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その翌日から十日以上、ジグリットは王の命令通り、アイギオン城の謁見室で仕事を手伝った。午前のマネスラーの授業は夜になり、午後の剣戟の稽古は早朝になった。一日中、王と共にいると、ジグリットは自分が本当はジューヌだったような気さえしてきた。彼の本当の息子だと思い込みたかった。そうでなければ、王の側にいることが苦痛だったからだ。
ジグリット以外に王の病気について知っている者は、医師と騎士団の騎士長グーヴァーだけだった。王女のリネアにも、この事は知らされていなかった。
ジグリットは自ら医師の許へ行き、詳しい話を聞こうとした。しかし、医師達は病名すらわかっていなかった。三人いる医師のうち、二人は血液の病気だといい、一人は腫瘍によるものだと言った。そして三人が共通して言えることは、王の余命がすでに尽きているということだけだった。彼らは揃いも揃って、王は気力で持っているだけで、いつ倒れてもおかしくはないと言ったのだ。ジグリットは彼らに頼るのをやめ、マウー城の地下にいる道化師を探した。あの老婆ならきっと、どうすればいいか教えてくれるはずだと思ったのだ。だが、道化は幾ら呼んでも今回は現れなかった。
それからさらに数日が過ぎ、王宮の楓が赤く染まったある日、ジグリットは王に誘われて夕暮れ時に庭園へ出た。クレイトスが自分の脚で歩けたのは、その日が最後だった。ジグリットと二人、彼は北の庭園で沈み往く太陽を眺めていた。
「後何度、この夕陽を見れるだろうな」
「・・・・・・そんなことを言わないでください」
二人は互いに往く先を憂えていた。
突如、クレイトスがジグリットの肩を隣りからぎゅっと強く掴んだ。
「ジグリット」
王の呼びかけに、彼の心臓がどくんと脈打った。
「――――」
父上、と言おうとしたが、声が出なかった。偽りの言葉が、この夕暮れの茜色に呑み込まれてしまったかのように。
「いいんだ、ジグリット」
クレイトスは穏やかな顔つきで、ただ庭園の向こう側を・・・・・・ずっと遠くを眺めていた。
冷たく冴えた闇夜が、背後から近づこうとしていた。ジグリットはそれを振り向かず、震える唇を噛み締めた。クレイトスの静かな青白い横顔が、この瞬間にも砕け散ってしまうのではないかとジグリットは怯えた。
彼を父と呼べない自分に、苛立ちと哀しみが募った。嘘をつき通せないなら、今までの自分に何の意味があっただろう。しかし鮮やかな夕暮れの中で、ジグリットにできたことは熱い目頭を拭うことだけだった。偽りが真実に変わることもあるのだ。ジグリットにとってクレイトスを欺き続けることは拷問に等しかった。だから彼は安堵して泣いた。声も立てず、数分の間、ジグリットは顔を伏せ、息を詰めた。
クレイトスはジグリットを責めもせず、木々の間に夕陽が沈むまで黙っていた。それは王にとっても孤独な時間だった。血の継承はクレイトスにとって、命よりも重要なことだった。それは自分の父、そして祖父から続く名誉の証であり、タザリアの歴史そのものであるはずだった。タザリアのこれからのことを思うと、クレイトスは胸が塞がる気がした。しかし彼にできる事は少なく、すでにこれが最後になることを知っていた。
黙って立つジグリットに、クレイトスは遺言として告げた。それはこの国の行く末を頼む言葉で、血の繋がらない息子に王位を譲る苦渋の決断でもあった。ジグリットはただ一度だけ頷き、ついで王の錆色の眸と眸を合わすと、二人は互いに哀切の微笑を交わした。
やがてどちらともなく、庭園に背を向けると、王とその息子は並んで城へと歩き出した。二つの淡い影が寄り添う様は、城壁の巡視路にいた近衛兵からよく見えた。彼らは何も知らずに、ただ親子を微笑ましいと思いながら見下ろしていた。クレイトスの低い呟くような声がジグリットを励まし、宥め、そして赦した。肩を掴まれたまま、ジグリットは王の寂しさと孤独が自分に流れ込むのを感じていた。その僅かな恐怖にさえ、やさしさを感じた。
それから五日後、クレイトス・タザリアはこの世を去った。
一度も彼を糾弾することなく――。




