第6章ー12
そんな会話が、第3海兵師団司令部で交わされていた後、石家荘周辺から発動された華北方面軍所属の機甲軍団の攻勢は、3日間で100キロ以上の快進撃を果たし、順調に第一目標の邯鄲を目指していた。
3個機甲師団を束ねての集中攻撃は効果的で、機甲軍団の攻勢阻止に失敗した場合、本来は西への退却を図らねばならない共産中国軍は、多くが、止む無く一時の安全を確保するために、東なり、南なりへの退却を決断せざるを得ない状況が現出しつつあった。
岡村寧次中将は、現状に満足していた。
多分、5月5日には邯鄲にたどり着き、6日には邯鄲を落とせるだろう。
第1機甲師団と、第3機甲師団は、双頭の蛇のごとく、急激に南進しており、第2機甲師団が、その穴を埋めつつ、南進している。
航空支援も効果的に行われており、共産中国軍の最前線の兵士は、西方への移動は空襲を受ける危険が高いと判断しつつあるようだ。
岡村中将の下に、最前線から入ってくる報告は、それを肯定するものが揃っている。
華北方面軍司令部からの情報も、岡村中将の判断を、肯定的に補足するものだった。
9個歩兵師団を投入しての牽制攻撃は(牽制というには大規模すぎるが、)、順調に進展しており、防戦に当たっている共産中国軍は、目前の敵阻止に手一杯であり、機甲軍団の攻勢阻止に部隊を向かわせる余裕がない状況にあるらしい。
華中方面軍の攻勢に対処している部隊が引き抜かれ、機甲軍団の攻勢阻止に投入される模様らしいが、兵力の逐次投入止む無し、という状況に追い込まれつつあると、華北方面軍司令部では判断していた。
今のところは、このまま部隊を急進させても大丈夫だな、岡村中将はそう判断し、隷下にある3個機甲師団に対して、更なる前進を指示した。
岡村中将の指示を、各機甲師団長は、好意的に受け止めた。
第1機甲師団を率いる酒井中将は、邯鄲一番乗りを目指して、指揮下にある部隊を督励した。
実際、航空偵察の報告や、機甲師団の直接指揮下にある偵察大隊の報告によっても、邯鄲を守るのは、民兵隊のみと言っても過言ではない状況にあるようだった。
機甲軍団の攻撃により、敗走を重ね、混乱状態にある部隊の少数は、邯鄲にたどり着き、防衛戦の一翼を担うという推測がなされているが、そう大した抵抗にはならないだろう。
他の機甲師団長、牛島満少将や吉田悳少将の判断も似たようなものだった。
3個機甲師団は、先を競うように邯鄲に殺到した。
5月6日、邯鄲は、日満連合軍の手に完全に落ちた。
防衛軍は、日満連合軍の予測通り、民兵隊に敗走してきた部隊を臨時に組み合わせた部隊に過ぎず、戦車を先頭に立てての日満連合軍の進撃に、事実上成す術を知らなかった、と言っても過言ではなかった。
岡村中将は、この戦況から、更なる機甲軍団の前進を命じた。
開封を右手に見ながら、機甲軍団は更なる南進を図った。
機甲軍団は、商丘から永城を経て、淮南を目指し、淮南なり合肥なりで、華中方面軍と手を結び、包囲網を完成させる。
岡村中将は、華北方面軍の了解を取り、そのように機甲軍団に対し、指示を下した。
今の調子で進撃を続けられるならば、包囲網は5月末に完成するだろう。
それが、この頃の岡村中将の判断だった。
日本陸軍の保有する大半の車両を、機甲軍団に集中した結果、補給さえも自動車で賄えているのだ。
(その代り、それ以外の日本陸軍から車両が消えた、と言っても過言ではなく、華北方面軍に展開している歩兵師団は、それこそ第一次世界大戦の頃と同様に、人馬に依存した補給に完全依存していた。)
それによって為された快進撃に、岡村中将らは半ば酔っていた。
だが、共産中国軍は諦めていなかった。
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