第1章ー12
艦上機について、日本海軍は、第二次世界大戦当時、既述のように世界最高峰の実力を誇ることになるが、水上機や飛行船についても、同様の実力を日本海軍は誇った。
その理由だが、陸上機を陸軍傘下の空軍に空軍設立の際の協定の結果、日本海軍は奪われており、自前の航空戦力を整えようとするならば、艦上機や水上機、飛行船に頼らざるを得なかったという理由が、第一に挙げられるだろう。
もっとも、これだけならば、身内の、組織防衛の小理屈である。
他にも、日本海軍が、艦上機や水上機等の整備に奔った理由があった。
それは、海兵隊からの要請である。
海兵隊としては、対共産中国戦争勃発時において、陸上機が展開するまでの間の航空支援を欲した。
そうなると、海軍としては、艦上機や水上機を整備して、その支援任務に充てる必要が出てくる。
飛行場を急速造営して作り、そこに陸上機部隊を展開すれば済む話と言われそうだが、幾ら機械化が進んでいるとはいえ、地形の問題によって、上陸地点の近郊に飛行場を作れない場合もある。
そういった場合には、水上機や艦上機を充てざるを得ない。
そのために、水上機や艦上機を日本海軍は整備した。
また、対ソ戦勃発時に備えて、ソ連潜水艦への対策を日本海軍本体は、講じなければならなかった、という事情もある。
幾ら日本空軍が、日本海軍に対して協力体制を執ると言っているとはいえ、そうは言っても協力してくれないのでは、という疑念を完全には日本海軍は捨てきれなかったのだ。
(なお、実際には、これは全くの杞憂となり、日本空軍は海軍に協力して対ソ戦を戦い抜いた。)
飛行艇ならば、97式飛行艇から、二式大艇へと、日本の飛行艇は、世界でもトップクラスの高性能を誇り続けた。
飛行船ならば、99式飛行船(米国からのヘリウムの安定供給という賜物があったためだが)が、東シナ海から南シナ海にかけて、対ソ戦に際しては、日本の通商保護任務等に当たり、その名声を後世に残した。
水上機についても、多士済々の結果を、日本海軍は第二次世界大戦において遺した。
日本海軍の水上機は、基本は偵察機であったが、そうはいっても、色々と細分化した結果を遺した。
夜間偵察機としても使える三座水偵、万能機志向の二座水偵、潜水艦搭載のための小型水偵と、基本の水上偵察機だけで、第二次世界大戦前から、日本海軍は、試行錯誤した末に、三種類も実際に量産にまで持ち込んでいる。
更に、二座水偵の開発の結果を受けたことから、更に水上戦闘機や水上爆撃機まで、実際に日本海軍は試作させているという結果を示すに至っては、第二次世界大戦後の軍事専門家の多くから、
「さすがは、日本海軍、英海軍の愛弟子として、英国面を見事に発揮している」
と賞賛(?)が浴びせられる有様である。
水上爆撃機は、重巡洋艦(または、水上機母艦)に搭載することで、通常の艦隊戦において、相手に空母がいない場合に、航空攻撃が加えられ、それによって戦果を挙げられるのでは、という発想からだった。
水上戦闘機については、島嶼戦闘を行う場合に、一時的なエアカバーを与えることができる存在として、期待できるのでは、という発想からだった。
ちなみに、共に試作機までは、第二次世界大戦中に作られたが、それで終わっている。
他に優先して量産すべきものが、日本には多々あったからである。
そして、三座水偵は、零式水上偵察機、二座水偵は、零式水上観測機、小型水偵は、零式小型水上機として、それぞれの分野で、第二次世界大戦においては量産され、実戦に投入されて、更に敵味方から高評価を受けることになる。
当時の日本海軍以外、ここまで水上機を愛好した海軍はいない。
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