げてくれ。事情はよくわかった。俺はもう気にしていない」
ネルゾが被害は少しビックリした程度。
そして真暗子の行為はそもそもが責め立てるべきでなく、本人はいたく反省している。
ならもう充分だ。
「いえ……このままでは、私の気が済みません……どうか、何か貴方の役に立たせてください!! 何でもしますよ!! 何でも!! ナニでも!!」
「はぁん? いや、別にそんな贖罪みたいな真似はしなくて……」
「私の精神的負担を和らげるためと思って、どうか……」
何て律儀さ…いや、義理堅さか。
切腹の正装たる左前襟の白装束に身を包んでいるだけあり、心は武士か。武士道を行くリトルレディ真暗子。
「オーケイわかった。それじゃあ……」
………………………………。
「……すまない、リトルレディ。特に力を借りたい事は無い」
「そんな殺生な!! 何かしらあるでしょう!? ほら、例えば……そう、年頃の男子なら色々と溜まってるんじゃないですか!? 女の子が何でもしてあげると言っているこの上げ膳据え膳めいた状況に何か感じるモノは!?」
「溜まってるって、何が……? いや、だから特に力を借りたい事は無いんだっての。ドゥーユーアンダスタン?」
ピュアッ。
◆
「いや、そんな躍起にならんでも良いんじゃあ……」
「女の子には躍起になりたい日があるんですよ……!!」
わからん、女心。
やれやれだぜ……と学帽のつばを弄りながら、学ランに身を包んだネルゾが通学路を行く。
その背後からふよふよと空中浮遊して付いてくる真暗子。
ここまでですれ違った通行人は「変わったドローンを連れてるな」的な感じで特別騒ぎ立てる様子はなかった。
「……まったく……」
どうやら真暗子、意地でもネルゾに贖罪をしたいらしい。
「なぁ、リトルレディ。情熱は有り難い限りだが……君自身の予定とかは大丈夫なのか?」
「ご心配なく。妖怪には学校も試験もありません」
そりゃあ楽しそうだ。
「まぁ、君が良いなら良いんだがな……」
何か困った時に手を貸してくれると言うんだ。害になる訳でも無し。
もう彼女の望むままにしてあげよう。
「……ん?」
不意に、ネルゾは違和感を覚えた。
「ワッツ……妙だな」
「? どうかしたんですか?」
「いや……この通学通勤の時間帯に、こんな大通りがこんなに閑散としている事があるものか?」
「言われてみれば……」
今、ネルゾと真暗子はスクランブル交差点のど真ん中に立っているのだが……見渡す限り、人っ子一人いない。
静かだ。遠くを走る車の音すら聞こえない。
視覚障害者に向けて「青信号だよ渡っていいよ」と知らせる【通りゃんせ】だけが異様に響いて感じる。
「……! あ、この感覚は……」
「? どうした? リトルレディ。何かあったのか?」
「ま、不味いですネルゾさん!! 早く【ここ】から出ましょう!!」
「何? こことは……」
「ここは、妖怪の【結界】の中です!!」
「ハァ? 結界……バリアフィールドの事か?」
ネルゾが首を傾げたのとほぼ同時。
「……とおりゃんせ……」
耳に氷柱を突っ込まれた気分だった。
背筋がゾクゾクゾクゥとして思わず変な声が出そうになる……まるでバイノーラル録音の音声作品の様な声が、ネルゾのすぐ背後で響いた。
「づぅ、わぁぁッ!?」
趣味のラグビーで鍛えた脚力と瞬発力を総動員して、ネルゾは思い切り横合いへと跳ねた。
「な、なななな……、み、耳がヒャッて、ヒャッって!!」
「落ち着いてください、ネルゾさん」
「……くふ……こりゃあ、珍しい客もご一緒だねぇ……」
ネルゾがさっきまで立っていた場所に佇む、ひょっとこのお面を被った何者か。体格はネルゾとどっこいどっこいか。蓑笠で首から下を覆っている。
「な、ひょっとこマスク……?」
「……【細道童子】……」
「ほ、ほそみち? バショー・マツオ?」
「違います。あいつは妖怪【細道童子】。【細道】と呼ばれる独自の結界に人を誘い込んで悪さをする【童子】…【大鬼】の一種です」
妖怪【細道童子】。
どこまで走っても同じ景色が広がり、小動物一匹すらいない。そんな不思議な獣道に人を誘い、大声を出したり足を引っ掛けたりして驚かせて悪戯をするとされる妖怪。
一通り弄んでは解放するとされているが、気に入った人間は一生閉じ込めて逃がさない。
古くから【神隠し】の一因ではないかとされる妖怪。鬼の一種とされている。
「お、大鬼……ビッグオーガ? 確かに不気味ではあるけど、そんなにおっかなそうには見えないんだが……」
「くふふ……見た目で判断するのは人間の悪い所だよぉ? ……くふふ……そっちの娘は……そのそそり立った肉角、【枕返し】だね。まぁ可愛らしい【小鬼】ちゃんだねぇ」
「……ッ……厄介な事になりました……」
「厄介? ホワイ?」
「細道童子は、結界の中に捕まえた人間にめいっぱい悪戯をします。そんなに酷い事はしないと聞いていますが……」
「聞いていますが……?」
「……おそらく、数時間は解放されません」
「! そ、それは困る!!」
「くふふふ……ええじゃあないか、ええじゃあないか。学校の事なんて忘れて、僕に遊ばれようよ」
ひょっとこ仮面の蓑笠の中から、ヌメヌメとした粘液に塗れたイボイボのドピンク触手が無数に這い出してきた。
「ひっ、で、デビルフィッシュ!? サノバビィィッチ!?」
「タコ要素に反応している場合ですか!? お尻を守りながら下がってください!!」
「下がってくださいって……リトルレディは?」
「……私は、【責任】を取ります」
「せ、責任?」
「ネルゾさんは、私にこう言いましたね、『妖怪は初めて見た』と」
「あ、ああ。妖怪を見たのは君が初めてだ」
「一〇余年生きてきた中で一度も見た事の無い妖怪と、朝の一時間程の内に二度も遭遇するなんて……おかしいと思いませんか?」
「い、言われてみるとそれは……」
「……希に、人間の中にはいるんです。【妖怪不祥事によく巻き込まれる素質を持った人間】が。きっと……私が【呼び水】になってしまったんです。私がネルゾさんに接触した事で、ネルゾさんの中の【素質】が、開花してしまった」
「なッ……」
「だとすれば、私には、あの細道童子の魔の手…もといエロ同人みたいな触手からネルゾさんを守る【責任】があります!!」
「守るって……まさか、戦うつもりなのか!?」
無茶だ。
多少のヨージツが使えるからって、真暗子の様なリトルレディが、あんな禍々しいデビルサノバビッチに勝てる訳無い。
「そうだよ小鬼ちゃん。小鬼である【枕返し】が、大鬼である【細道童子】な僕に勝てると? 【枕返し】の事はよく知らないけど聞いてるよ……枕の向きを変えるくらいしか能の無い、哀れな小鬼だってねぇぇぇ!!」
ビュジュバァァッ!! と怪奇的水音を散らしながら、細道童子のヌメヌメ極悪触手の一本がムチの如くしなって、真暗子に襲いかかった。
「【身の程知らず】は、死ねよ!!」
「ッ、リトルレディッ!!」
目の前の女の子も守れない様な情けない男は、自分のチ●ポを噛みちぎって死ね。
グランマにそう教えられて育ったネルゾは、タコめいた触手への不快感をも振り払って真暗子の前に出た。
が、
「ありがとうございます。邪魔です」
真暗子の手が、ぽふっとネルゾの背中にタッチ。
「ぇ、どぅわ!?」
その場で、ネルゾの身体は縦に九〇度回転、即ち、転ばされた。
真暗子の【人の身体を回転させる能力】だ。
「ちょッ、リトルレディ!?」
急いで顔をあげたネルゾは、瞬間、信じ難い光景を目の当たりにした。
細道童子の極悪触手が、捻じ切れていた。
「ぴゅ、ぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!?」
つんざく様な細道童子の悲鳴。
周囲に悲惨する赤い粘液。肉片。
「……は?」
赤い粘液の飛沫を頬に受けながら、ネルゾは目を丸くしてポカンと開口。転ばされた時に落とした学帽を拾う事も忘れて呆然。
一体、何が起こった? 一瞬目を離した隙に、どんな奇跡が起こった?
「任せてください。ネルゾさん。私、妖怪の【駆除】は嫌いですが、苦手ではありません」
「ちょ、リトルレ…」
ネルゾが呼び止める間もなく、真暗子は飛んだ。
真っ直ぐ、痛みに喘ぎ、ひょっとこ仮面の隙間からあぶくをこぼす細道童子へ向かって。
「お、お前ッ……今、僕の触手になァにをしだァァァァァァッ!?」
今度は無数の触手が、幼気な真暗子へ一斉に襲いかかる!!
和装ロリVS粘液したたる無数の極悪触手!!
「ばっちいからあんまり触りたくないんですが……仕方無い!!」
まるで燕の様にヒュンヒュンと低空を切り裂き、真暗子が舞い踊る。
細道童子の触手攻撃を、全てギリギリで躱したッ!!
だが、それは決して【ギリギリで危なく躱せた】訳ではない。
真暗子は、あえて【意識的にギリギリで躱した】のである。
何故か。
簡単だ。
触手にタッチするため。
「何をしたか……と問いましたね。では、今度はわかりやすい様に見せつけながら、やってあげます」
そう言って、真暗子はその両手を……思いっきり、ぎゅるんと捻った。
今朝、ネルゾを回した時の様に【何かに気を使う様な気配】は微塵もない、思い切りの良い動き。
真暗子の手の回転に合わせて……無数の触手達が、ギュルルルルンンッ!! と回転。
余りの回転力に耐え切れず、ブチブチミチブチャビャバッッッ!! と次々に引き千切れていく!!
「ァ―――」
最早、激痛の余り肺に空気を取り込む余裕すら無かったのだろう。
細道童子の悲鳴に、声は付属していなかった。
「私達【枕返し】が変えるのは、【枕の方向】ではなく【頭と足の向き】……即ち【対象の肉体の向き】です」
加減無しに物を掴んで捻じ回せばどうなるか。
当然、捻じ切れる。
真暗子が今やったのは、ただそれだけ。
人が寝ている向きを変えるだけの能力を応用して、触手の一部分だけを高速で回転させて、捻じ切った。
「見た目で侮るは愚。雑な風評で侮るは更なる愚です」
「ぞ、んば…ちょ、待……」
かろうじて吸い込んだ僅かな息で、細道童子は何を言おうとしたのか。何を乞おうとしたのか。
誰にだって、想像は付いたはずだ。
だが真暗子は、構わなかった。
無言で接近し、細道童子の震える【喉】に……軽く【タッチ】した。そして、
「【身の程知らずは死ね】……貴方の弁ですよ?」
思いっきり、その手を回した。
◆
「さぁ、ネルゾさん。早くこの結界から出ましょう」
「り、リトルレディ……き、君は今、自分が何をしたかわかっているのか……?」
「? ああ、もしかして殺生は好まない主義ですか? 気が合いますね」
「……は?」
「大丈夫ですよ。妖怪はこの程度じゃあ死にません。特に大鬼は。放っとけば再生しますよ」
「あ、そう……」
妖怪ってすげー……
「……にしても、本当に厄介な事になってしまいましたね……もし私の推測通り、ネルゾさんが【素質】に覚醒してしまったのだとしたら……これからも、今日の様な事は起こるでしょう」
「ああ……【妖怪不祥事によく巻き込まれる素質】と言う奴か……」
ベリーハード…やれやれな事になったぜ……とネルゾは学帽を拾いながら溜息。
「……私、決めました。ちゃんと【責任】取ります!!」
「え?」
「ネルゾさんの事は、私が絶対に守り抜きますから!!」
「! ……その気持ちは嬉しい限りだが……」
いくら真暗子が強い妖怪だからって、女の子に守られ続けると言うのもグランマの教え的に気が退ける。
「お願いします……もしこのまま、妖怪に襲われ続けてネルゾさんの身に何かあったら……私……うッ」
「え、泣ッ!? ちょ、そこまで感情移入されると有り難さを通り越えて困惑する!!」
「私のせいでネルゾさんがあんな辱めやこんな辱めやそんな辱めを……ううぅ」
「何を想像して泣いているんだイマジンッ!! ちょ、ああ、もう!!」
女の子を泣かす奴は自分のチ●ポを握り潰して死ね。
そうグランマに教えられて育ったネルゾは、女子の涙に抗う術を知らない。
「わ、わかった。お願いする!! これからも頼んだぞ、リトルレディ!!」
「はい!! 頑張ります!! ずっとお傍に付いて守りますねッ!!」
「あれぇ元気ィ!?」
こうして、ネルゾくんととある【枕返し】の共同生活が始まった。
……ちなみに、【枕返し】には、こんな俗説があるのをご存知だろうか。
【枕返し】は【恋を患ったまま死んだ霊】の【成れの果て】であり、【力】が強まる夜に【想い人】の枕元に現れ、「構ってくれ」「気付いてくれ」と悪戯をし……そして……
―――「早くこっちに来てくれ」と願いを込めて、枕を北に向けると言う。
「ずぅーっと、傍にいますからね…………【ネッちゃん】♪」