表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
黒狼の騎士
75/287

3ー1

          3


 すっかり夕闇に空が沈んだ頃、部屋の扉を叩く音でジグリットは目覚めた。入るように告げると、扉を開けて影のように黒い男が一人入って来た。ジグリットの待ち望んでいた冬将(とうしょう)の騎士、ファン・ダルタだった。

「ジューヌ王子、お久しぶりでございます」彼は扉を閉めた直後に、その場で(ひざまず)いた。

 ジグリットは冬将の騎士の姿を眸にしながら、彼の肩回りが以前よりも細く小さくなったように感じた。ジグリットが黙っているので、冬将の騎士は頭を下げたまま言った。

「ご挨拶が遅れて申し訳ありませんでした。昨年末のアプロン峠でのご戦勝も遅ればせながら、慶喜(けいき)を述べさせていただきます。ジューヌ王子の雄飛(ゆうひ)、このジリスにまで着実に届いておりました。砦の者もみな、王子のご武運を知り、改めてタザリア兵として忠誠と誇りの精神を強くした次第でございます」

 ジグリットは表面上の挨拶より、彼の(からだ)が心配だった。顔を上げたファン・ダルタの唇は紫色で、眸の下に濃い(くま)がくっきりと浮かび上がっていた。そんな状態だからか、彼の黒光りする漆黒の板金鎧(ばんきんよろい)も、その上に羽織った黒貂(くろてん)外衣(マント)も今日はただ重く辛そうに見えた。

「ファン・ダルタ」ジグリットが呼ぶと、騎士は眸を上げた。

 ――やはり彼は疲れている。

 ジグリットはそう感じて、彼に手が届く距離にまで近づいた。そしてしゃがんで騎士の顔を見上げた。

「どこか具合が悪いのか?」

「いいえ、王子。どこも悪くはありません」無表情にファン・ダルタは答えた。

「では、疲れているのか?」

「いいえ、疲れてもおりません」硬い口調にジグリットは彼の拒絶を感じた。

 ジグリットは眉を寄せ、探るように騎士を見つめた。何かあったのか、と彼に聞きたかったが、そうはできなかった。今の自分はジグリットではなく、ジューヌなのだ。訊ねても彼は当り障りのない返答をするだけだろう。

 ジグリットは立ち上がり、騎士にも立つように言った。

「砦と周辺の様子を話してくれ」

 ファン・ダルタに背を向けて、ジグリットは開いた窓の外の、外壁西側の尖塔(せんとう)を照らす松明(たいまつ)の明かりと、その巡視路を歩く兵の姿を見た。

「はい、王子」

 後ろで生真面目(きまじめ)に説明する騎士の声を聞きながら、ジグリットは物悲しさに包まれていた。以前とは違うことをわかっていたつもりだったが、ここでもやはり彼の姿は王子であり、ジグリットであることは(ゆる)されなかった。

 ――それを選んだのは、自分じゃないか。

 ジグリットが自らを皮肉っていると、冬将の騎士が話を終えて、逆に王子に質問していた。

「王子、この度の交代式ですが、我々は蛍藍月(けいらんづき)の八十日あたりがいいのではないかと話していたところです。王子は式を賢覧(けんらん)していかれるのですね?」

 部屋の中央を振り返り、ジグリットはもう一度、冬将の騎士を見直した。しかし彼は憔悴(しょうすい)した様子でこちらを(うかが)っていた。

「ああ、それが終えたら、おまえと共にチョザへ帰る予定だろう」

 なぜかそれを聞いて、騎士は顔をしかめた。

「何か問題があるのか?」

「いえ・・・・・・」

 騎士が何か言いたそうなので、ジグリットは黙って待った。すると、ファン・ダルタはまた跪き、そして言った。

「王子が(おっしゃ)った通り、わたしは交代式の後、チョザの王宮に戻るよう任命されています。しかしどうかお聞きください。わたしはこのジリス砦を主要な拠点と考え、ここにわたしの身柄をそのまま残していただきたいのです」

 ジグリットは衝撃を受け、眸を瞬かせた。

「それはどういう事だ! ファン・ダルタ、一緒に帰ってくれないつもりか!?」

 王子の戸惑いに騎士はさらに深く頭を垂れた。

「ジューヌ王子。王子の護衛にはもちろん、騎士を来たとき同様、六人付けます。近衛隊のフツも共に帰還するでしょう。王子の身に危険が及ぶことはありません。どうぞ、このままわたしを――」

「ダメだッ!!」ジグリットは叫んだ。「ダメだダメだ! そんなことは赦さないぞ!」

「しかし王子――」

 反論しようとするファン・ダルタを、ジグリットは首を振って相手にしなかった。

「この話は終わりだ。出て行け!」

 ジグリットはそれ以上、彼の言葉を聞きたくなかった。冬将の騎士の姿も、いまや別人のように思えた。彼は病人のような顔色で、落ち(くぼ)んだ黒い眸だけが、望みを訴えギラギラと野性的に光っていた。

 王子が声を荒げて()()けたので、冬将の騎士は無言のまま立ち去った。ただ、彼が扉を強く閉めた途端、淡い橙色(オレンジ)の松明の灯火(あかりび)がざわめくように灰の(かたまり)を撒き散らした。汚れたその床の辺りを見つめて、ジグリットは泣きたくなった。こんな再会は想像もしていなかった。



 その数時間後に始まった歓待の宴も、ジグリットを浮上させてはくれなかった。彼は騎士達から遠く離れた新米の一般兵が(つら)なる席の(すみ)に座り、共にチョザからやって来た兵達が、これから砦の任に就くことの不平不満を吐露(とろ)するのを黙って聞いていた。しかし、半分ほどの常駐兵は、後数日でこの砦から開放され、チョザへ戻ることができる。彼らはそのために浮かれ騒いでいた。

 食堂の中は、兵士の話し声で耳を塞ぎたくなるほど、がやがやと騒がしい。隣りの席の声でさえ、聞こえないほどだった。ジグリットの側では、五、六人の常駐兵と到着したばかりの二人の新米兵が麦酒(エール)片手に話していた。ジグリットは彼らから聞こえてきた話に眸を見開いた。

「冬将の騎士が・・・・・・?」一緒に砦へ来た若い兵士が呟いた。

「もともと人当たりの良い方じゃなかったが、ここへ来てからというもの、よりとっつき(にく)くなってしまってなぁ」

 向かいに座った常駐兵の一人がそう言うと、他の者も同様に相槌を打った。

 ジグリットはファン・ダルタに何かあったのかと思い、話しかけようとした。しかしその前に、少し離れた席から短髪の青年兵が嘲笑(あざわら)うように口を挟んだ。

懐郷病(ホームシック)だとおれは見ているね。あれはチョザに大事な人でも残してきたってところだぜ」

 すると他の兵も口々に軽い調子で言い始めた。

「懐郷病ってガラかよ。漆黒の騎士様の根が暗いのは元からじゃなかったか」

「そうそう、笑った顔なんて、見たことねぇぞ」

 彼らは「それもそうだ」とさらに豪胆になって、ガハハハと笑い出した。

 ジグリットは言い返したかったが、ぐっと黙って眸の前の皿に盛られた人参(にんじん)甘煮(グラッセ)肉叉(フォーク)を思い切り突き立てた。

 冬将の騎士は、宴席の騎士団の集まる中にいた。しかし彼は一番端の席で、終始ぼんやりしていた。ジグリットは、食事もろくに取らず、彼が一時間後には席を立つのを見た。

 ――一体、ファン・ダルタはどうしたんだろう。

 ジグリットは自分もこっそり立ち上がり、冬将の騎士を追って、大食堂を出ようと思った。すでに隣りの席の兵は真っ赤な顔をして酔っ払っており、他の者達も似たような状態だ。これなら自分一人消えたところで、誰もおかしいとは思わないだろう。

 そのとき辺りを見渡していたジグリットは、側で給仕をしていた一人の少年と眸が合った。十二、三歳といった年頃の少年は兵士の使った皿を片付け、代わりにまた湯気の昇る焼きたての鶏肉と添え物の裏漉しした馬鈴薯(マッシュポテト)長机(テーブル)に並べているところだった。彼はすぐにジグリットから眸を逸らし、黙々と仕事に励んでいるふりをしていたが、匂いたつ鶏肉には抗い難いのか、唇を何度も舐めながら、その周りでおこぼれに(あずか)ろうとでもするように、うろついていた。

 よく見ると、大食堂で働く小姓は彼と同じような年頃の子供ばかりで、誰一人として健康そうな者はなく、みな青白い顔をして()せ細っていた。彼らが(から)になった食器を運んで行く場所は、扉のない枠だけの暗い通路で、その奥にまた明るく広い部屋が見えた。そこはどうやら厨房らしく、ジグリットからようやく見える位置に、底意地の悪そうな中年の料理夫がこちらを監視するかのように、仁王立ちで少年達を睨んでいた。ジグリットはその有様にうんざりして肩を竦めた。

 その間も少年は兵士達がもうお腹が一杯で、鶏肉に手もつけないのをちらちらと横目で眺めていた。机にこぼれた麦酒を布巾(ふきん)で拭き取る少年を、ジグリットは見上げた。と同時に、少年の方も見られていることに気づいて、こちらに恐る恐る眸を向けた。そこで初めて、ジグリットは気がついた。それはよく見ると少年ではなく、男の子の格好をさせられ、髪を短く()られた少女だったのだ。

 ジグリットは驚きながらも、その少女が見られていることに気づき、恥ずかしそうに頬を赤らめて俯くのを見ていた。不安そうな眸が、もうすでに拭き終わって綺麗になった机を彷徨(さまよ)っている。鶏肉の載った皿に手を伸ばしたジグリットに、少女はそこから立ち去ろうとした。手早く鶏肉と芥子菜(カラシナ)麺麭(パン)に挟むと、ジグリットはそれを持ったまま立ち上がった。少女は汚れた食器を両手に積んで、通路へと向かっている。

 他の兵士達にわからないよう素早く立ち上がり、ジグリットは歩き出した。陰険そうな料理夫から陰になる場所で少女の後ろへ付くと、通りすがりに彼は彼女の腰巻(スカート)衣嚢(ポケット)にそっと肉を挟んだ麺麭(パン)を突っ込んだ。

 食器を支える少女の腕は折れそうに細く、ジグリットはふとナターシのことを思った。彼女の腕もこんなに細かったら、きっと自分は酷く落ち込むだろう。ジグリットが食堂を出て行く直前に振り返ると、少女が洗い(ざら)して色の失せた腰巻の衣嚢を見下ろし、驚いた様子で、だが見つからないよう急いで麺麭をさらに衣嚢の奥へと押し込むのが見えた。

 こんなことが本当に彼女のためになるかというと、そうでないことをジグリットは知っていた。腹をすかせている小姓は他にも大勢いるのだ。結局は、自己満足でしかない。ジグリットは重苦しい気分でその場を離れた。

 そんなジグリットが廊下へ出て行くのを、ほとんどの兵士や騎士は気づきもしなかったが、一人だけそれをじっとりと粘着質な眼差しで見つめる男がいた。近衛隊長のフツだ。彼はジグリットが出て行く直前、給仕の少年だか少女だかに麺麭を渡すのを見ていた。そしてなぜか、にやりと微笑んだ後、機嫌良く麦酒をぐいと(あお)った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ