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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
黒狼の騎士
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第七章 間隙の黒い鼠

第七章 間隙(かんげき)の黒い(ネズミ)

          1


 冷たい強風が街道を轟然(ごうぜん)と走り抜けていた。すっかり日も暮れ、白帝月(はくていづき)の寒さに動植物のすべてが巣篭(すごも)りを始めたのか、辺りは風と少年の厚い長靴(ブーツ)が乾いた地面を蹴る音だけが響いていた。

 薄灰色の外衣(マント)頭巾(フード)(かぶ)ると、彼の眸には足元しか見えなかったが、それでも明かり一つない街道で見るものも特になかった。チョザの街から南へと続く街道は、まだ凍りつきはしていないアンバー湖に沿って、馬車の(わだち)と枯れた雑草の跡を残して伸びていた。少年は手を重ね合わせて、冷たい指に口を当て息を吹きかけた。足はチョザの街を抜ける前から、一定の速度で急いでいる。

 ――こんな寒い夜に出かけるなんて久しぶりだな。

 彼は振り返り、遠ざかりつつあるチョザの薄ぼんやりとした街の明かりと、その上に(そび)える王宮の尖塔(せんとう)を眺めた。背後の街道には人っ子一人歩いていない。それもそのはずで、身の安全を大事に思う人間なら、夜の街道にどんな(やから)が潜んでいるかぐらいは知っていて当然だった。

 左手に望むアンバー湖の水面は黒く底知れない。そして右手に広がる農地は、同じほどに黒くどこまでも遠方まで延々と続いているように見えた。ジグリットが暗闇に白い息を吐き出しながら駆けていると、ずっと前方で声がした。耳を澄まして近づいて行く。しかし徐々に足を(ゆる)めると、彼はそれが女性の声であることに気づいた。

「やめて下さい!」

 女性の悲鳴に被さる男の声。

「まぁまぁ、そう邪険(じゃけん)にすんなよ。ちょっと一緒に来て欲しいだけだって」

 ジグリットは十ヤールほど手前で立ち止まり、頭巾を取った。

「離して下さい!!」

 明らかに嫌がっている白い服の女性が暗い道の中央辺りに幽霊のように浮かんで見えた。彼女の腕を掴んでいる男は酔っ払っているのか赤らんだ顔をしている。

 ――どうしよう。

 ジグリットは自分の正体がバレることを恐れて、その場で逡巡(しゅんじゅん)した。しかし酔っ払った男が右側の畑の(うね)と畝の間に女性を突き飛ばすと、すぐさまそこへ走り込んで行った。

「やめろ! 彼女、嫌がってるだろ」

 突如、()いて出た少年に、男は陰気な眸を向け怒鳴った。

「ンだぁ、てめぇ! 邪魔すんじゃねぇ」

「ぼくも邪魔したくてしてるんじゃない」

 ジグリットは冷たい土の上で躰を起こそうとしている女性に手をかけて、彼女を立ち上がらせた。真っ白だったはずの服は泥にまみれて見るに()えない。

「この野郎!」

 男は両手を振り上げて、ジグリットに掴みかかろうとした。それを身軽にひょいっと(かわ)して、ジグリットは女性を先に街道に上げると、チョザの街へ戻るよう手を振った。

「ほら、今のうちに行けって」

 二十代にもなっていないだろう額の広い赤毛の女性は、いまだに強張(こわば)った表情だったが、ジグリットに頷いた。

「あ、ありがとう」そう言うとまっしぐらに街の明かりへ向かって駆けて行く。

「ああ、女が逃げちまったじゃねぇか!」

 ジグリットは落胆している男を置いて、さっさと街道へ上がった。

「酔っ払うなら、自分の家でやれよ」

 こんな所で時間を食うわけにはいかなかった。しかし男は逃げた女の代わりにジグリットを標的に決めたのか、酔っ払いとは思えない敏捷さで街道へ戻ると、再び掴みかかってきた。

糞坊主(クソガキ)が!」

 ジグリットはまた軽く躱す。男は低く(ののし)りながら、何度もジグリットを捕まえようとした。しかし何度目かの失敗の後に手を止めると、ジグリットをじろじろと見回した。

「あァン? よく見りゃ身なりはいいじゃねぇか。そうだな、その腰のご立派な(ブツ)を置いていきゃあ、(ゆる)してやらんこともないぞ」

「おまえなんかに赦しを()うつもりはない」

 男は言うことを聞かない生意気な少年に、我慢の限界だとでも言いたげに(つば)を吐いた。

「知らねぇぞ、もう(ひざまず)いて謝っても赦してやんねぇぞ」

 ジグリットはこの手の男の扱いをよく知っていた。エスタークで貧民窟(スラム)の住人として暮らしていた頃、酔っ払いを相手にすることは多々あった。

 ――ハァ・・・・・・面倒だな。

 走って逃げようか、と思っていると、男が叫んだ。

「おい、どっち向いてやがる!」

 ――やっぱり相手してられないな。

 空を見て、星の位置から時間を推定(すいてい)する。

「忙しいんだ。もうぼくは行くぞ」

 そう言ってジグリットは本当に歩き出した。

「お、おい・・・・・・無視すんじゃねぇ!」

 男は背を向けたジグリットに、慌てて手を伸ばした。しかし、その手は少年の外衣に触れることはなかった。ガッ、という妙な(カエル)か何かの鳴き声のような音の後、どさっと地面に男が倒れたからだ。ジグリットは瞬時に振り返り、そして眸を(みは)った。

「なんでおまえがここにいるんだ!?」

 闇の化身のごとく、漆黒の姿の男が突っ立っていた。

「それはわたしの台詞(せりふ)です、王子」

 騎士は剣の柄で男を殴りつけたらしく、気絶した男に眸もくれず、さっさと剣帯へと剣を戻すとジグリットを睨みつけた。

「ぼ、ぼくは・・・・・・散歩だ」

「わたしもです」

 ジグリットの虚勢を張った言い訳に、騎士は無情に返した。二人は(しば)し向かい合って、無言で相手を牽制(けんせい)した。しかしファン・ダルタの闇より濃い物言わぬ眸に、ジグリットは彼の苛烈なまでの怒りを感じてうな垂れた。

「・・・ああ、もう! わかった、言うよ。時間がないんだ。だから今日の始末をつけたい。これでいいか!?」

 ジグリットが開き直った末にそっぽを向くと、騎士はようやく空気を震わすほどの怒気を(やわ)らげた。

「このような危険を(おか)してその言い訳では不充分ですね。ですが言いたいことはわかります。そして最初の質問ですが、嘘をつきました。わたしは散歩ではありません。あなたの護衛です」

 ジグリットは溜め息をつくしかなかった。

「・・・わかってる。いちいち説明しなくていい」

 気絶している男を放って、歩き出したジグリットに、ファン・ダルタも隣りに並ぶ。ふと(そむ)けた眸に入った湖面が、一人でいた時より黒い天鵝絨(ビロード)のような暖かさに満ちて映った。一人で事を成すのがやはり不安だったのかもしれないが、騎士が来たことにほっとしているとジグリットは気づかれたくなかった。(なか)ば駆けるような速足で、ジグリットは街道を進んで行った。

 ファン・ダルタは王子の機嫌を伺う気もないのか、長い脚で颯爽(さっそう)と隣りを歩きながら訊ねた。

「なぜ黙って、しかも一人で行動なさるのです? わたしを信用できませんか?」

「そうじゃない」ジグリットは無愛想に答える。

「ではなぜです。理由を知る権利が護衛にはあります」

 ジグリットは立ち止まり、自分より頭一つは大きい騎士を見上げた。

「・・・・・・危険だからだ」

 冬将の騎士は眉を寄せ、意味がわからないと眸で伝えてくる。

「おまえやグーヴァーを連れて行くと、危険な目に遭わせることになる。この件に関してははっきりと味方だとわかっている者は少ない。それにこっそり一人でやる方が気楽だし、できる自信があった」

 最後の方はぶつぶつと口の中で呟いたジグリットに、騎士は(あき)れたように言った。

「あなたはご自分の立場を理解なさってますか?」

「当たり前だ!」それぐらいのことはジグリットにもわかっている。だが、色々と理由があったのだ。「それに、グーヴァーは必ず反対するだろう」

「それは当然です。わたしも反対しますよ」

 二人はまた睨み合い、今度はジグリットの方が強い眼差しで威圧した。

「ぼくは何としてでも行くぞ。だからおまえには、今すぐ走って行ってグーヴァーの忠実な部下として告げ口をするか、ぼくと共に行くかの二択(にたく)しかない。どうする?」

 ファン・ダルタは大きく息を吐き出した。こうなったら、彼は梃子(てこ)でも動かないだろう。

「・・・・・・行きますよ」

 しかし彼の胸中には、他の選択もあったのだ。ジグリットを無理やり連れ帰るという。ただそれをした後のことを考えると、ジグリットがこれ以上に無茶なことをしでかすんじゃないかという懸念(けねん)の方が恐ろしかった。

 (そろ)って歩き出すと、ファン・ダルタは散歩のはずのジグリットに問いかけた。

「でもどうする気です? 上流階級(アルコンテス)の十一家があなたではなくリネア様を支援しているというのに。一貴族ごとに説得して回るのですか?」

 ジグリットはアンバー湖の湖畔(こはん)に連なる幾つもの屋敷の方角に眸を向けていた。

「彼らはリネアを()してるんじゃない。権力を欲しているんだ。それに対してできる交渉はない。残念ながらな。だからそんな無駄なことはしない。いいから付いて来い。その腰の剣をしっかり持ってな」

「・・・・・・」ファン・ダルタは息を呑んだ。

 また彼は危険なことを考えている。森へ行って敵を(おび)き出すと言い出したときにも驚いたが、今度は敵の只中(ただなか)に入るつもりなのだろう。命が幾つあっても足りないかもしれない、と騎士は心でぼやいた。しかしそれも悪くはない。彼こそが守るべき王なのだ。これほど守りがいのある王もいないだろう。

 今夜は新月で、月光はどこにも射していなかった。午前中に空を覆っていた厚い雲は強風に流され、黒い画板のような空には星が(うず)を成すように輝いている。しばらく街道をまっすぐに行くと、ジグリットは湖畔へ下りる舗装された横道へと向きを変えた。もう上流階級や中流貴族の屋敷が点在する地区に入っている。騎士は夜の闇に自分達以外の人間――つまり敵――の姿を(とら)えるため、(オオカミ)のような用心深さで辺りを見回しながら、ジグリットのしっかりとした足取りに疑問を(いだ)き訊ねた。

「いつの間に上流階級の屋敷の場所までお知りになったのです?」

 ジグリットもさすがに緊張(きんちょう)の色を隠さず、風に広がろうとする外衣を躰に懸命(けんめい)に巻きつけている。

「王宮にいても地図は見れるし、外の話は侍女や侍従、それに小姓がよく知っている。もちろん、どの貴族がどんな職業で財を成しているのかも、どの貴族が隆盛(りゅうせい)しているかも、彼らは本当に呆れるほどに耳聡(みみざと)いんだ」

 道の両脇に植樹された木々の陰に眸をやりながら、騎士は薄く笑った。

「あなたが間諜(スパイ)真似事(まねごと)までなさるとは知りませんでした」

「城にいると、たまに退屈(たいくつ)で死にたくなる。リネアが良く言うけど、ぼくも同じさ」

 ジグリットは三本の分かれ道に至ると、迷わず北への一本を進んで行く。

「小姓達は何でも知っている。たとえば十一家の筆頭貴族デザーネ家の当主は足が不自由で常に屈強な護衛を二人はつけているとか、ヒヴァ家の当主は貿易商人で、夫はほとんど家に帰らずウァッリスにもう一家族囲っているとか、その妻エリクール・ヒヴァ夫人は両手の指に足らないほどの愛人を持っていて、近衛隊の隊員の中にその数人がいるとか」

 ファン・ダルタは下世話(げせわ)な話に眉をひそめた。

「それはいわゆる(うわさ)話でしょう。憶測(おくそく)も混じっているのでは?」

「かもしれないが、火のない所に(けむり)は立たないさ。他にも鷲鼻(わしばな)のカタソルドの当主の話や、マルタ家の兄弟の下品なあれこれ、貴族だなんだと言ったって、一皮()けば平民と変わらない」

 騎士は肩を(すく)めた。

「あなたに情報収集能力があることを()めるべきか(いさ)めるべきか・・・」

 そんな彼に、ジグリットは人差し指を立てて「グーヴァーには内緒だぞ」と悪小僧(ワルガキ)のような笑みを浮かべて釘を刺した。


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