第1章ー3
世界大恐慌が世界中で完全に終わりを告げる前に(実際に完全に終わりを告げるのは、第二次世界大戦の勃発によるというのが、何とも皮肉な話ではある。)、日本は、様々なジレンマに悩みつつ、軍拡に奔らざるを得ない状況に陥っていた。
満州事変で強硬策を採ることにより、蒋介石率いる中国国民党正統政府を満州に樹立させてはいたが、その代償として、蒋介石政権を維持するためには、日本の軍拡が必要不可欠だった。
何故なら、蒋介石政権は、いわゆる北京政府(共産中国)の中国国民党正統政府と、様々な因縁から宿敵ともいえる関係に建国当初から立たざるを得なかった。
近親憎悪という言葉があるが、お互いに自らが孫文の意思を継いだ中国国民党の正当な後継者であると主張しあい、相手を偽者、断じて許しがたい漢民族の裏切り者、漢奸と罵りあう状況だったのである。
そして、お互いに相手を正統性のない傀儡政権と罵りあった。
蒋介石は、北京政府を、ソ連、共産党の傀儡政権であり、漢民族の誇りや孫文の唱えた中国国民党の党是である五族共和主義を失った共産党政権だと叫んだ。
一方、北京政府(共産中国)の側も、蒋介石政権は日米韓の傀儡政権であり、満州族を基盤とする非漢民族政権で、孫文の唱えた大中華主義を捨て去った漢奸、裏切り者の政権だと叫ぶ有様だった。
このように、お互いに中国国民党正統政府を主張しあう以上、妥協、共存はありえなかった。
そして、日本は、蒋介石政権に肩入れしており、一方、共産中国には、ソ連が肩入れしていた。
更に言うならば、海空軍はともかく、陸戦兵力については、幾ら米韓が味方に控えているとはいえ、人口等の面もあり、日本と蒋介石側が劣勢なのは否定できない状況にあった。
こういった状況にあっては、少しでも劣勢な状況を補うために、日本は陸戦兵力の拡大に奔らざるを得なかったのである。
とはいえ、国力という冷酷な現実があり、日本は苦慮する羽目になった。
1937年初頭、日本陸軍は、三単位師団19個を基幹とし、戦時には2倍の38個師団を、半年以内に整えられるだけの軍備を整えつつあった。
また、それを補う存在として、海兵隊があり、4つの鎮守府に、1個海兵連隊を基幹とする鎮守府海兵隊がそれぞれ置かれ、上海防衛のために、2個海兵連隊を基幹とする上海特別海兵隊が設置されていた。
海兵隊も、また、戦時には鎮守府海兵隊は、海兵師団に(上海特別海兵隊は、2個師団に)拡張される予定となっていた。
とはいえ、それでも陸軍と海兵隊を併せても、平時には約21個師団に過ぎない。
これを補うものとして、満州事変後に軍改革を行った結果、韓国軍が三単位師団6個を保有していた。
また、いわゆる満州国軍が三単位師団16個の編制、保有を試みてはいたが、財政難もあり、何とか10個師団を保有しているに過ぎなかった。
一方、極東ソ連軍だけで20個師団を、1937年時点のソ連は整えていた。
欧州や中央アジアからの増援部隊を考えれば、兵力差は更に開く。
そして、問題は共産中国の存在である。
共産中国が、独ソから軍事顧問団を受け入れ、実際に100万人以上の陸軍を保有し、40個師団以上の部隊を保有することを考えれば、その兵力差は、日満韓にきついものがあった。
ちなみに各国軍の質については、日本軍上層部の判断としては、日ソが対等、共産中国や満州国、韓国の軍は、日ソと比較した場合、その質的実力は、日ソの半分から3分の1と見積もられていた。
そして、この判断は、皮肉にもソ連もほぼ同様に考えており、英米独仏等の第三国も同様に考えていた。
かといって、陸軍の量的拡充は財政的に困難で、日本は、質的向上に奔った。
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