第3章ー5
このような共産中国や独ソの動きを、日本や満州国、米韓が掴んでいない訳ではなかった。
だが、満州事変が1932年に事実上の停戦状態になった後も、散発的に共産中国軍と満州国軍は衝突を繰り返しており、言わば停戦破りがしょっちゅう起こっている現状にあったのである。
そのために、ある意味、中国内戦が本格再開されることに対し、やや動きが鈍すぎたのでは、と後世から批評される事態が起きている。
その最たる例が、宇垣一成首相率いる日本政府だった。
山梨勝之進海相が、前田利為中将率いる日本軍情報部が掴んだ情報を基に、中国内戦が本格的に再開される危険性があることを警告しても、これまでにも充分な警戒体制を執ってきていることを理由に、積極的に動こうとはしなかった。
また、ルーズヴェルト大統領率いる米国政府も、これまでと同様の警戒体制で充分と判断していた。
だが、察しの良い者は、秘かに自分でやれる限りのことをしようと努めていた。
例えば、前田中将は、軍情報部の割ける限りのリソースを、共産中国の内部情勢を探ることに割いた。
こうした動きの中で、当然、日本陸軍が動かない訳がなかった。
中村孝太郎参謀総長から、中国内戦本格化に備えた作戦計画を、改めて見直すように、命令を受けた参謀本部第一部長の小畑敏四郎中将は、張り切りまくっていた。
参謀本部第一部の面々を集めた会議の席で、小畑中将は、部下達に問いかけた。
「今、満州に展開している我が陸軍の兵力は、どれくらいだ」
「6個師団といったところですな」
小畑中将の問いかけに、その場にいた宮崎繁三郎中佐が即答した。
「ソ連が動かずに、共産中国のみが動くとして、君はどの程度の兵力を、対共産中国との戦争につぎ込むべきだと考える」
「予備役も動員して、海兵隊にも動員を要請します。最終的には、全部で18個師団を投入、速やかに華北を制圧して、停戦に持ち込みます」
宮崎中佐は、更に答えた。
「宮崎中佐の意見、大いによろしい。積極的に共産中国軍を叩き潰してやろうではないか」
小畑中将は、会議に列席している面々を見回しながら言った。
会議に列席している面々も多くが肯いた。
「では、詳細を考えていこう」
小畑中将は、更なる話し合いを進めることにし、会議に出席している他の面々も発言しだした。
同じ頃、軍令部次長室では、多田駿軍令部次長(海兵隊担当)が、部下、軍令部第5部所属の根本博大佐に具体的な指示を出していた。
「陸軍と積極的な連携を組み、中国内戦本格再開に備えた作戦計画を練り直すように」
「分かりました」
多田軍令部次長の指示に対し、打てば響くように、根本大佐は答えた。
「全く病身なのが口惜しい。病身でなければ、自分が陣頭に立ちたいものだ」
病身であることも相まって、陰で、今竹中と呼ばれている多田軍令部次長は、根本大佐にこぼした。
「無念のお気持ちは分かりますが、今や軍令部次長が先陣を切る時代ではありません。それは、林忠崇元帥までです。今の軍令部次長は、帷幄の参謀に徹さざるを得ません」
根本大佐は 多田次長を慰めた。
「まあな」
多田次長は、頷きながら言った。
「だが、サムライたる者、戦場に立ってこそ華だ。本多正信が腸の腐れ者と罵られ、石田三成が嫌われたのを思い起こす度にな。それに土方勇志伯爵は、老骨を押して、スペインで戦っている」
「確かに」
多田次長の言葉に、根本大佐も肯かざるを得なかった。
「愚痴はそれくらいにしておくが、中国内戦が本格再開した暁には、日本は国力を傾ける総力戦を行わざるを得ない。万全な準備を整えるように。海軍本体や空軍とも、密な連絡を取れ」
「分かりました」
多田次長の言葉に、根本大佐は重ねて肯いた。
これで第3章は終わりです。
次から第4章になります。
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