プロローグー4
「川本泰三が取れたのは良かったが、右近徳太郎を陸軍に取られたのは失敗だったな。他にも何人か惜しい人材を陸軍に取られたな。宇垣(一成)首相にねじ込んででも、来年のワールドカップの際には、ともかくとして、1940年の東京オリンピックの際には、そいつらも海兵隊に出向させて、日本代表として鍛え上げて、金メダルをまた取ってやる」
怪気炎を上げまくる石川信吾大佐を前にして、素に帰ってしまった土方歳一中佐は、慎重に言葉を選びながら、話を別の方向に変えることにした。
「先程、仏代表監督から、今度は軍服を着て来るな、と言われたとのことですが、仏代表監督は、元軍人ですか」
「うん?退役したが、仏陸軍大尉で、第一次世界大戦で従軍経験があるとか言っていたな。世界大戦終結に伴い退役して、サッカーの世界で生きることを決めた人間だろう」
土方中佐の問いに、石川大佐は酔った口調で答えた。
成程、元軍人で、それなりに世界が見える人間なのかもしれない。
土方中佐は、更に無言のまま、考えを巡らせた。
「何か気に掛かるのか」
土方中佐の態度が、癇に障ったのだろう、石川大佐の目が据わったものになり、更に口調が問いただすものになった。
「酒がまずくなる話になりますが、構いませんか」
こんなことをするから、石川大佐にまで上からの指示が行くことになるのだ、と土方中佐自身にも分かってはいたが、自分でも酒のせいか止められなくなっていた。
「構わんよ。言いたいことを話せ」
石川大佐も、土方中佐の態度から、正面から向き合うべきだと考えたのだろう、盃を置き、酔眼ながら、正面から土方中佐に目を向ける体勢になった。
「ありがとうございます」
土方中佐はそう言って、言葉を慎重に選びながら、話を進めることにした。
「ここ最近、独の態度は、どうも危険極まりないものになりつつある気がしませんか。昨年は、ラインラント進駐を独は果たしました。また、英に迫って、英独海軍協定を結んでもいます。それによって、独は再軍備を順調に進めています。英政府の多数派は、独の要望を飲めば、平和が維持できると考えているようですが、どうにも甘い考えに思われてなりません」
土方中佐が、一息に言うと、石川大佐は頷きながら言った。
「実際、英政府の少数派も、お前と同様に考えているな」
「独は、墺の合邦を策しているという噂がありますね」
「それは全くの事実だな。先日、墺の代表とも親善試合をして、自分達が勝ったが、墺の代表監督も心配していた。自分達の祖国が無くなるのではとな」
土方中佐の言葉に、石川大佐は更に肯いた。
「独は、何れは再度の世界大戦を引き起こす気がしてならないのですよ。前回は、ろくに当てにできる同盟国がいませんでしたが、今は違います。敵の敵は味方の論理で、ソ連や共産中国が味方している」
土方中佐は、一息に言った。
今、中国は、二つに分裂した状況にあり、共に自分達の政府が、中国全土を支配する正統政府だと主張しあう状況にあり、更にややこしいことに中国国民党の一党独裁体制に表向きは共にある。
一つが、蒋介石率いる政府であり、新京を仮首都として、いわゆる満州全土を事実上の支配下においている状況にあった。
そのため、多くの国から満州国政府と呼ばれていた。
もう一つが、汪兆銘率いる政府であり、北京を首都として、満州全土以外を除く中国のほとんどを事実上の支配下に置いていた。
だが、実際は共産党が完全に国民党に取って代わっている状況にあり、元々の国民党員で北京政府の幹部でいるのは、汪兆銘以外は、宋慶齢しかいないのでは、という惨状だった。
そのために、北京政府のことを共産中国、と土方中佐は呼んだのである。
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