第6章ー14
土方歳一中佐は、東京、海軍軍令部からの警報を受け取ってから、第3海兵師団も独自に、抗戦している共産中国軍の動向について、情報収集するように、第3海兵師団長の南雲少将の指示を受けて、師団の隷下にある各部隊に更に指示を出し、情報収集に努めていた。
何しろ、海軍軍令部からは、華中方面軍司令部に対して、根本博大佐が直々に派遣されて、警報を発するという厳重ぶりだったからだ。
(ちなみに、華北方面軍に対しては、陸軍参謀本部から、宮崎繁三郎中佐が派遣され、同様の措置が取られている。
陸軍参謀本部や海軍軍令部内では、電文で足りるという主張をする者もいたが、人を派遣することで、現地と意思疎通を行っておくべき、との主張が強く、上記のような措置が取られた。)
岸総司少尉は、師団司令部から下された指示を思い起こしていた。
共産中国軍が逆襲に転じる気配がある、情報収集に努めるように。
勿論、一介の海兵隊少尉、海兵小隊長では、集められる情報に限りがある。
岸少尉の立場では、共産中国軍、敵部隊との接敵、交戦内容から、情報を推測するしかなかった。
だが、部下や同僚との会話を繰り返す内に、岸少尉は、何となく危険な香りを感じるようになった。
「妙ですな。敵の戦線を突破して、進撃しているのに、抵抗が弱まる気配がない」
栗原曹長が、半ば聞えよがしに独り言を言うのが聞こえた。
「妙なのか」
岸少尉自身も、妙な感じを何となくは覚えてはいたのだが、どう妙なのか、人に話せなかった。
栗原曹長と話すことで、その妙な感じの内容が掴めそうだ。
「ええ。普通、敵の戦線を突破して、進撃したら、敵の抵抗は弱まるものです。我々は、自動車化を進めた部隊ですからね。敵が自動車化部隊で無い限り、我々の進撃速度に、多くの敵は対応できない」
栗原曹長が、そう言って、言葉を切った。
後は、自分で考えろ、ということか。
岸少尉は、素早く考えを巡らせ、言葉を選びながら発言した。
「だが、我々に対する敵の抵抗は続いている。ということは、後方に控えていた敵の予備部隊は、我々に向けて投入されている公算が高い、ということか」
「そういうことです」
岸少尉の言葉を、栗原曹長は肯定した。
「成程な」
他にも似たような言葉を部下や同僚から聞いた岸少尉は、中隊長に意見として具申した。
土方中佐の下には、岸少尉らの意見が届いていた。
密接な関係になっている日本空軍の部隊とも、土方中佐は、独自に意見を交換した。
日本空軍も偵察に苦心しており(反攻準備に取り掛かった共産中国軍が、対空擬装に努めているため、)、不正確な情報にならざるを得なかったが、共産中国軍は、予備をこちらに向け、反攻を行う可能性が高い、と判断するのが妥当なようだった。
5月1日の作戦発動以来、10日余りが経ち、5月12日が来ようとしていた。
南京近郊から進撃を開始した第3海兵師団は、華中方面軍の最西方を受け持ち、合肥を占領して、淮南の占領も可能な状況だった。
建前を言えば、第3海兵師団は、更なる前進をして、華北から進撃してくる機甲軍団と手を結び、徐州方面に展開している共産中国軍の包囲網を完成させねばならないのだが、上記のような情報が収集されたことから、合肥を防衛の拠点として、第3海兵師団は、前進を取り止め、守勢に転じることになった。
言うまでもなく、この第3海兵師団の判断については、華中方面軍をはじめ、参謀本部や海軍軍令部、華北方面軍から了承を受けている。
共産中国軍も、第3海兵師団の動きを見て、反攻が読まれたことを察したが、かと言って、反攻を中止しても意味がない。
徐州方面の共産中国軍は、5月15日を期しての大反攻開始を決断した。
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