第1章ー10
勿論、日本空軍(及び海軍航空隊)は、12試シリーズについて、戦闘機のみ開発した訳ではない。
様々な機種を試作、開発しており、それらは第二次世界大戦前半において、日本軍の主力となった。
例えば、99式双発軽爆撃機である。
後に、二式複座戦闘爆撃機「月光」の事実上の原型となったことで、有名な川崎重工製の双発機である。
ある意味では、独のBf110と似通った性格の爆撃機だった。
だが、99式双発軽爆撃機は、専ら急降下可能な爆撃機として運用されることで、その名声を維持することに成功している。
もし、戦闘機としても、爆撃機としても両方の任務が可能な軍用機として運用されていたなら、その評価もまた変わっていたろう。
専ら爆撃機として運用されることで、戦闘機には向かないという欠点は覆い隠されてしまった。
他にも99式襲撃(軍偵察)機も、12試シリーズによって開発されたものだった。
こちらは、専ら陸軍部隊の近接支援に基本的に特化して運用された。
独でいえば、Ju87に似た性格の機体といえる。
この襲撃機も、急降下爆撃可能であり、更に防弾性能が充実していたことから、前線の陸軍部隊の評価も高かったし、実際に運用した航空部隊の評価も上々だった。
それから99式中型爆撃機も、12試シリーズで開発された爆撃機である。
対ソ戦勃発時に、航空撃滅戦に主に使用する目的で、当初の開発は計画されたが、96式中型爆撃機と同様の横やりが入ったことから、皮肉なことに雷撃可能な中型爆撃機として開発、製造されることになった。
最も、99式中型爆撃機自体の性能は良かったが、開発元の鈴木重工が、99式重爆撃機の製造に傾注せざるを得なかったこと等から、製造自体は比較的少数にとどまってしまっている。
また、12試シリーズで開発された99式司令部偵察機も、スペイン内戦で初陣を飾った96式司令部偵察機の後継機として、その名をはせた名戦略偵察機だった。
最終的には、高度10000メートルでも350ノット、650キロ近い高速性能が発揮できるまでに改良が重ねられた。
これは、独軍戦闘機ですら、手を焼く高高度性能であり、ソ連軍戦闘機部隊の搭乗員たちに、手も足も出ない偵察機だと嘆かせた性能だった。
この高性能は、米英との共同によって開発、製造された二段式過給機がエンジンに装備され、順調に稼働することによって、発揮されたものだった。
そして、隠れた性能向上の一つとして挙げられるのが、12試シリーズ以降の日本の軍用機において、信頼できる通信機能が確保されたという点である。
9試シリーズ、96式シリーズの頃から、無線電話機能等の通信機能は、日本の軍用機にも付いてはいたが、この頃は機械的信頼性は低いわ、無事に稼働しても、ろくに聞こえないわ、という代物だった。
だが、12試シリーズ以降、99式シリーズとなると、勿論、常時、聞こえるというものではないが、それなりに聞こえるものになっており、地上からの管制誘導に際しては、ほぼ問題がなく、味方機同士の交信においても、聞こえるというのが、当たり前といっても過言ではない状況になるまでに改善された。
第二次世界大戦勃発時以降、世界各地で展開された航空戦の一つ、ソ連空軍が発動した対日本本土空襲に際して、日本空軍の戦闘機部隊が優勢裡に戦えた一因が、この日本空軍の通信機能の充実だった。
密集編隊を組むソ連空軍の重爆撃機部隊に対して、日本空軍は通信機能を存分に生かした連携攻撃を展開し、有利に戦闘を進めることができた。
他にも後述するが、草創期の電探や空中聴音機を活用する準備を整えることによって、日本空軍は本土防空戦を戦い、勝利を収めた。
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