第6章ー3
4月上旬に南京近郊、長江北岸の第3海兵師団の駐屯地に到着した岸総司海兵隊少尉は、早速、新米の小隊長として、部下と面談等をして、その性格等を掴み、上官になる中隊長や大隊長と面談して、現況等の把握に努め、と休む間の無い日々を送ることになった。
勿論、自分自身も含めて小隊の訓練も行わねばならない。
一通りのことは、海軍兵学校等で学んではいたが、実際の戦場経験から来る指導等は、何物にも代えがたい。
部下の1人で、第一分隊長を務める栗原曹長は、1927年の日(英米)中限定戦争以来の戦争経験を持つ古強者で、新人の岸少尉を上官にも関わらず、容赦なくしごいた。
「疲れた」
到着してから2週間ほど後のある日、岸少尉は、寝床に体を投げだしていた。
「栗原は、おそらく中隊長の特命を受けているな」
口に出さずに、岸少尉は考えた。
腹が立つことがあるが、養父というか、祖父からも言われている。
古参の下士官の言うことには、基本的に従え、と。
実際、頭を冷やして考えると、栗原の言うことは、基本的に正しい。
栗原から見れば、自分は新米で、どうにも頼りなく思えて仕方ないのだろう。
倦まず、弛まず、ひたすら励め、か。
岸少尉が自戒していると、小隊の兵が、声を掛けてきた。
「土方歳一中佐が、自分の下に来るようにとのことです」
岸少尉が、土方中佐の下に出頭すると、土方中佐が笑みを浮かべながら、声を掛けた。
「公私混同と言われそうだが。良かったな、千恵子と息子の勇の婚姻に許可が出た」
「本当ですか」
岸少尉は驚いた。
もう少し時間がかかると思っていたのだが。
「父が許可したからな。林侯爵が根回し済みだから、宮内省宗秩寮もすんなり通って、松平恒雄宮内大臣が許可を与えた」
林侯爵の根回しか、どれだけ恐ろしい根回しが行われたかは、知らない方が幸せだな。
岸少尉は、素早く考えを巡らせた。
実際には大したことはしていないだろうが、元老の西園寺公望公爵の側近で、米内光政首相に直言できる林侯爵が認めてやれ、と運動したら、止められる人は、そうはいない。
どうしても忖度して、林侯爵の考え通りに動くようになるだろう。
「勇と千恵子の実際の結婚は、海軍兵学校を卒業次第、ということになった」
「ありがとうございます」
細かいことを言えば、海兵隊士官候補生として、勇の結婚には、後、海兵本部の許可もまだ必要だが、海兵隊の最長老、林侯爵のお声掛かりの結婚に許可が出ない筈がない。
岸少尉は、姉の結婚が決まったことを、素直に喜んだ。
「話を変えるが、近々、大規模な作戦が展開される。岸少尉は、訓練により励むように」
「はっ」
私的な話題を終え、公的な話に切り替わった、と判断した岸少尉は、思わず敬礼した。
「正式な指示が数日中に出るが、北京方面にいる陸軍が南下する一方で、南京方面にいる海兵隊が北上、徐州付近で合流し、戦線をつなぐという大作戦だ」
土方中佐の言葉を聞き、岸少尉は思わず、頭の中で地図を思い浮かべ、進軍経路を考えた。
「もう既に、そのような大規模作戦が発動されるという噂が、それなりに広まっているからな。この際、話しておこうと思った」
土方中佐は、淡々と話をつづけた。
岸少尉は、頭の中で考えた。
栗原曹長も、そんなことを言っていた。
下士官仲間の間で、大規模な作戦発動準備が整いつつあるという噂が流れていると。
小隊に緊張感が高まりつつある。
「戦車との共闘、航空支援、砲兵支援の活用等々、学びかつ実戦でやらねばならないことが多々ある。岸少尉は小隊が一丸となって戦えるように、できる限り、自身も訓練に励むと共に、小隊も鍛えるように」
「はっ」
土方中佐の言葉を聞き、岸少尉は思わず敬礼しながら答えた。
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