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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
黒狼の騎士
96/287

2-1

          2


 赤茶色の煉瓦塀(れんがべい)が二枚並んで立っている間で、二人は湖に面した側の大きな屋敷を見上げていた。正門は五十ヤールは南にある道に面している。塀の狭間の突き当たりは別の屋敷の裏の壁になっていた。方向感覚の鈍りそうな三ヤールほどの塀の内側は、庭になっているのか、ちょうど彼らが立っている場所は(ブナ)の太枝が塀よりも高い場所に突き出していた。しかしその枝も、五ヤールは頭上にあり、二人がどうがんばっても届きそうにない。

 騎士は取っ掛かりの一つもない煉瓦を見上げたまま言った。

「ここはサンデルマン家ですね。あの男が前金を受け取った相手がサンデルマンだからですか?」

 それは今朝、彼らが森で撃退した賊の首領から聞き出した名前だった。彼らはサンデルマンに雇われて、上流階級(アルコンテス)のために素早く王子を殺すことを依頼されたのだ。

「この家の主人の職業を知っているか?」ジグリットがごそごそと外衣(マント)の下から何かを取り出す。

「確か、高利貸しです」

「そうだ。貧しい家に多額の金を貸してやって、その不当ともいえる金利でさらに貧しくさせる。いわば貧しい者達から搾取(さくしゅ)した金で、利益を得る亡者(もうじゃ)の一族だ」

 ジグリットが手に縄のようなものを持っているのに、騎士も気づいた。

「高利貸しだからこの貴族を選んだのですか?」

 不思議そうに眺めている騎士に、ジグリットが笑みを浮かべる。

「それだけじゃない。ここの一族は新興貴族で上流階級に仲間入りしたばかりだ。他の貴族との繋がりが薄い」

 言いながら、ジグリットが騎士から少し距離を取り、狭い二フィート(およそ60センチ)ほどの塀の間で縄の中頃を掴んで回転させ始める。その先端には、何の変哲もない棒切れが(くく)りつけられていた。

「ようやくあなたが考えていることの一端がわかり始めましたよ、王子」

 そのときジグリットがひゅっと右腕をしならせて縄を投げた。軽く三ヤールの塀の上を過ぎ、縄は五ヤール上の撫の太枝に巻き付いた。ジグリットが引っ張る。棒切れが止め具の役割を果たし、強く引いてもびくともしない。

「わかりましたが王子、本当にこんな所から入るのですか?」

 ジグリットは騎士の文句に耳を貸さず、さっさと縄にしがみ付くと、壁を器用に登り始めた。

「嫌ならここで待っていろ」

 足元へと下がっていく騎士にそう告げると、不承不承(ふしょうぶしょう)といった様子で「行きます」と低い声が聞こえた。

 ジグリットの巧みな登攀(とうはん)には、ファン・ダルタも舌を巻くほどだった。実を言うと、ジグリットはエスタークにいた頃、金持ちの貴族の家にこっそり忍び入って、金品を頂戴(ちょうだい)する仕事をしたこともあったので、こういった屋敷に入り込むのは得意だったのだ。しかしそれを騎士に言うわけにはいかなかった。ジグリットは今は王子で、ジューヌなのだ。泥棒の得意な王子など、いるわけがない。

 撫のしっかりした太枝に乗ったジグリットに続いて、すぐにファン・ダルタも縄を掴み登って来る。騎士は初めてだったが、日頃から鍛えている彼にとって、これぐらいは容易(たやす)いことだった。

 二人は別々の枝に移ると、眼下の暗い(かげ)に人や犬といった動くものの姿を探した。しかし庭内は時間が止まったかのように静謐(せいひつ)そのもので、敵どころか家人さえいないようだ。二人は顔を見合わせ、ゆっくりと枝伝いに木を下りて行った。地面に足がついてからも、警戒を(おこた)らない二人に、庭とそして少し高台になった場所に建つ灰色の屋敷は粘土(ねんど)細工のように堅く冷たい外見を保っている。

 ジグリットは声を出さず、屋敷の方へ行くと騎士に身振りで合図すると、彼もそれに(なら)って歩き出した。貴族の屋敷だというのに、巡回の警備兵も置いていないことに、ジグリットは不信感を抱き始めていた。しかし警備する者が多いならまだしも、いないからといって、そのまま帰ったのでは莫迦莫迦(ばかばか)しすぎる。

 二人は難なく木々の陰を渡り、屋敷へと辿り着いた。広い屋敷だが、ジグリットは一目で寝室がどこかを当てることができた。それもエスタークにいた時分に学んだことだ。金持ちは上階で寝たがる。そして細長い窓の形は室内のものではなく、廊下の窓であることが多い。鎧戸(よろいど)はさすがに閉めてあったが、一階の手の届く位置に窓を見つけると、ジグリットは短剣(ダガー)を取り出して、鎧戸の横板と(さん)の隙間に突っ込んだ。

 騎士はそれをただ見ていたが、一言も口を利かなかった。ジグリットが慣れていることはわかっていた。彼は元々エスタークの貧民窟(スラム)出身の少年だ。正体を知っている騎士にとって、何の疑問でもなかった。

 窓が開くと今度は背の高い騎士が先に、窓の桟に手をかけて中へ忍び込んだ。すぐに顔を出し、ジグリットに誰もいないことを告げる。ジグリットは騎士の伸ばした腕に掴まって、廊下へと降り立った。すぐに上階へ行くと指を立てて伝える。

 廊下の突き当たりには玄関広間(ホール)があり、そこから扇型に開いた胡桃(くるみ)材の階段の手()りに沿って上階へと進んでいく。まったく人の姿は見当たらない。ところどころにある壁の燭台(しょくだい)には短くなった細い蝋燭(ろうそく)が一本立ててあるが、その周辺一ヤールほどを照らしているだけで、絨毯(じゅうたん)の色さえ判別できないほど薄暗い。

 ジグリットが先に階段を昇り切り、二階の廊下へと出て行こうとすると、ファン・ダルタが突然、背後からジグリットの腕を掴んで引き寄せ、自分の黒貂(くろてん)の外衣に包み隠すようにした。すぐに廊下の奥から人の声が近づいて来る。騎士は階段の角にできた僅かな陰に身を寄せ、息を潜める。その直後に二人の男が辺りを見回しながら廊下を通り過ぎた。

 ――危なかった・・・・・・。

 ジグリットは騎士の腕の中で硬直したまま、男達の声が遠ざかるのを聞いていた。やがて騎士の外衣が開かれると、今度は慎重にジグリットは廊下を(うかが)った。さっきの警備兵達は廊下の角を曲がって行ったらしい。すぐに戻って来る気配はなさそうだった。

 廊下には右手に二枚、左手に一枚の扉があり、二人はそれぞれ別の扉へ近づいて、互いに耳をつけ室内を確かめた。ジグリットは物音のしないことを笑みを浮かべて伝える。ファン・ダルタも同様に、こっちも大丈夫だと頷いた。そして同時にそっと互いの前にある扉を開くと、隙間から中を覗き込んだ。

 ――暗いな、蝋燭すら()いていない。ここじゃない。

 ジグリットは振り返り、もう一枚の扉の中を確かめている騎士を待った。騎士も振り返り、首を振る。

 ――だとすると、あの部屋か。

 二人は足音を殺すようにひそやかな動きで離れた扉へ近づくと、共に耳をつけ中を探った。何も聞こえない。そしてそっと扉を開く。室内から暖かみのある淡い橙色(オレンジいろ)の光が漏れてきた。誰かが松明(たいまつ)をつけているのだ。二人は()り足で僅かな隙間から部屋の中へと俊敏に入った。そして騎士が後ろ手に扉を閉める。一度、金具の触れ合うカチッという小さな音がした。そのほんの僅かな音にさえ二人は息を呑み、ひたすらその音が偶然か自然の産物であるかのように、部屋の中にいる者が認識するのを待った。それは数十分に思えるほど長い時間だった。

 二人の前には華麗な金糸入りの金襴織(ブロケード)長椅子(ソファ)がぽつんと置いてあり、今はそこに誰も座ってはいなかった。騎士は扉から離れ、ようやく部屋の中央へ進み出た。ジグリットも扉に張り付いた背をなんとか引き()がす。

 ソレシ城の王子の居室ほどもある広い室内の奥に、二人はもう一枚の扉を見つけた。寝室があるならそこだろう。ジグリットが近づいて行こうとすると、ファン・ダルタは彼の側に来て、耳元に(ささや)いた。

「わたしが行って来ましょう。あなたはここで待っていてください」

 しかしジグリットは(かぶり)を振った。

「ぼくの計画だぞ。だったらおまえがここにいろ」

 騎士の眸に暗い光が宿った。

「あなたに人が殺せるのですか?」

「必要ならば」とジグリットは答えて、真摯(しんし)な顔つきで彼を見上げた。「脅すだけでは上流階級を止めることはできないだろう。ぼくは最初から覚悟している」

 騎士が言い返す前に、ジグリットは扉へ向かって行きながら、腰の長剣を抜いた。扉が開かれ、そしてジグリットが部屋の中へ駆け込んでいくのを、ファン・ダルタは自分も剣を抜きながら、心臓を痛いほどに震わせながら追った。

 部屋の正面の壁に巨大な寝台(ベッド)が頭をつけるようにして置かれていた。白い布団(ふとん)に小高い山のような盛り上がりができている。ジグリットは躊躇(ためら)わなかった。頭の中で騒がしいほどに、緊張と恐怖が織り成す、甲高い悲鳴のような警戒音が鳴っていた。両手で握った剣をジグリットは寝台に飛び乗り、言葉にならない叫びを上げながら頭上へ突き上げた。そして間髪入れずに突き下ろす。

 盛り上がった布団の中央を剣がまっすぐに刺し貫いた。その感触にジグリットはぞわっと身の毛のよだつ思いがして、騎士を振り返り愕然(がくぜん)とした表情で言った。

「これは違う!」

 騎士は寝台の手前で立ち止まっていたが、すぐにその意味に気づき、ジグリットに手を伸ばした。

「王子、早くこちらへ! これは――」罠だ、と騎士は口にすることができなかった。

 寝台の向こう側にもう一枚扉があり、そこから四人の頑強(がんきょう)そうな男達が現れたのだ。その背後から、(たる)んだ腹を突き出した大狸(おおだぬき)に似た中年の男が続いて入って来る。

 寝台の上にいたジグリットは、刺さった剣を引き抜き、布団を乱暴に引き剥がした。そこには丸めた毛布(ブランケット)が転がっていた。ジグリットはゆっくりと絨毯に下り、冬将の騎士が近づいて敵の前に立ちはだかると、それを退けるように隣りに並んだ。騎士としては王子には背後にいて欲しかったのだが、無理強いはしなかった。

 青い寝間着(ねまき)姿の狸腹の当主らしき男が、二人の侵入者をわざとらしい驚きを持って迎えた。

「こんな時間によくいらっしゃいました」

 サンデルマンは本当に今までぐっすり寝ていたのか、髪は嵐に()ったかのようにのたうっていた。二人が黙っているので、さらに偉そうに彼は言った。

「上流階級入りしてからは、自分の寝台で寝たことはなくてね。いつこのような謀殺(ぼうさつ)に遭うかわからない」

 ジグリットは余裕を見せるサンデルマンを前に、逃走経路について考えた。騎士も逃げる算段をしているのか、ひたすら敵を睨みつけている。

「お見受けしたところ、タザリア王家のジューヌ・タザリア様ではございませんか。これはこれは、よくぞお越しくださいました。ですが、できればちゃんとした経路でお入りいただきたかったですな。特に、これが最後の訪問となるのですから」

 ジグリットはどうにか自分の側に状況を引っ張り込めないかと考えていた。ファン・ダルタが口を開く。

「待ち構えていたようには思えないが」

 騎士の言葉に愉悦(ゆえつ)(ひた)っているのか、サンデルマンは冷笑した。

「言ったでしょう。上流貴族というものは、日々暗殺の影に怯えているのですよ。(ねた)みや(うら)みを持つ者が多くていけない」

「おまえの今までの所業が知れるな」

 皮肉ったファン・ダルタを、サンデルマンは気にも止めなかった。そして無防備に前へ出てくる。

「しかしこれほど、喜ばしい事はありませんよ」王子であるジグリットをいやらしい眸で見つめて男は笑った。「一刻も早く、あなたを始末しなければ、こちらの身が危ういところだったのでね。本当に、わざわざ死地にまで(おもむ)いて来られるとは、王子様様です」

 あまりの態度に騎士が激高した。

「貴様、王子に(やいば)を向ける覚悟があるのか!」

 それはただサンデルマンの嘲笑(ちょうしょう)を買うだけだった。

「我が一族に関係のないこと。王子とそのお付きの騎士殿は、他国の見知らぬ暴漢(ぼうかん)に襲われて死んでしまうのですよ」

 ジグリットはようやく考えるのを止め、彼もサンデルマンと同じだけの余裕の笑みを浮かべて言った。

「方法としては単純だが、なるほど。それなら誰もおまえ達を疑わないだろうな」

 そしてジグリットはサンデルマンの背後で突っ立っている四人の(たくま)しい体格の男達を見て指を差した。

「ファン・ダルタ、彼らに見覚えは?」

 騎士は薄暗い室内で眸を(すが)めた。そしてすぐに思い至って、ジグリットを見返した。彼らは近衛隊の隊員達だったのだ。

 ジグリットは(あき)れた様子で、二人の前に現れた隊員達に訊ねた。

「フツはこの事を知っているのか!?」

 冬将の騎士の倍は肩幅のある一番大柄な男が答える。

「残念だが、隊長は国政にまったく興味のない方だ。だが、我々が確固たる道を築けば、隊長もわかって下さる」

 ファン・ダルタはこれをフツが聞いたら、喜ぶどころか激怒するだろうなと苦笑した。隊員達は(いささ)かも(おく)することなく、王子と冬将の騎士に対して揃って剣を抜いた。サンデルマンがあたふたと背後に隠れる。

 ジグリットは彼らが向かってくる前に、隣りの騎士の腕を掴んだ。

「ファン・ダルタ、来いっ!」

 背後の続き部屋へと駆け戻るジグリットについて、騎士も走り出した。

「逃げたぞ!」隊員達が追って来る。

 ジグリットの耳には、サンデルマンまでもが追って来る足音が聞こえていた。


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