第1章ー1 日本の軍備の状況
第1章の始まりです。
日本の陸海空海兵四軍の軍備の説明章で、基本的に第三者支店になる予定です。
「この歳になって、父親の贈り物を喜ぶことになるとはな」
1937年の5月下旬、土方歳一中佐は、複雑な表情を浮かべながら、スペイン内戦によって得られた様々な兵器や戦訓の情報について、独り言を述べていた。
スペイン内戦に赴いていた海兵隊を主力とする日本の軍人からの様々な情報が、土方中佐らの下に順次届いていた。
その内容は、本当に宝の山ではあったが、土方中佐にしてみれば、仕事を増やす内容でもあった。
「厄介だな。後回しにしたいが、主敵のソ連がそれを策しているというのなら、無視できない」
フェドロフM1916自動小銃が、スペイン内戦で投入されているという情報は、土方中佐をはじめとする日本海兵隊や陸軍の兵器担当者に激震を走らせた。
ひょっとして、ソ連軍は、自動小銃を前線部隊の全てに、近々配備する気ではないか、という疑惑を生んだのである。
「スペインという僻地の部隊にまで、自動小銃が投入される事態とあっては、疑惑が否定できない」
土方中佐以下、多くの兵器担当者がそう考えるに至ったことから、38式歩兵銃の後継銃となる99式小銃は6.5ミリの口径で忍ぶことになった。
99式小銃は、38式歩兵銃と異なり、工場での大量生産が可能になった銃であり、ある意味では日本の工業技術水準の向上を示す銃ではあったが、6.5ミリという小口径であり、前線の歩兵部隊からは不満がこぼれる銃となった。
99式小銃について、欧米諸国と同様に7.7ミリ前後の口径に拡張し、軽機関銃と同様の銃弾を使うべきだった、という批判は、21世紀まで絶えない批判ではある。
だが、99式小銃の開発が最終的に決まった1937年当時にあっては、上記のようにソ連軍も自動小銃化を近々図っているという疑念があったというのも事実であるのだ。
ソ連を日本が最大の主敵と考えている以上、日本も自動小銃を前線部隊に配備したい、という考えが浮かぶのも、ある意味、当然の話だった。
そして、自動小銃を前線部隊に配備することを考えるならば、7.7ミリ前後の口径というのは、自動小銃で使うには、大口径過ぎるというのも事実ではあるのだ。
そして、結果的にではあるが、自動小銃の開発、配備は、日本(というか米国以外の全ての国)では、第二次世界大戦後の話となってしまうことになる。
だが、1937年時点では、当座は99式小銃で、そして自動小銃が開発され次第、自動小銃への更新が、日本の方針だったのだから、小銃用銃弾は、6.5ミリで行こう、というのは、そうおかしくない判断ではあったのだ(スペイン内戦での報告書では、38式歩兵銃の威力にそう不満は出ていなかった。)。
その点からすれば、批判はもっともな話ではあるが、現実的にはやむを得ない誤断の一つと言えるのではないだろうか。
また、スペイン内戦によってもたらされたソ連からの収穫としては、F-22野砲が挙げられる。
この野砲は、ソ連でも、対戦車用としての使用が想定されていた砲ではあるが、製造用の冶具まで、スペイン内戦で確保できた日本では、対戦車砲として基本的に採用されることになった。
そして、この砲は、その後、改修されて零式重戦車の後期型の主砲として採用される等、日本の陸軍や海兵隊に、戦車砲や対戦車砲として、第二次世界大戦中に愛用される砲となるのである。
他にも独の88ミリ高射砲(Flak18)が、スペイン内戦では確保されることになり、これを参考にした90ミリ高射砲が、日本でも開発、採用されることになる。
このようにスペイン内戦によって、幾つもの兵器が、独ソから日本へともたらされることになり、その成果は、第二次世界大戦において花開くことになった。
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