第4章ー1 中国内戦再開
第4章の始まりです。
1937年7月7日の夜、山海関近郊において、散発的な銃声が共産中国軍の陣地から響き、反射的に満州国軍の陣地からも応射が行われた。
これが、中国内戦本格再開を告げる銃声だったことを、この時、世界中の多くの者が気づかなかった。
実際、この銃撃戦に関する第一報を受けた際の世界各国首脳の多くが、またか、というものだった、という証言が数多、残っている。
「何だ。そんなことか。わしに一々知らせなくても良いことではないか」
最大の当事国である満州国のトップである蒋介石自身が、第一報を受けた際に、このように語ったという証言があるくらいである。
(ちなみに、蒋介石自身は否定している。
この証言を行っている満州国の閣僚は、その後、様々な要因により、蒋介石と対立したことから、英国へと政治亡命した人物であることもあり、この証言の信憑性を疑う人も多い。)
米国のルーズヴェルト大統領や、日本の宇垣一成首相の対応も、大同小異だった。
多くの世界各国の首脳にしてみれば、またか、というレベルの話だったのである。
だが、この銃撃戦に対する共産中国政府の反応は激越だった。
「我々に対して、米日韓の傀儡政権である、いわゆる満州国軍から、一方的な射撃が加えられ、多数の死傷者が出た。砲撃まで行われた。米日韓の傀儡政権である満州国の存在について、我々は耐えに耐えてきた。だが、最早、我慢の限界を超える行動が行われた。我々は自衛のために、満州国を完全否定し、中国を統一せねばならない」
共産中国政府のスポークスマンは、コメントを発表し、それに対応する行動を執ることを示唆した。
宇垣首相は、このコメントに、直ちに反応した。
「我が日本は平和を望んでいる。話し合いで物事を平和裏に解決したい」
宇垣首相は、自らこのような声明を発表し、当事国以外の第三国を交えた事実上の多国間会議で、穏便に物事を解決しようと試みた。
更に、米韓のみならず、英仏、独ソにまで声を掛け、この銃撃戦が大火事、大戦争にならないようにしようと図った。
だが、空気を読めない国があった。
大韓王国である。
「いわゆる共産中国政府のスポークスマンのコメントは、とても看過できない。いわゆる満州国の公式発表によると明らかに先制射撃を行い、挑発してきたのは、共産中国側である。まずは、共産中国が、満州国に対して謝罪と賠償の意思を明らかにしたうえでないと我が国は、そのような話し合いに応じられない」
大韓王国は、そのように声高に主張した。
この主張は、共産中国側にとって願ってもない主張だった。
大韓王国が、無理無体な主張をしている以上、日本が主張している、話し合い、多国間会議を開く意味がない、と公然と言えるからである。
宇垣首相が、広田弘毅外相に命じて、米国等にも働きかけ、大韓王国政府を宥めようとしている間にも、続々と共産中国軍は、共産中国と満州国の事実上の国境線となっている万里の長城線に集結した。
日本の陸海軍部等は、最早、中国内戦の本格再開は避けられない、と判断し、動ける範囲で中国内戦が再開した場合の準備に取り掛かった。
当然、この行動は、共産中国にとって、格好の口実になった。
「日本は、宇垣首相自らが二枚舌を用いて、我が国を油断させ、傀儡政権による中国分断を恒久化しようと策している。日本は、我が国に対する侵略を、本格的に策している。その証拠に、日本軍は、本格的な軍事行動を計画している。我が国は、心から平和を愛するが、戦争を仕掛けられるならば、断固たる行動を執る。そして、最早、最後の関頭に我が国は達した。」
共産中国政府のスポークスマンは、1937年7月17日に、このようなコメントを発表した。
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