間章1-5
「そうは言っても、土方勇と篠田千恵子の縁談をこのまま進めては、土方伯爵家と岸家の間に間隙が生じると思いますが」
北白川宮提督は、心配した。
土方勇志伯爵も、岸三郎大将も共に、北白川宮提督にしてみれば、お二人が現役時代には多大な恩顧を被った身である。
お二人の家の間に、北白川宮提督としては、問題を引き起こしたくなかった。
「仕方ない。そもそもが知らなかったでは、済まなかった話だ。柴が軽率だったのは、否定できんが」
林忠崇侯爵は、半ば自分に言い聞かせるように言った。
岸総司の実母、岸忠子と、篠田千恵子の実母、篠田りつが、犬猿の仲なのは、海兵隊幹部の内情に詳しい人の間では公知の事実だった。
岸総司らの実父は、篠田りつと事実上婚約していたのだが、柴五郎提督が、それを知らずに岸忠子との縁談を勧め、岸総司らの実父も、篠田りつとの婚約について言わずに、それを受け入れた。
そして、篠田りつは、岸総司らの実父から、婚約を破棄されたのだった。
岸忠子は、このことに全く関与していなかったのだが、世間では、岸忠子が提督の娘なのを嵩に着て、岸総司らの実父に、篠田りつとの婚約を破棄させ、自分と結婚させた、という噂になっている。
岸忠子や、父の岸三郎は、それは冤罪で、岸総司らの実父が、篠田りつと婚約していたのを言わなかったのが悪い、とずっと弁明しているのだが。
篠田りつが、岸忠子が提督の娘なのを嵩に着て、岸総司らの実父に、私たちの婚約を破棄させた、という主張をずっとしており、世間もその主張を受け入れているのだった。
「篠田りつの主張が真実であるとして、宮内省を説得するさ。本来なら、篠田千恵子が、嫡子になるはずだったと言えばいい。宮内大臣も、会津松平家出身の松平恒雄で、篠田りつは、会津藩士の家系だ。土方勇志が、孫の土方勇の結婚に前向きになれば、それを阻害する者は、そうはいない」
林侯爵は、悪い顔を、またしながら言った。
「それでも、ああだ、こうだ、というのがいたら、わしの猶子に、篠田千恵子をするかな」
林侯爵は、かつて錦の御旗に容赦なく銃弾を放った頃を思い起こすのか、とんでもない話をし出した。
「林侯爵家の娘なら、土方伯爵家の嫁として充分な家格だろう」
「充分過ぎますよ」
林侯爵をあやすかのように、北白川宮提督は肩をすくめながら言った。
林侯爵家は、れっきとした大名華族の一員である。
それこそ、徳川御三家や前田、細川といった大大名家と(表向きは)肩を並べる華族だった。
(実際のところは、林忠崇の軍人としての功績により、男爵から陞爵を繰り返した末なので、大名華族の一員とはされるものの、他の大名華族からは、異質な扱いを受けている。)
それに対して、土方伯爵家は、文字通りの新華族だった。
爵位的には、釣り合うといえるが、伝統から言うと、かなりの差がある結婚になってしまうのだ。
「土方勇志がいないところで、余り詰めて考えても仕方ない。帰ってきてから、ゆっくり考えるとするか。多分、それくらいの余裕はあるだろう。この話は、これでしまいにして、料理と酒を楽しまんか」
「そうしますか」
確かに先走り過ぎたか、そう思った北白川宮提督は、林侯爵の言葉に同意し、話を終えて、料理と酒を運ばせることにした。
だが、2人共知らなかった。
中国内戦が再開、日本もそれに参戦と、アジアが戦場になる時は差し迫っていた。
更に、まだ海軍兵学校生の身の土方勇はともかく、岸総司は、翌春には海軍兵学校卒業後、すぐに部隊配属され、戦場へと赴くことになる。
そして、篠田千恵子は、異母弟の身を案じることになり、土方勇も、岸総司の後を追い、海軍兵学校卒業後に戦場へと赴くことになる。
間章1の終わりです。次話から、第3章になります。
なお、活動報告で補足説明を行う予定です(例えば、「猶子」という言葉について)
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