第6章ー21
実際、東京においても、黄河の堤防破壊は、大問題になっていた。
代議士の中には、共産中国政府が勝手にやったことなのだから、黄河下流域の住民を、日本政府が助けることは無い、という極論を叫ぶ者まで出る始末だった。
実際、この時の黄河の堤防破壊によって、黄河下流域で何らかの洪水の被害に見舞われた区域は、約6万平方キロメートルに及ぶのでは、とこの当時、推定されており、関東平野の3倍以上、本州の約4分の1の面積が水没した、と言っても過言ではない大被害であった。
当然、被災した住民の数も大変な数になる。
当時、中国本土の人口は、約5億人と推定されていたが、その内のどれ位が、どれだけの被害を、この洪水で被ったのか、想像したくもない、というのが、日本政府上層部の本音であった。
(諸説あるが、少なくとも1000万人以上、1500万人近くが、何らかの洪水による直接被害を被ったのではないか、というのが最有力説である。
黄河の流れは、この堤防破壊作戦により、一時的とはいえ、日満連合による補修作業が完了するまでの間、完全に変更されて、長江へと最終的には流れ込むようになった。
そのため、かつての黄河の北側の一帯では、水不足による旱魃に苦しむことになり、逆に南側の一帯では水余りによる洪水に苦しむことになった。
また、蝗害や伝染病(これまで被害が生じていなかった地域に、日本住血吸虫症が発生したという二次被害まで出ている)といった派生被害も生じた。
これらを考え合わせていくと、最終的には、中国の人民に1億人近い被害者が出たという推計まである。)
とはいえ、占領下にある被災住民を日本政府が救援しなかったら、共産中国政府の反日宣伝をますます利するばかりである。
米内光政首相率いる日本政府は、(内心では不承不承であったが)米満韓等、友好国にも呼び掛けて、黄河下流域の住民の救援活動を行わざるを得なかった。
とはいえ、その救援活動を行うべき地域は、余りにも広大である。
日本政府から現地に展開する日本軍の各部隊に至るまで、悪戦苦闘を強いられる羽目になった。
「日本政府は、完全に我々の罠にはまったようですね」
「ええ、数千万人に及ぶ救援活動、日本政府の負担は大変なものになるでしょう」
「それに加えて、4億人以上の中国人民が、数百万人に及ぶ徐州人民の日本軍による大虐殺を断じて許すな。日本人を絶滅させるまで戦え、と奮起する効果までもたらされました。黄河堤防破壊の効果は、絶大なものです」
「独ソをはじめ、各国政府も、我々に同情的になっています」
(実際には、共産中国政府に同情して積極的に味方したのは、独ソ両政府くらいだったが、各国の市民レベルでは、傍から見る限り、中国内戦に積極的に加入しているのは、日本政府だったことから、米国内でさえ、日本の侵略に苦しむ中国の人民を救え、という運動は、数千万人を集める効果を挙げた。
その流れが変わるのは、第二次世界大戦の勃発以降になる。)
共産中国政府の最上層部では、そのような会話が交わされていた。
「しかし、それによって、数千万人の人民が苦しむことになりましたね」
幹部の一人が、そう発言したが、その幹部は、他の幹部達から、言葉の集中砲火を即座に浴びた。
「何を言うのです。黄河堤防破壊の犠牲者達は、日本の侵略に対する尊い人柱になったのです。彼らは喜んで命を投げ出したのです。それを侮辱するというのですか」
「彼らは、日本の侵略に抵抗して、積極的に命を差し出した愛国者たちです。愛国者を侮辱する等、あなたは、非国民、売国奴です」
その幹部は、即座に人民裁判に掛けられ、非国民、売国奴として、残虐な拷問の末に惨殺された。
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