4,5
4
優雅で心の浮き立つような円舞曲が、どこからか流れていた。しかしその室内は蝋燭によって明るさを抑えられた薄紅色の照明に満たされ、眸の前に座った人間の顔さえ定かではない。
円卓の座席は全部で十一。多くもなければ少なくもなかった。そして今、その十一すべての席が埋められていた。
「タザリアがこの地の主権を取って百余年。我々は上流階級として燻り続け、あの若輩クレイトスにさえ傅いてきた。しかしそれも最早これまで。黒き炎の一族は衰退してきている。我々はリネア・タザリア王女を掲げ、数年の内に女王を失墜させ、積年の思いを彼らに知らしめるのだ」
老人の掠れた、だが威厳を含んだ強固な声に十人の同席者が手を打ち、歓喜と同意を示した。そしてそれに連なるように、隣りの席の男も言った。
「王女を意のままに操るなど、我々にとっては造作もないこと」
その声は老人よりは快活だったが若者ではなく、小娘の扱いに長けた熟年した男の声だった。男の影は鼻が鷲の嘴のように突き出し、一種化け物じみていたが、それは蝋燭の明かりが見せる誇張かもしれなかった。
「女王となられた暁には、謹んで我らの礎となって戴こうではないか」
賛同者達は惜しげもなく薄笑いを見せている。赤い光に照らされた彼らの貌にも、獣じみた欲望が如実に現れていた。
「では、かのか弱き息子を地に埋める手立てについて、立案者にご説明戴こう」
老人の紹介で、一人の男が立ち上がった。その男の影は誰よりも大きく醜怪で、なおかつ明かりに浮かんだ白い肌にはびっしりと玉の汗が浮かび、ギラギラと照り光っていた。
「皆様方の協力と援助に関して、まずは御礼を述べさせて下さい」
ねばりつくような粘着質な声音は、油汗と同様に、同席者を身震いさせた。全員が押し黙り、不快感に眉を寄せたが、男は気にせず続けた。
「わたしの立案とはいえ、皆様方の忠実なる手足には、感心しきりでございます。特にヒヴァ公夫人、あなたの愛すべき子供達は、本当によく餌付けされていますな」
男が薄汚く笑うのを、十一家の集まりで唯一女性であるヒヴァ公の妻であり、家を預かる一族の長、エリクール・ヒヴァは悪寒を感じながら、なんとか笑みを返した。
「それはようございましたわ、サンデルマン公」
不躾な態度を我慢できるのは、彼女が唯一の女性だからだ。男の集まりで味方など端から期待していない。それに彼女はこれぐらいの揶揄や中傷にはすでに慣れていた。何より、このサンデルマンは自分とは比べようもないほど家柄も育ちも貧相だ。怒って見せる方が莫迦らしい。
サンデルマンはいやらしい眸で舐めるように美貌の夫人を見た後、今度はそれぞれの貴族の顔を眺めやった。彼は興奮する自分を抑え切れないほど、感極まっていた。なぜなら、この十一家の会合に、自分が誇らしげに立ち、十家の上流貴族を前に演説を噛ましているのだ。これが激情せずにいられようか。
それもそのはずで、彼が上流階級の中でも名門といわれる十一家の仲間入りを果たしたのは、つい半年前のことなのだ。それまでのサンデルマンは中流貴族の中でも中ほどで、鳴かず飛ばずの家柄だった。
クレイトス・タザリアが亡くなってからというもの、何度も十一家の会合が開かれ、それは公式の夜会という形を取って、裏で秘密裡に行われていた。サンデルマンはその恐ろしくも甘美な会合において、いまや重要な立場を占めていた。もちろん、本人がそう思っていたということだが。
「皆様方のご子息、並びにご同朋のおかげで、わたしは王宮の内情、そして王子の行動を逐一知ることができるようになりました。後は行動あるのみです。刺客には王宮内の手近な者を用意しました。明日の朝、皆様方の御耳には、長年待ち望んだ夢を叶える素晴らしき報せが舞い込むでしょう」
サンデルマンの報告に十人は、ほぅっと感嘆の吐息を漏らした。
「よくやったぞ、サンデルマン。戴冠式で王子が正統な王として承認される前に事を成せば、おまえも上流階級の一家として肩で風を切って歩けるだろう」
老人の言葉にサンデルマンは皮の厚い頬を緩めた。それは不気味に勝ち誇った笑みだった。
5
昼前の会議室は、今朝の騒動が嘘のように穏やかさを取り戻していた。ジグリットは侍従の片付けた会議室の窓辺に立ち、冬将の騎士と騎士長グーヴァーが長机で話し合うのを聞いていた。
「なんという特徴もない男です。細身で長身。顔は黒ずくめ。唯一見えた眸は藍色だったが」
ファン・ダルタの言葉に、グーヴァーが口を挟んだ。
「藍色の眸など、腐るほどいるぞ」
「そういう事ですよ、騎士長」考え疲れたようにファン・ダルタは溜め息を漏らした。「動きが機敏だったので、どこかで剣術の訓練を受けたことがあるのかもしれません」
「そういう輩も山といる」
ジグリットは二人の会話に耳を傾けながら、いつもとなんら変わリない窓の外を見下ろしていた。王宮の内郭には洗濯物を抱え楽しげに過ぎて行く数人の侍女や、荷馬車が積んできた葡萄酒樽を転がしながらアイギオン城の地下へ運び入れる小姓の姿が見えていた。
しかしジグリットの心中はさすがに穏やかとは言い難かった。彼は誰よりも深い皺を眉間に刻みながら、二人の騎士に言った。
「誰かがぼくの命を狙っている」
男の正体について想像を含んだ意見を交わしていた二人の騎士は、口を噤んで同時に王子を見やった。
グーヴァーは何日分かの放置の末、またもや生えてきた無精鬚を擦りながら立ち上がり、うろうろと室内を歩き回った。
「クレイトス様が亡くなられたばかりだというのに、こんなことが起こるとは」
ジグリットはそれに皮肉るような笑みを浮かべて答えた。
「だからだろう、グーヴァー。ぼくが王位に就くことを良く思っていない人間がいるんだ。でなければ、もっと以前に襲われていたはず」
「わたしもそれには同意しますが」ファン・ダルタは落ちつかなげに歩き回る騎士長を眺めながら言った。「あなたが死んで得をする人間など限られています」
「つまり誰だ?」ジグリットはその答えを口にすることを、彼らが恐れていると知っていた。だから即座に自らで答えた。「リネアか」
騎士長と冬将の騎士はジグリットの視線を避けるように顔を背けた。
「おまえ達はそう思っているのだろう?」
ジグリットが再度問うと、ファン・ダルタが渋々言った。
「そうです、王子。わたしはリネア王女しか、あなたを殺して徳を得る人間を思いつきません。他国の暗殺者が王宮内にまで侵入できるとは、到底考え難いからです」
「だが、その考えも捨て切れんぞ」グーヴァーは歩き回るのを止めて、手近な椅子を引いて腰かけた。「王宮内部の人間が、ジューヌ様の情報を漏らしていたのだ。それは確かだ。その情報の受け取り手がリネア様か、はたまた他国の王族の誰かなのか、たった一人の、しかも刺客が逃げた後では判別しようもない」
ジグリットも頷いた。「そうだな。その誰かは、まず一度目は不成功に終わったわけだ。だがこれで諦めはしないだろう。誰が企んだことなのかは置いておいて、次の攻撃に備えるべきかもしれない」
「でしたら、王子」ファン・ダルタは野生の狼に似た強い眼差しでジグリットを見据えた。「わたしが常にお側にいて、あなたを警護しましょう。しばらくの間、そうですね・・・・・・この場合はあなたが王となられる戴冠式まで、寝食を共にさせていただきます。よろしいですね」
有無を言わせぬ態度の騎士に、ジグリットは困惑したが、否定はしなかった。
「わかった。だが、他の騎士や近衛隊にどう説明する。ぼくが誰かもわからぬ敵に狙われているなどと、言って回る気はないぞ。それにそんなことをしたら、敵も警戒して、もっと恐ろしいことを仕掛けてくるかもしれない」
「それもそうだな」グーヴァーが思案に暮れていると、ジグリットはふと、いい考えを思いつき、ふふっと微笑った。
二人の騎士は場違いなこの笑いに眸を瞬かせた。
「何を思いつかれたのです、王子?」ファン・ダルタが訊ねると、ジグリットはもう一度にこやかに笑った。
「ぼくはしばらくの間、ソレシ城の寝所に篭もっていることにしよう。そうだな、体調が悪いとでも言っておけばいいだろう」
本来、ジューヌ王子は虚弱なのだ。誰も王子が寝所へ篭もっても、おかしく思わないはずだ。
「ですが、それでもあなたを殺そうと思っているなら、敵はどんな方法を使ってでも、寝所まで押し入るでしょう」
「わかっている。だからファン・ダルタも一緒に寝所へ篭もればいいんだ」
「なんと!」グーヴァーが大声で驚嘆した。
「戴冠式まで、まだ十日以上あります。わたしまでその間、ずっと幽閉されるおつもりですか?」ファン・ダルタは嫌そうに顔をしかめた。
「仕方がないだろう。アイギオン城は安全ではないことが証明されたわけだし、ぼくがその日どこにいて、何をしているのかなんて、敵には筒抜けらしいからな」
「だがファンを側に置くのに、どんな説明をする気です?」グーヴァーが訊くのに、ジグリットはあっさり言った。
「そんなの簡単だよ。ぼくが夢で見た簒奪者の影に怯えて、ファン・ダルタに強力な護衛を頼んだことにすればいい。誰も疑ったりしないさ」
グーヴァーは、ぞっとしないといった顔つきのファン・ダルタを気の毒そうに見た。冬将の騎士はそれでも王子が決めたことならと、後のことを騎士長に頼むと、ジグリットを連れてソレシ城へと入って行った。




