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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
黒狼の騎士
93/287

          9


 白帝月(はくていづき)に入ったばかりのチョザ近辺の森は、雪こそまだ積もっていなかったが、早朝ということもあって、深い霧に覆われていた。連れてきた二匹の猟犬(ハウンド)は、微かに感じる獲物の臭いに何度か()え立てたが、それでも霧の中を追って行く危険を知っているのか、ジグリット達の(もと)を離れようとはしなかった。

「本当にこのような方法で、上手くいくとお考えなのですか、王子?」

 ジグリットは鹿毛(かげ)牡馬(おすうま)を好きなように散策させるため、手綱(たづな)を緩く握ったまま騎士に答えた。

「上手くいかなかったら、また別の方法を考えるまでだ」

 木々を避けながら、少し後を付いて来る冬将の騎士は、霧に(けむ)る王子の背中を一時(いっとき)も眸を離さず見つめていた。

「一つお訊ねしてもよろしいですか?」

 ジグリットは振り返らず、落ち葉の中をふんふんと()ぎ回っている猟犬を見下ろしながら「なんだ?」と聞き返した。

 騎士はジグリットの声にしばらく考え込むように黙っていたが、やがて決意したように硬い口調で言った。

「あなたご自身は、このタザリアの王となることを本当に望んでいるのでしょうか?」

 ジグリットは顔を上げ、振り返ると冬将の騎士の黒い真摯(しんし)な眸を見返した。

「愚問だな。でなかったら、わざわざこんな危険なことはしない」

 まだ霧の晴れる気配はなく、五ヤール先は白く塗り(つぶ)された壁のような威圧感を放っている。ジグリットの馬が立ち止まり、彼はそこが(ひら)けた窪地(くぼち)になっていることに気づいた。ファン・ダルタの黒毛の馬もジグリットの横で自然に立ち止まる。

「あの城に閉じ(こも)って戴冠式(たいかんしき)を迎えてみろ。その誰だかわからん顔のない敵は、その後もぼくを襲うだろう。反乱の芽は早期に()むよう、マネスラーから教わった。ぼくが王権を維持するためにも、こうやって気楽な王子の身の今、その厄介な芽を摘んでおくべきだ」

 騎士は王子の大人びた理性に満ちたさび色の眸と、白い霧に浮かぶ少年らしい明朗な横顔に見入った。

「おまえだって、四六時中ぼくのお守りをさせられるのには、飽き飽きしているだろう」

「わたしはそれが仕事です」

「よく言――」

 ジグリットが騎士にからかいの手を入れようとしたそのときだった。静かな霧の向こうから、地面に積もった落ち葉の(こす)れる音がした。ファン・ダルタが顔つきを険しくさせ、ジグリットに軽い舌打ちにも似た合図を送った。ジグリットは小さく口笛を吹き、猟犬を呼び寄せる。

「どうやら、あなたの仰った通り、二度の失敗にも()りない厄介な敵のようです」

「だろう。丁重にお迎えしてやろう」

 二人は馬上で剣を抜いた。

「王子はできるだけ木々の密集した場所に隠れてください」

「そんなわけにいくか。ぼくも戦う」

 果敢(かかん)に答えたジグリットを、冬将の騎士は間髪入れずに制した。

「いけません。あなたがいると足手まといです」

「・・・ぼくはもうかなり強いぞ」

「わたしよりもですか?」

 その問いにジグリットは答えを失った。

「こういう場合、命令できるのは強い方と決まっています。さあ、行ってください」

 霧が徐々に散り始めていた。うっすらと人影が認識できるようになると、木々の間から馬ではなく、(かち)でおよそ十人ほどの男達が現れた。

 全員が荒々しい顔つきの精悍(せいかん)な男ばかりで、焦げ茶色の厚手の防寒着(ぼうかんぎ)に身を包んでいる。あまりチョザでは見かけない毛織りの外衣(マント)だった。北の雪深い山間部に見られるような格好に、ジグリットは困惑した。

 その無頼漢(ぶらいかん)の集団の中から、首領らしき薄茶の(ひげ)の男がジグリットを戦斧(せんぷ)で指し示した。

「いたぞ、王子だ。首を()った者には、五百万ルバントの金貨だぜ!」

 男達の奮起(ふんき)咆哮(ほうこう)が森に響き渡った。ジグリットの乗る鹿毛の馬が怯えて(いなな)く。首領自身も舌舐めずりをするように、ジグリットをにたにたと笑いながら熱視していた。

「ジューヌ様、思ったよりも人数が多い。あなたは森を抜け、王宮へ戻ってください」

 再度勧告(かんこく)したファン・ダルタにジグリットは答えず、その場に留まったまま、じわじわと周りを囲み始めた男達を一人一人、眸に焼き付けた。

「王子ッ!!」

 言う通りにしないジグリットに業を煮やしたファン・ダルタが叫ぶと、まるでそれを待っていたかのように、男達が一斉に飛びかかってきた。

 騎士は両脇で馬を斬り倒そうと剣を上げた二人の男の頭を()ぎ払った。血飛沫(しぶき)が舞い上がる。霧はすっかり晴れていたが、いまだに森の早朝の空気は雨の後のような深い湿りけを帯びていた。そこに血の生々しい臭いが立ち込める。

 二匹の猟犬は男達が敵だと判断したのか、勇猛に牙を()くと一匹が一人の腕に噛み付き、もう一匹が脚に体当たりして押し倒した。

 ジグリットは鹿毛が怯えてその場で足踏みし、ぐるぐると回り始めたのを幸いに、近づいて来る男達を馬上から斬りつけた。どれも深い(きず)にはならないような、腕や顔の切疵(きりきず)で、男達は(ひる)むことなく騎士ではなく、あくまでもジグリットへと(みつ)に集まる(アリ)のように次々と押し寄せた。

 ジグリットの馬が腹を斬りつけられ、人間のような甲高い悲鳴を上げた。続いて眸に入った猟犬は、男達によって無残にも斬られて落ち葉の中で倒れ、苦しげに(あえ)いでいた。

「王子、逃げてくださいッ!」

 鹿毛の馬はすでに言うことを聞かず、ジグリットは手綱を片手でぐいぐい引きながら、剣を振り回した。男達には余裕の笑みが浮かんでいる。いつの間にか、周りを六人ほどの男が取り囲んでいた。

 ――クソッ、これまでか。

 ジグリットの無念の思いは、唐突な馬の動きによって断ち切られた。鹿毛が突然走り出したのだ。慌ててジグリットは剣を持った手も手綱に絡め、必死に馬の上下に躍動する首に抱きついた。

 男達は馬に蹴られまいと慌てて囲いを崩す。その一瞬のたじろぎにファン・ダルタが突っ込んだ。

 騎士はジグリットの代わりに男達の中心に(おど)()ると、四人の男達の首を次々に斬りつけ、かろうじて避けた二人に鉄鋲(スパイク)のついた長靴(ブーツ)の裏で頬骨が砕けるほどの熱い洗礼を浴びせた。

 ジグリットは馬の背に乗ったまま(やぶ)に突っ込み、短時間ながらもかなりの距離を走り抜け、なんとか振り返ったときには、冬将の騎士の姿は見えなくなっていた。そしてようやく、彼にも何があったのかが理解できた。ジグリットの鹿毛の馬の尻は浅くではあったが、刃に切られて血が流れ出していた。

 ――ファン・ダルタか・・・。

 ジグリットを救うために、騎士が咄嗟(とっさ)に馬を(おど)したのだ。半狂乱(きょうらん)のようになっていた鹿毛の牡馬は、朝陽のまだ見えない暗い森の中で徐々に落ち着きを取り戻し、全力疾走から緩やかな並足(なみあし)へと転じる頃には、ジグリットにも辺りを窺う冷静さが戻っていた。

 ――ここはどこだ?

 方向がまったくわからなくなってしまったジグリットは、馬を止めて地面に降りた。積もった落ち葉が一歩進むごとに、足を不安定に浮かせたり沈ませたりする。

 そのとき、木々の向こうに一頭の鹿(シカ)が姿を見せた。小柄な(メス)の鹿だ。枝角のないその鹿は、ただ見つめていたジグリットと鹿毛の馬に気づいて頭を上げた。黒いつぶらな眸に、しなやかな姿形。そして長い間、彼らは互いを眺めて立ち(すく)んでいたが、やがて鹿の小さな耳がピンと立つと震えるように動いた。何か別の音を聴いたのだ。

 ジグリットは鹿毛の(あぶみ)に足をかけ騎乗すると、剣を抜いた。背後の茂みで低木がみしみしと枝の折れる音をさせている。鹿は軽やかに反対側へと逃げ去り、代わりに先ほどの首領が最後の枝を戦斧で断ち切って現れた。

「騎士様の言いつけに(そむ)いて、まだこんなところをうろついてるたぁ、王子様も大層世間知らずだな」

 ジグリットは鹿毛を反転させ、男と向き合った。

「他のやつらはどうした!」

 険しい顔でジグリットが怒鳴ると、鬚面(ひげづら)の男は肩を竦めてせせら笑った。

「さあなぁ、黒い(オオカミ)に殺されちまったかな」

「仲間じゃないのか」

「くくっ・・・仲間だって? あいつらはただの子分よ。おれの代わりにいつでも斬られる役なんだ」

 男の心底、自慢げで喜悦した態度にジグリットは吐き捨てた。

「最低な男だな」

 剣を握る腕に力を込める。先に男が仕掛けた。ジグリットは馬体を横に向けようとしたが、間に合わなかった。男は数歩で馬の真ん前に来ると、鹿毛の首を真横にすっぱり斬った。どす黒い血が噴き出して馬が倒れていく。ジグリットは鐙にかけた足を素早く外し、馬が倒れた方向へ飛び退いた。

 男の戦斧が振り上げられ、馬の首に最後の一撃をくれようとしているのを、ジグリットはさせまいと、(すさ)まじい勢いで突きかかってこちらを向かせた。互いの刃がぶつかって、反動で腕がびりびり振動する。ジグリットは馬を背に男と対面した。距離を取るため、男が後ずさる。

「へッ、馬の命と自分(てめぇ)の命、どっちが大事だ!?」

「どちらも大事だ」声まで震えがきていたが、ジグリットは気づいていない素振りで牽制(けんせい)した。

「さすが、王子様。お(やさ)しくいらっしゃる」

 男がすぐさま攻め入ってくる。ジグリットはかろうじて受け(しの)いだ。相手はまた数歩下がって、間を取る。

「なるほど、王子様は軟弱だと聞いたんだが、ちっとはまともに稽古(けいこ)もしているらしい」

 一言口にすると、またすぐに攻撃に転じる。男の腕力(わんりょく)にものを言わせた強攻を受けると、ジグリットの剣が耳障りな金属の咆哮(ほうこう)を響かせた。今度は離れず、二人は斧の厚い刃と剣の刃を引っ掛けたまま、(うな)り合った。

「おまえの依頼主は誰だ!?」ジグリットが全身の力を奮い立たせて押していく。

「天に召されて(しゅ)にお聞きしな」それを男がすぐに押し返す。

 直後、間近にあった男の顔が奇妙に(ねじ)れるように(ゆが)んだ。そして喉の奥まで(さら)すほどの大きな口を開け、人ならざる声で絶叫した。

 戦斧から手が離れ、男が地面にどさっと崩れ落ちる。その背後に立っている黒い影にジグリットは眸を止め、全身の力が抜けて涙が出そうになった。

「ファン・ダルタ!」

「王子、大丈夫ですか?」

 駆け寄ってきた騎士は、足元で(もも)の裏を押さえて痛みに歯軋りしている男を乱暴に蹴り飛ばした。

「ああ、平気だ。おまえは・・・怪我(けが)しなかったか?」

「わたしの心配なら無用です」言いながら、騎士はジグリットの躰に(きず)がないことを、あちこちに触れて、自ら確認している。

 したいようにさせておきながら、ジグリットは訊ねた。

「他のやつらはどうしたんだ?」

「すべて始末しました」

 あっさり答えた騎士に、ジグリットはそれが彼らを殺したということだと気づき、僅かに顔を(くも)らせた。だが仕方ない。

「・・・そうか。よくやった」

 うな垂れているジグリットに気づかず、ファン・ダルタは、まだもがいている鬚面の男に近づいた。

「誰の依頼だ?」

 冬将の騎士の端的(たんてき)な質問に、男は顔を背けた。ジグリットも剣を握り締めたまま近寄り、男の苦しげな様子を冷淡に見下ろした。

「依頼主と自分の命、どちらが大事だ?」ジグリットの問いにも、男は(かたく)なに(こば)もうとした。

 しかし騎士がそれを赦さなかった。

「だ、誰が言うかよ・・・・・・ギャあッ!」

 ファン・ダルタの剣がもう片方の足の脹脛(ふくらはぎ)に突き刺さった。ジグリットはじわじわと溢れ出す血に吐き気を(もよお)したが、眸を逸らさずしっかりと見ていた。

 騎士は剣を刺したまま冷ややかに言った。

「おれは時間を無駄にするのが嫌いだ。答えないのなら、他に当たろう」

 そして刺したままの剣を直角に回した。

「ギャあぁぁぁッッ!!」

 肉の裂ける音と共に、男の悶絶(もんぜつ)の声が森の閑寂(かんじゃく)を破る。

「・・・こ、答える・・・・・・答えるから」

 激痛に涙と(よだれ)を垂らしながら、男が地面を()うように両手で落ち葉を掻いた。ジグリットはようやくそれに背を向け、騎士に任せて数歩離れると息をついた。剣を仕舞うと、手の平の冷汗が(つか)をびっしょりと濡らしていた。



 二人がその場を離れたのは、男が恐怖に駆られて洗いざらい話した後だった。ジグリットは冬将の騎士の黒毛の馬に共に乗せてもらうしかなかった。彼の乗って来た鹿毛はすでに息も絶え絶えで、結局は騎士の諦めの言葉にジグリットが(とど)めを刺すことになった。ジグリットは優しく鹿毛に声をかけ、その黒く大きな眸が太い動脈への一撃に色を失っていくのを見た。

 荒くれ者を(たば)ねてきた男は、死ぬほどの疵ではなかったので、ジグリットも騎士も殺しはしなかったが、助ける気にもならなかった。男を置いて黒毛で森を走り出した頃には、頭上の空は灰色の雲に覆われながらも正午に向かって明るくなってきていた。

「よりによって上流階級(アルコンテス)が相手だったとは・・・・・・」

 騎士が背後で呟くのを、ジグリットは聞いた。

(おく)したのか?」

 ジグリットは冬将の騎士の長い腕の間に見事に収まり、時折、彼が手綱を引き寄せる動きに居心地悪く身を竦めていた。

「まさか。王子こそ、事の重大性を理解しているのですか? 上流階級は王家(タザリア)そのものを転覆(てんぷく)させるつもりです」

 ちょうど耳元近くで、騎士の吐息混じりの声を聞いていたジグリットは、猫のように耳を掻いた。こそばゆかったのだ。そして自分に押し寄せる脅威(きょうい)に対して、些細(ささい)な冗談でも聞いたかのように笑って見せた。

「ちょっと考えてみただけさ。上流階級とリネア、敵にするならどっちが怖いかってね」

 騎士はしばらく沈黙し、やがて雲の切れ間から木々を透けて地面に幾本かの朝の光の筋が落ちてくると、そこに向かって馬を駆けさせながら言った。

「答えるまでもありませんよ」

 そして彼にしては珍しく、破顔して見せた。


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