2-2
「逃がすな! 殺せ! なんとしても殺すんだ!」サンデルマンの怒号が飛んでいる。
二人は続き部屋から廊下へ出ると、階段へ向かった。廊下の向こうからも二人の警備兵が駆けて来る。
「庭へ!!」とジグリットが叫ぶと、騎士は背後から敏速に彼を追い抜いて、最初の敵を斬り伏せた。ジグリットももう一人の警備兵の剣を受け、弾き返す。背後から近衛隊の隊員達が近づいている。騎士は即座にジグリットの相手も斬りつけ、廊下へ倒した。
まだ息のある彼らを置いて、二人は階段を駆け下りる。扇型の階段の中程から、ファン・ダルタは手摺りに手をつくと階下へ飛び降りた。他に敵の姿は見えない。ジグリットが追いつくと、階段上部に近衛隊員達が勢ぞろいしていた。
「さあ、王子!」
ファン・ダルタは入ってきた窓ではなく、玄関扉を開けようとしたが、鍵がかかっていた。それを見たジグリットがしゃがみ込み、衣嚢の中から針金を取り出すと、鍵穴に突き刺した。上下左右に揺らしている。その間に近衛隊員達は階段を降りきっていた。ジグリットはまだ鍵穴を弄っている。
「王子、別の窓から出ましょう」
騎士の言葉にジグリットは「もうちょっと」とだけ答え、そこから離れる気配はない。ファン・ダルタは意を決して隊員達に向き直った。ジグリットが鍵を開けるまではここで阻止する構えだ。そのとき、錠前の廻る懐かしい手ごたえをジグリットは感じた。両開きの扉が開く。
「行くぞッ!!」ジグリットが屋敷の前に広がる庭内へと外階段を駆け下りる。
騎士は隊員達が自分を恐れてすぐには襲ってこないことを知り、じりじりと後ずさって充分な距離を取ると、また背を向けジグリットを追った。
「待て!!」「逃がすな!」近衛隊員も慌てて追って来る。
ようやく屋敷の喧騒を聞きつけたのか、他の警備兵がどこからか現れたらしく、ジグリットが花壇の配置された円形の庭につく頃には、二人を二十人近い男達が取り囲んでいた。
「王子、わたしから離れないでください」冬将の騎士がジグリットの背中に自分の背を押し付け言う。
「言われなくとも、そうする他ない」
どこにも逃げ場のなくなったジグリットが答えると、屋敷の玄関口からサンデルマン本人がのそのそと現れ出た。階段の上に立つ当主は、周りを囲んでいる男達を鼓舞するように「心臓を貫いた者に褒美をやるぞ!」と喚いている。
こんなに騒げば隣りの屋敷も何か起こっていることに気づくだろうに、とジグリットは苦笑を漏らした。王子を暗殺するつもりなら、密かに素早く一度で成功させるべきだ。それなら自分は死んでいただろう。だが二度目はない。
ジグリットは剣を握り締め、騎士に言った。
「こちらに構わず、全力で戦え」
騎士が少しだけ首を回し、小声で答える。
「剣戟の稽古だと思えばいいのです。違うのは、彼らがわたしや騎士長とは比べ物にならないほど弱いということぐらいです」
ジグリットは珍しい騎士の忠告に肩を竦めた。そして最初に向かって来た二人の男に眸を向けた。
短髪の警備兵二人がジグリットに突っ込んでくる。ジグリットは集中し、背後を完全に忘れて剣を構えた。同時に振り上がった剣を受けずに躱すと、態勢を整えるのが遅かった方の男の腹をジグリットは真横に斬り裂いた。倒れる男を見ず、すぐに右腕に斬りかかってきた男の剣を受ける。今度は刃が噛み合い、ぞっとするような金属音を立てた。ジグリットは足を踏ん張り、頭上から食い下がってくる男の力に対抗しようとしたが、最初から躰付きも上背も違うのだ。敵うはずがない。一瞬、馬鹿力で押し返すと、ジグリットはふっと力を抜いて男の刃を流した。見えた首筋に猛然と一撃を食らわすと、視界が赤く染まった。
そこでジグリットは騎士と背中が離れたことに気づき、また元の場所へと後ずさった。少し見えたファン・ダルタの姿は、すでに大量の血を被って、なお雄叫びを上げて無謀に攻める兵を容赦なく斃していた。
それから数十分、実際には数分だったかもしれない時間が流れた。ジグリットは、眸の前の敵をすべて殺した騎士が時折、躰を回転させ、王子に向かう敵まで請け負って、自分の倍は相手にしているのに、息一つ乱すことがないのを、驚愕と畏怖の念で屍体を見下ろすことで感じ取っていた。
しかし減っているのかどうか、ジグリットにも最早わからなかった。二人にとっては長い戦闘だが、多勢の敵にとっては最初の相手なのだ。疲労を感じ始めていたが、ジグリットには言い出す余裕さえなかった。
近衛隊の隊員の内の一人がジグリットに向かって来る。王宮内で見たことがあったが、彼の名前までは知らなかった。刃を交えた瞬間、薄茶色の髪の男が言った。
「タザリアに君臨なさるのはリネア様だっ!」
それはジグリットの集中力を途切れさせた。彼は脚を退こうとして、転がった屍体の腕を踏みつけ、前のめりに態勢を崩した。
「もらったァッッ!!」
狂喜する男の叫びに、ファン・ダルタが振り返る。刃がジグリットの襟首を狙って打ち下ろされていた。
「ジッ――」彼は言ってはならない言葉を口にする瞬間に、態勢を崩したジグリットが男の足首を斬り落とすのを見た。
男が呻きながら地面に転がる。しかしその手に剣はない。ジグリットはつまずいた屍体の上に伏せたままだ。
ファン・ダルタは目前にいた二人の兵を瞬殺すると、ジグリットの腕を掴み、強引に引き摺り起こした。
「おい、大丈夫か!!」
一振りの血のついた剣が転がり落ちる。ジグリットの長剣かと思った騎士は、彼がまだ指先が白くなるほどに強く自分の剣を握っているのを見た。ジグリットの閉じていた眸が開くと、ファン・ダルタはほっと息を漏らした。
「怪我はないですか?」
「平気だ。それより、前を見ろ!」
ジグリットの指摘通り、向かいから懲りずに、さらに三人が走り込んでくる。騎士はまだ顔を曇らせていたが、ジグリットの腕を離して敵に向かった。
ジグリットはなんとか立っていたが、騎士が掴んだ方ではない左腕は鮮血が服の中で痛みと共に溢れ出していた。
――早く決着をつけないと・・・・・・。
この出血量ではそのうちふらつくぐらいでは済まなくなるだろう。ぼうっとしてきた頭を振ると、ジグリットは剣を持ち上げた。敵の数はまだ十人はいる。そのとき、眸の端に階段の上にいたはずのサンデルマンが映った。圧していると見て降りてきたのだ。ジグリットは空を見上げた。冷たい夜空に星が瞬いている。
「行け! ヤツは手負いだ! 殺すんだ!!」サンデルマンのがなり声に二人の兵がこちらへ向かって来る。
――もう時間だ。ちょうどよかった。
――いや・・・・・・もうちょっと早くてもよかったな。
ジグリットは剣を下ろした。二人の兵が怪訝な表情で眸の前に立ち止まる。
「おまえ達の負けだ!!」ジグリットは向かいの兵ではなく、五十ヤールほど離れた場所で傍観しているサンデルマンに叫んだ。「見ろッ!!」王宮の方角を指で示すと、サンデルマンだけでなく、警備兵や近衛隊員達までもが、暗夜のアンバー湖の北へ眸を向けた。
彼らは王宮の南側城壁の上部に一点の赤い光を見た。それはほんの僅かな間に城壁の左右を這うように広がり、あっという間に一列の赤い光線に変わった。そして、赤く小さな光点が一つ、流れ星のように空を駆けた。それは最初ゆっくりと、だがやがて炎の塊となって飛来し、サンデルマンの屋敷の尖塔に突き刺さった。
「火矢だぞ!!」「それよりあの城壁・・・!」「どうなってるんだ!?」
警備兵達がざわめき出す。
屋敷の尖塔は燃えにくい素材なのか、矢は突き刺さっていたが、火は鎮火したらしい。それでも充分なほどに効力があった。
「他にも仲間がッ!?」
驚くサンデルマンに、ジグリットはにやりと笑った。
「準備だけは怠らないように、いつもグーヴァーに言われている。そして手の内をすべて見せるのは、相手が地に伏せたときか、己が窮地に陥ったときだけだともな」
それを聞いた後の兵達の動きは、沈没するとわかった帆船に乗っている鼠のような素早さだった。
「加勢が来るとまずいぜ」
「あの黒い騎士みたいなのが大勢いるんだろ?」
王宮から援軍が押し寄せる恐怖に、次々と警備兵が逃げて行く。いつの間にか、近衛隊の隊員まで姿を消していた。
残ったのは当主のサンデルマン、ただ一人で、彼はまだ煌々と照る城壁を唖然として見つめていた。しかしジグリットが近づいて行くと、男は立ち上がり、ふらふらと向こうからも歩み寄って来た。
「こ、こんなところで・・・・・・」
サンデルマンが口の中で何かもごもご唱えているのを、ジグリットは見た。男は屍体の手が握っていた剣を拾い上げると、泥酔したような足取りでジグリットに斬りかかった。
ファン・ダルタが危険を感じて走って来る。しかしジグリットは容易く、サンデルマンを剣の平手で打ち据えた。頭を殴られサンデルマンは不恰好にごろごろと地面を這った。
「う、嘘だ・・・・・・おれが、このおれがこんなところで・・・・・・」
頭から血を流しながら、男はその場で悶えるように唸ると、やがて泣き始めた。嗚咽を漏らすサンデルマンを、嫌悪の眸で見つめていたジグリットに、男はようやく王子の姿を見上げて震える声で告げた。
「た、頼むから・・・殺さないでくれ。悪かった! いや、本当に悪かったと思ってるんだ! でもやつらが・・・・・・デザーネやヒヴァの女が、それに他のやつらも・・・・・・」
ジグリットは命乞いをするサンデルマンから顔を逸らした。その薄汚い顔も、性根の腐った精神も、吐き気がするほど身勝手に思えた。しかしもう殺そうとは思わなかった。
「上流階級が首謀者だということはわかっている」ジグリットは背を向けてそう答えた。その直後だった。
「王子ッ!!」眸の前の騎士が手を突き出すのが見えた。
ジグリットを引き寄せようとしたのだ。サンデルマンから遠ざけようと。しかしそれは指先の分だけ届かなかった。
ドンッ、と音と共にジグリットが躰を前後に揺らし、眸を見開いて騎士を見上げると、静かに地面に倒れた。
「へっ・・・へへっ・・・・・・ッ! やったぞ! 王子を殺したぞ! ハハ・・・ハハハハハッ!!」
それがサンデルマンの最期の言葉であり、最後の笑いとなった。冬将の騎士は地面に四つん這いになり哄笑している男の肩口から上を、一瞬にして刎ね飛ばした。両腕が切断されて右手と共に握っていた短剣が転がり、頭部と僅かに繋がった首より下の肉塊が弧を描いて飛んでいった。残った頭のない跪いた屍体が、平衡を失ってぐしゃりと後ろへ倒れる。
「ジグリットッ!! 大丈夫か!? ジグリット!!」血のついた刃を払いもせず、騎士はジグリットを抱き起こした。
ジグリットの眸は開かれていたが、その照準はどこにも合っていない。ファン・ダルタは彼が受けた背中の疵を探すため、外衣を乱暴に脱がせた。すると左腕から指先までジグリットの服はびっしょりと血で濡れていた。
「・・・そんな!」いつの疵か彼は見当がついて、自分の愚かさに歯噛みした。
だが腕の疵は出血量は多いが、致命傷にはならないだろう。騎士はジグリットを腕の中で俯かせ、なめし皮の短着に開いた背中の穴を見つけた。直径一インチ(およそ2.5センチ)ほどの縦長の刺し疵。短剣の刃と符合する。慌てて短着を脱がせた騎士の眸に、鎖帷子が飛びこんできた。下に着用していたのだ。
そのよく鍛造された鋼の色に、騎士は息を詰め、そして心の底から安堵の吐息を漏らした。この鎖帷子なら、短剣の刃は彼に疵一つつけなかっただろう。騎士はそっとジグリットを仰向きに地面に寝かせた。
「王子、起きてください。まだ寝るには早すぎますよ。あなたにはやらなければならないことが残っています」
できればこのまま王宮まで連れて行き、静かに寝かせてやりたかったが、そういうわけにもいかなかった。ファン・ダルタはジグリットがどうやってこの後、他の上流階級を黙らせるつもりなのかを知らなかった上、本当に王宮から援軍がやって来るのかも聞かされていなかったのだ。
「王子っ!」騎士はやむを得ず、彼の蒼白した頬を何度か軽く叩いた。




