第6章ー20
6月7日、徐州作戦の終結を、華北方面軍司令部と華中方面軍は、共同で発表した。
この時点で、徐州方面にいた共産中国軍は、表立った組織としては消滅しており、共産中国軍の兵は、住民に紛れ込むか、死ぬか、日満連合軍の捕虜となっていた。
この発表を受けて、日満連合軍は守勢に転じることになった。
土方中佐は、合肥に置かれた第3海兵師団司令部において、情報収集に努めていた。
この徐州作戦によって、日満連合軍は、当初の構想通り、江蘇省等の4省を確保することに成功した。
また、徐州方面に展開していた共産中国軍は、民兵隊を含む約100万人と推定されていたが、日満連合軍によって、捕虜となったり、遺体が確認されたりした人数は、約40万人に達しようとしていた。
これに対して、この時点で、徐州作戦に参加した日満連合軍の損害は、戦死者約1万人(戦病死者や住民救護の際の犠牲者等も含む数字)、戦傷者(戦病者も含む)約3万人といったところで、表面上は、日満連合軍が大勝利を収めたことは間違いなかった。
だが、と土方中佐は、昏い予測を立てざるを得なかった。
裏返せば、民兵隊も含めれば、約60万人もの兵が、徐州方面に潜伏しているということだった。
彼らを武装解除し、善良な住民にするのは、大変な手間がかかることになるだろう。
治安を維持するために、大量の兵を徐州方面に展開するのはやむを得ない話だ。
実際、海兵隊にしても、4個師団の引き上げが決まったが、その4個師団にしても、交替で中国に派遣されるために、動員体制の事実上の維持が決まろうとしている。
海兵隊2個師団が、揚子江(長江)以南の南京、上海方面に駐屯して、この方面の防衛、治安維持に当たることが、先日、東京で参謀本部と海軍軍令部の協議により決まったのだ。
これまでも上海に2個海兵連隊を基幹とする部隊を駐屯していたことを考えれば、それが拡充されただけとも言えるが、どちらにしても海兵隊自身にとっても、日本にとっても重い負担になるのは間違いない。
陸軍も12個師団の内6個師団が、そのまま徐州方面に展開して治安維持に当たることになっている。
また、海兵隊と同様に、国内の一部の師団については、万が一に備えて、動員体制が維持されるらしい。
最も、陸軍としては、動員体制を執るよりも、新設師団等によって、治安維持任務等を行いたいらしく、米内内閣に対して、そのように梅津陸相が訴えているらしい。
新設部隊を作るのも、元々の基盤が小さいことから、中々ままならない海兵隊の自分からしてみれば、うらやましいとしか、言いようのない話だ、と土方中佐は考えていた。
それにしても、6個師団程を現地に残し、それ以外は動員解除を行う予定だったのが、それどころではない動員体制の維持である。
日本にとって、重い負担になると、土方中佐は考えざるを得なかった。
更に、この状況には問題が付け加わっていた。
黄河の堤防破壊の後始末という問題である。
黄河の堤防破壊によって、黄河の下流域全体で、溺死者やそれに伴う疫病の流行等により、どう少なく見積もっても100万人以上の中国人住民の死者が出ていた。
共産中国政府は、徐州大虐殺と、これを命名し、抗日運動のために利用していた。
日本は、黄河の堤防を破壊することで、中国の人民を無残にも大量に虐殺した、という宣伝である。
独のゲッペルス宣伝相等は、これを嬉々として、反日報道に利用して大量に垂れ流す始末だった。
取り合えず、黄河の堤防破壊は共産中国によると、日本政府は繰り返し主張しているが、占領下にある以上、黄河下流域の住民救護は、日満側が行うしかない。
この負担も、日本にとっては重いものだった。
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