プロローグー5
「それは全くの事実だな」
石川信吾大佐は、目が据わったままの状態で、土方歳一中佐に対して言った。
「実際、野党の立憲政友会は、共産中国の脅威をかなり危険視しており、下手をすると煽りかねない言動を弄しています。与党の立憲民政党が、共産中国に対して甘い態度なのは否定できない話ですから、政略がかなり絡んでいるのでしょうが」
土方中佐は、言い募った。
土方中佐自身は、米内光政、現立憲政友会総裁代行や、それを取り巻く人材、吉田茂、立憲政友会顧問等の言動に対して、基本的に信頼を置いており、泥沼の対中戦争は避けてくれるだろうと考えてはいる。
だが、立憲政友会の基本的方針が、様々な歴史的経緯から、対中積極主義なのだ。
下手に中国本土にまで手を伸ばす対中積極主義をとっては、泥沼の戦争に日本が落ち込むことになりかねない、という危惧を土方中佐は抱いているのだが、立憲政友会から聞こえてくるのは、そういった対中積極主義に基づく主張であり、中には中国全土を日本が制圧しろ、という主張まである。
土方中佐の見る限り、それは夢物語であり、日本を危険にさらす考えだった。
だが、その一方で、土方中佐自身、共産中国の主張に危険を覚えるのも事実だった。
日米韓と(事実上の)同盟関係にある蒋介石率いる満州国政府を、共産中国が敵視するのは、歴史的経緯からしても、まだ、当然と目をつぶれないこともない。
だが、南満州鉄道や黒竜江省油田を半ば象徴としている、いわゆる満蒙特殊利権、日露戦争の結果、日本が獲得し、更に米国が民間レベルとはいえ、かなり参画している満州における様々な利権について、共産中国は、最低でも無償返還を要求している。
日米は中国で散々搾り取っており、多額の賠償を請求するのが本来だ、だが、今後のことがあるので、特別にいわゆる満蒙特殊利権については、無償返還で構わない、というのが共産中国の主張だった。
この主張について、日米の世論は共に猛反発している。
日本にしてみれば、日清日露の英霊が満州で大量の血を流して得た、満蒙特殊利権を無償返還しろ等、言語道断の主張としか言いようがなかった。
米国にしても似たり寄ったりだった。
日本のようには血を流していないとはいえ、多額の資金を満州開発には投じており、それによって、黒竜江省油田を商業採掘可能なレベルにまで、探索して開発することができた等の成果を上げたのだった。
今からその果実を手に入れようとする段階で、満蒙特殊利権を無償返還しろ等、それこそ世界大恐慌に苦しむ米国世論にしてみれば、米国経済を破滅に導く主張にしか思えなかった。
こういった状況から、日米の世論は、対共産中国強硬論が主流となっている。
それなのに、日本の宇垣一成首相や、米国のルーズベルト大統領、更にそれを支える日本の立憲民政党や米国の民主党の議員から聞こえてくるのは、内向きな発想からの対中宥和論なのだ。
確かにお互いに強硬論を唱えた結果、お互いに引くに引けなくなり、戦争になるリスクを考えれば、日米の首脳や与党の考えもわからなくはない。
だが、共産中国は、それに乗じて、自分の主張をますます強める一方なのだ。
土方中佐の見るところ、今や立憲民政党等の主張する対中宥和論では、満蒙特殊利権を確保できない、とまで考えざるを得ない状況に至りつつあった。
では、どうすべきか、そこで、土方中佐の考えは止まってしまう。
石川大佐は、土方中佐の考えを見通しつつ、土方中佐に水をかけるかのように言った。
「土方の気持ちはわからなくもない。だが、我々の立場上、沈黙するしかない気がするな」
石川大佐の言葉で、土方中佐は我に返った。
「確かにそのとおりですね」
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