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大食堂の喧騒が嘘のように、廊下は薄暗く冷えていた。ジグリットは冬将の騎士がどこへ行ったのか想像もつかなかったが、とにかく上階へ向かった。彼の部屋は士官室のどれかだろう。それに歩いていれば、必ず巡回の兵か仕事を言いつけられた小姓がいるはずだった。
案の定、士官室の並ぶ廊下で、一人の赤毛の少年が車輪付きの荷台を押してこちらへ歩いてきた。載っているのは洗濯され、綺麗に畳まれた兵士達の衣服だ。
「ねぇ、君」とジグリットが声をかけると、少年は硬直したようにその場で立ち止まり、眸を大きくした。
「な、なんでございましょう・・・・・・」と彼はなぜか怯えた様子で言った。
まるで鞭で打たれるとでも思っているかのような顔だ。それだけで、この砦で小姓がどんな扱いを受けているかが見て取れた。ジグリットが不快に眉をひそめると、少年は怒られると思ったのか掴んでいた荷台の取っ手を指先が白くなるほど握り締めた。さっさと冬将の騎士の居場所を聞いて、彼を解放すべきだとジグリットは思い、できるだけ優しく問いかけた。
「あのさ、冬将の騎士がどこにいるか知っている? 彼の部屋でもいいんだけど」
すると、少年はぎこちない動きで後ろを振り返り、奥の方を指差した。
「右手の奥から三番目の部屋が、冬将の騎士様のお部屋でございます」
「そう、ありがとう」ジグリットは彼を解放し、その場所へ向かった。荷台を押した少年が、がたがたと軋んだ音を立てながら遠ざかって行く。
部屋の前に着いて、ジグリットは扉を叩いてみた。しかし暫く待っても返答はなく、彼は寝ているのか、もしくはどこか別の場所に行っているようだった。
――今日は諦めた方がいいのかもしれないな。
もし疲れて寝ているのなら、起こさない方がいい。ジグリットはそう結論付けて、その場を離れた。もう廊下には誰もいなかった。静まり返った廊下に、階下からまだ騒ぐ兵達の声が聞こえていた。夜通し続くのだろう宴は兵士達の物で、ジグリットにも怯えた小姓達にも、そして冬将の騎士にも、何の意味も齎さなかった。
ジグリットは与えられたばかりの自室へ戻り、その日は朝までぐっすりと眠ろうとした。しかし寝台の柔らかさのせいか、または夕暮れ時に少しうたた寝をしたせいか、なかなか寝付くことができなかった。
強い風が辺りを切り裂こうとするように、激しく躍り狂っていた。冬将の騎士は砦を囲う外壁の上部にいた。その巡視路には、二人の巡回兵がいたが、彼らはファン・ダルタがよくそこに立っていることを知っていたので、特に注意を払わず、暗くなった国境へと監視の眸を向けていた。
ファン・ダルタは大きな溜め息をつき、色々なことに思いを巡らせていた。半年前に別れたジグリットのことは、殉国したとだけ伝え聞いていた。しかし、今日の王子の貌があまりにもジグリットと似ていたので、彼は少し戸惑っていた。それに王子が言ったように、疲れているのも本当だった。ファン・ダルタはここのところ、まともに寝ることさえできない有様だった。
――それもこれも、この呪われた土地のせいだ。
彼は眉間を寄せ、南西の方角を睨んだ。明かりのない曠野の空には、天地が逆になったかのように、白い筋になった星の塊が道のようにきらめきながら伸びていた。美しいその空の下で蠢く、醜くおぞましい、やつらの闇よりも黒い影が騎士には見えていた。
それは時折、砦へも入り込んだ。誰も気付かない。自分しか気付けない。しかしそれが実体を伴うことがなくとも、自分に害を与えることができることは確かだった。ファン・ダルタは左腕についた疵がまだ瘡蓋にもならずに、じくじくと疼いているのを右手で押さえた。
冬将の騎士は亡霊に悩まされ続けていた。彼は死んだ者がここに居座り、うろついているのを感じていた。自らが殺した相手が、ときに扉口に立ち、こちらを睨んでいるのを知っていた。そして今、騎士はそれがまたやって来るのを感じていた。早く部屋に戻ろう、と彼は思った。他の騎士や兵達が、自分をなんと言っているのかは知っている。遠地に赴任させられて、冬将の騎士は腑抜けになったと思っているのだ。
――その通りだ。この地がおれを狂わせる。
騎士は黒貂の外衣の下で、小さく震えた。また夜明けまで長い時間を、彼らと過ごすのだ。それは何度も心臓に剣を突き立てられるかのような、寒く恐ろしい悪夢だった。




