第四章 漆黒の孤臣 1
第四章 漆黒の孤臣
1
ジグリット達の兵団がエスタークを出立して、十日が過ぎていた。ゲルシュタイン帝国との国境に位置するジリス砦を目指す彼らは、曠野を一定の速度を保ったまま走り続けていた。
ジグリットはエスタークでナターシが生きていることを知り、とても嬉しかったが、それと共に遊里の女主人が言ったことが気にかかっていた。ナターシが酷い火傷を負ったこと、そして彼女の行方がわからなくなってしまったことだ。
ナターシはジグリットがエスタークにいた頃、仲間内では一番しっかりしていたが、唯一の女の子でもあった。ジグリットは彼女を妹のように大切にしたいと思っていた。生きていてくれた喜び以上に、それはジグリットに不安をも植え付けていた。彼女を連れて行ったというバルメトラという女性、その人物がナターシにとってろくでもない悪人でないことを祈る他なかった。
そんなジグリットの苦悩とは裏腹に、まばらに点在する潅木を避け、高低が繰り返される丘陵を抜ける黒毛の牡馬は力強く元気だった。ジグリットの馬は気性が荒いのか、どれだけ肢を緩ませようとしても、いつの間にか勝手に兵士達の先頭を走っていた。最初は目立たないよう後尾を走るのに専念していたジグリットも、今では馬の好きにさせていた。
ジグリットの前には六人の騎士が炎帝騎士団の真紅の外衣を靡かせながら、曠野を吹き抜ける涼やかな風を切り、雄々しく走っていた。その後を追うジグリットも同じだった。肩で留めた灰色の外衣が後ろに引っ張られるような感覚と、翻った裾が蝶の翅のようにバタバタと羽ばたき、ジグリットはそれらをまとめて自分の躰の一部とみなした。馬は軽やかに地面を蹴り、走ることを楽しんでいる様子だった。
背後を走る兵士の一団は、すでに誰もジグリットが先頭を切ることに文句をつけなかった。彼らの半分ほどが新米兵で騎乗経験が浅く、そうでなくとも誰もジグリット以上に馬を操れる者がいなかったからだ。背後から見ればそれは明らかな光景となって、兵士達に認識された。炎帝騎士団のすぐ後ろを疾駆する少年は、騎士の一人と言われても遜色ないほどに凛然とした気高さに満ちていた。彼らはこの少年の剣の腕が並み以上なら、すぐにでも騎士に任命されるだろうと天幕の中で噂しさえしていた。
小高い丘を越えて、正面から岩のような形状をした雲が、幾つも背後に向かって流れている。ところどころに生えた御柳の落葉樹は、淡紅色の花をつけ、赤褐色の垂れ下がった枝ごと揺れている。騎士達を追って黒毛の馬が丘を猛然と駆け上がると、ジグリットは一羽の鳶が空高い場所で鳴きながら、小動物の屍骸を見つけて、丘の裾野へ舞い降りるのを何気なく見下ろした。そして、眼下に目的地らしき建物を見つけると、前方で同様に気づいた体格のいい騎士が叫んだ。
「ああ、ジリス砦だ!」騎士は振り返り、丘を登ろうとしている一団に叫んだ。「見えたぞ! ジリス砦だ!!」
ジグリットは疲労の濃かった兵士の顔が、一様に明るく元気を取り戻すのを見て微笑んだ。ようやく冬将の騎士、ファン・ダルタと再会できることを思うと、彼の心にも生気が漲った。兵士の一団が登って来るよりも先に、待ちきれない様子で丘を駆け下りる騎士達を追い、ジグリットも黒毛の腹を蹴り、馬を急きたてた。
まだ五百ヤールはあるだろう砦の銀灰色の尖塔から、甲高い喇叭の音が聴こえてきた。砦にいる兵士達にも、こちらの姿が見えたのだろう。騎士とジグリットを追って、兵士、そして近衛隊の隊員達も全速力で丘を駆け下りる。全員が胸を弾ませていた。今宵の夕餉の期待、寝台で眠れる安堵感、何よりも仲間に会える喜びに、旅の疲れはすっかり掻き消えていた。まだ高く長く、喇叭は曠野一帯に鳴り響いていた。獲物を咥えた鳶がジグリットの前方で飛び立ち、いち早く砦の尖塔を越えて行った。




