第6章ー1 徐州会戦
第6章の始まりです。
1938年3月下旬、土方歳一中佐は、日本に帰国していた。
公式には、南京市の現状、及び今後の作戦計画について、現地にいる高級士官の一人として、東京の軍令部や参謀本部に直接、報告、相談するための帰国だった。
だが、他にも私的な用事があった。
それは、スペインからようやく帰国してくる父、土方勇志伯爵に会い、自分の息子、父から見れば初孫の土方勇の恋愛、結婚に関して、相談することだった。
よく、こんな私的な用事が認められたものだ、と思ったが、この件について、裏から手をまわした海兵隊の最重鎮、林忠崇侯爵にしてみれば、これくらいの公私混同、目くじら立てるのがおかしいレベルの話なのだろう。
実際、軍令部や参謀本部から、土方中佐に行われた報告に対する質問等は、かなり細かく執拗なもので、別の者に任せるべきだった、と土方中佐が内心で嘆くレベルだった。
父、土方伯爵に顔を合わせ次第、土方中佐は、自ら報告するつもりだったのだが、顔を合わせた父が余りにも疲れた顔をしていたので、明日にしよう、と躊躇ってしまった。
そのため、結果的にだが、父は、自分の報告より先に、この件の経緯を、親友の岸三郎提督から知ってしまった。
帰宅してきた父、土方伯爵は、渋い顔をして、土方中佐に半ば自室としていた書斎に来るように命じた。
書斎で、父子が二人きりになると、父は怒りを秘めた口調で、開口一番に言った。
「何で、昨日、言わなかった」
「余りにもお疲れでしたので、今日、言えばいいかと思いました」
土方中佐は、思わず背筋を伸ばし、現役の大将から叱責を受ける新米少尉のような態度を取ってしまった。
父が、これ程、怒るとは思わなかった。
「岸から、半ば絶交された。全く、せめて心づもりをしてから会いたかった。こういうことは、すぐに相談、報告すべきことだ」
父は、半ば独り言を言った。
土方中佐は、思った。
しまった、今日、岸提督と父が会う、とは知らなかった、知っていたら、昨日の内に報告したのに。
「それで、どうなんだ。篠田千恵子に対するお前の評価は。我が家の嫁に相応しい女性か」
「ええ。容姿、才能、人柄共に申し分ありませんね。ただ、家柄というか、出生が」
父と子は会話した。
篠田千恵子の容姿は、絶世の美女ではないが、充分に美女の部類に入るものだった。
才能にしても、東京女子高等師範学校を卒業して、高等女学校教師の資格を持ち、実際に私立とはいえ浦賀高等女学校で教鞭を執っている。
人柄も、実際に土方中佐が会って話をした限りでは、特に問題はなさそうだった。
それに、自分の息子、土方勇に加え、篠田千恵子の異母弟、岸総司も人柄については保証するくらいだ。
だが、出生が問題だった。
篠田千恵子は、いわゆる庶子(非嫡出子)だった。
千恵子の実父は、第一次世界大戦の際、ヴェルダンで戦死しており、千恵子は、その遺腹の子だった。
そして、実父には、当時、岸忠子という正妻がいた。
それが、岸総司の実母である。
忠子の性格が良ければなあ、と土方中佐は思った。
忠子の欠点の一つが、妙に嫉妬深いところだった。
浮気は男の甲斐性とか、割り切ればいいのに。
そもそも夫は死んでいたのだから。
岸忠子が、あそこまで千恵子が現れた際に騒がねば、もう少し話は小さくて済んだのに。
そして、忠子自身の再婚の話も出ただろうに。
もっとも、忠子自身は、夫を今でも愛しているようで、正妻であることを内心の誇りにしている。
「まあ、孫が結婚したいと言っていて、その相手が、出生以外に問題ないなら、わしも反対を貫くつもりは無い。それに外堀は、林侯爵に既に埋められているみたいだ。全く手回しがいい」
土方伯爵は、息子に呟くように言った。
何故、土方伯爵が、岸提督から半ば絶交されたかですが。
他の箇所で書きましたが、岸忠子と篠田りつの因縁について、篠田りつの主張を認めることで、篠田千恵子と土方勇の縁談が進んでいるからです。
次話で描きますが、姉さんが幸せになれるのだから、岸総司は、別に構わないではないか、と考えているのですが、岸忠子や岸提督にしてみれば、何で、事情を知っている土方伯爵まで、篠田りつの味方をするのだ、ということで、もう2度と我が家に来ないでくれ、と岸提督に土方伯爵は言われてしまったのです。
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