プロローグー8
少し場面が変わります。
久々の林忠崇侯爵の登場になります。
その翌日、石川信吾大佐は、海兵本部長の長谷川清提督に、昨日、土方歳一中佐と話をしたことを告げ、本来の所属鎮守府である佐世保に帰っていった。
更に、翌日、長谷川提督に来訪者があった。
「どうだった。少しは気分転嫁ができただろうか」
「石川の報告では、そのようでしたが」
「土方中佐はマジメすぎるところがあるからな。もう少し息抜きが自然とできればいいのだが」
長谷川提督と来訪者は会話を交わした。
来訪者の名は、林忠崇侯爵だった。
石川大佐が、土方中佐を、サッカーの試合観戦から呑みに強引に連れ出したのは、長谷川提督の言葉があったためだが、実際には、更にその上からの言葉があったというわけだった。
「それにしても、土方中佐のことを、そこまで気にかけておられるとは」
「依怙贔屓とみられるようなことはしたくないのだが、あいつは、恩人の土方歳三提督の初孫だからな。どうしても気に掛かるのだ」
「そういわれれば、そうですな。お気持ちはわかります」
「本来の軍務だけなら、まだしもな。年老いた父が戦場にいては、あいつは気になって仕方なかろう。やむを得ない事情があるとはいえな」
「確かに」
林侯爵と長谷川提督は、会話を続けた。
土方中佐の父、土方伯爵は、今、スペインで「白い国際旅団」の総司令官として、戦場に赴いている。
もう少し、わしが若ければ、自分が行きたいところだが。
戦場で散るのは、サムライの本懐だ。
林侯爵は、内心では更に想いを巡らせた。
「もう少し、土方には優しくしてやれ。そもそも海兵隊で戦車を開発しようという無茶ぶりがされているのだからな」
「分かりました」
海兵隊内部においては、かつての陸軍の大御所、山県有朋と同等の立場にあるともいえる林侯爵の言葉とあっては、現海兵本部長の長谷川提督といえど、それなりに重んじざるを得なかった。
「さてと、伝書鳩のように使われる身だ。もう少し、古巣でのんびりお前と話がしたいが、お前にも本来の職務がいろいろあるだろうから、これで失礼する」
「伝書鳩のようにとは。林侯爵をそのように使う方は、どなたですか」
林侯爵の言葉に、長谷川提督は疑問を覚えて、思わず口に出してしまった。
「西園寺公望元首相さ」
サラッと林侯爵は、その人物の名を挙げた。
西園寺元首相は、現在、存命の唯一の元老である。
その政治的実力は、本人が高齢で半引退状態にあるため、かなり低下しているが、それでも端倪すべからざるものがあった。
長谷川提督以外、誰もいないことをいいことに、林侯爵は、更に口を滑らせた。
「西園寺元首相から、近衛文麿貴族院議長に、身を慎むように、と釘を刺すように頼まれた。自分が呼びつけたら、大事になる、と言われてな」
「ほう。何かありましたか」
「これ以上は、わしからは言えんな」
さすがにこれ以上はまずい、と考えたのだろう、林侯爵は、韜晦するような態度を示した。
「ともかく、近衛公爵に会わない訳にはいかん。公私共に、忙しくてかなわん。90歳近い好々爺をこき使うことはあるまいに」
林侯爵は、少し愚痴をこぼした。
林侯爵が、自分を好々爺というのは、酷い冗談だな、長谷川提督は、内心で突っ込んだ。
山県有朋元首相と一時は渡り合い、山本権兵衛元首相の懐刀と言われた林侯爵の政治的権謀は、大したもので、山本元首相から、
「もし、徳川幕府が続いていたら、あ奴は老中筆頭が務まっていた」
と言われたという伝説があるくらいだ。
実際、林侯爵は、そもそもが譜代大名家の当主であり、家格からいってもその資格があった。
「それでは、失礼させてもらう」
林侯爵は、90歳近い身とは思えぬ動きで、そう言い、海兵本部長室を辞去した。
長谷川提督は、それを見送った。
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