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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
黒狼の騎士
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          6


 フランチェサイズ大聖堂の裏、西側に位置する修道院の奥には、広い果樹園兼墓地があった。そしてそこには小さな石造りの(ぼう)が幾つか点在しており、様々な職種の人間が仕事場として使っていた。

 アンブロシアーナは午前の短い休憩時間に、大聖堂を挟んで東にある右翼棟、陽孔(ようこう)の城と呼ばれる建物から急いで移動してきて、一つの房を訪れていた。

火傷(やけど)(あと)によく効く薬を調合して欲しいの。できる?」

 薬房の(ぬし)である茶色い麻の長衣(ローブ)を着た老人は、珍しい客人に薬草をすり鉢で磨り潰しながら答えた。

「できますが、姫様(ひいさま)どこか火傷なさったんで?」

 アンブロシアーナは首を振った。

「いいえ、あたしじゃないの」

 房の中は五ヤール(およそ5メートル)ほどの狭い正方形で、壁には逆さまになって吊るされた草が(しお)れて並んでいた。一つだけある書棚は腰ほどの高さのもので、そこには取り出せないほど、書物が詰め込まれ、上にも大小様々な薬草図譜(ずふ)図録(ずろく)が積んであった。それは少しでも触れたら、雪崩(なだれ)を起こして襲ってきそうな威圧感を発していた。

「じゃあ厨房の誰かですか?」と灰白色の髪の老人は、すり鉢から眸を離さず問うた。

「・・・誰だっていいじゃない」

「そうはいきませんがな」

 頑固な薬師(くすし)の態度に、アンブロシアーナは顔をしかめた。

「どうしてそんなこと知りたいのよ? 誰かわからないと薬を作れないって言うの?」

 薬師はようやく潰した薬草の具合を確かめるため、指先に取って舐めた。そして苦さに辟易(へきえき)しながらも、少女に頷いた。

「その通りです、姫様。薬ってのは、一人一人のために調合されるもんでしてな。その人物の躰つき、年齢、女性か男性か、そういったことが酷く重要なんですよ」

 アンブロシアーナは小さく呟いた。

「・・・・・・女性よ」

「ほう、女性。お若い方ですかな?」

「・・・あたしと同じくらい。年齢は知らないわ」

「姫様と同じといったら、こりゃまた随分お若い」ひょっひょっと老人は声に出して笑った。そしてすぐにその笑みを引っ込めた。「お若いのに、痕になるような火傷なんですな」

「そうなの。とても酷い火傷よ。何年も前に火事でって言ってたわ」

「一体、どの部分を火傷なさったんです? 腕と脚ならすぐに調合できますが」

 薬師は立ち上がり、火傷によく効く薬草を粉にした瓶を棚から取った。アンブロシアーナは躊躇(ためら)いつつ答えた。

「・・・・・・顔よ」

 老人は皺深い眸を眇めて、アンブロシアーナを振り返った。

「それはまた、おかわいそうに」

「顔の半分が瘢痕(ケロイド)になってしまったの。きっともう治らないわね」

「瘢痕を治すのは、皮膚を移植する手術を受けるほかありませんな」

「手術なんて・・・・・・きっと受けてくれないわ」

 アンブロシアーナがその少女のことを思い出しているのを見て、薬師は溜め息をついた。

「仕方ありませんな、姫様のご友人のためなら、とっておきの薬草で調合させていただきますよ」

 老人の言葉にアンブロシアーナは初めて笑顔を見せた。

「ありがとう、メイスター」

 薬草の瓶を幾つか探し当てながら、メイスターは呟くように言った。

「しかし、姫様の夜遊びもご友人が現れるまでになるとは、想像だにしておりませんでしたがな」

 突然の薬師の言葉に、アンブロシアーナは飛び上がるほど驚いた。

「メ、メイスターったら、あたし"夜遊び"なんてしてないわ」一部分、アンブロシアーナは声を極端に落とした。

少女神(コレツェオス)ともあろうお方が、嘘はいけませんな、嘘は」

「嘘なんかついてないってば」

「だったら姫様、そのご友人はどこのどなたです? このフランチェサイズ大聖堂で働くすべての人間の薬を調合をしているわたしにも、火傷のある若い女性はとんと思い当たりませんでな」

「そ、それは・・・・・・・・・」

 もごもごと口篭もる少女神に、薬師は口元の皺を深くして意地の悪い笑みを浮かべた。

「夜遊びには、まだわたししか気付いていないと思いますよ」

「・・・本当に? そう思う?」

 心配で堪らないといった少女の顔に、老人は笑い出したいのを我慢し、平静を装って言った。

「他の者が気付いていたら、それは大騒ぎになっとりますよ。誰も気付かんのも仕方ありません。姫様の寝所をずっと見ているなんて行儀の悪いこと、この聖堂の誰一人しませんからな。狂信者(ツェペラウス)(しか)り、司祭共然り」

 薬師の言葉に、アンブロシアーナは眸を丸くした。

「・・・あら、じゃあメイスターったら、その行儀の悪いことをしていたって言うの?」

「まさか!」メイスターは慌てて首を振った。「わたしは前から怪しんでいただけですよ。それが今日、火傷の薬を調合してくれと言われて、確信に変わっただけですがな」

 アンブロシアーナは、自分が何度も大聖堂の寝室から抜け出して、街へ出ていたことがいずれはバレるだろうとわかっていた。大聖堂には夜間も狂信者達の自発的な見回りが行われていたし、彼女が街から帰ってきて寝室に戻っても、衣服には泥がついていたり、時には雨のせいで外衣(マント)がびしょ濡れだったりしたからだ。しかし、今のところバレている様子はなかった。だから安心していたのも事実なのだ。アンブロシアーナはがっかりしたように言った。

「そう・・・・・・、でもメイスターにバレてしまったのなら、近いうちに他の人にもわかってしまうわね。もう自粛するべきかしら」

 気落ちしたアンブロシアーナに、老人は少女を少し虐め過ぎたと思い、優しく言った。

「若い内は、多少の無茶もするもんです。叱られたら、それからどうするか考えたらよろしいのではありませんかな?」

「・・・・・・バレるまで、街に行ってもいいってこと?」

 アンブロシアーナは不思議そうに老人を見返した。その純朴な眸にメイスターはそっぽを向いた。

「そりゃわたしには関係ない事ですがな」

 老人は洗ったばかりの瓶を取り出し、そこに磨り潰した薬草を入れた。アンブロシアーナは彼を覗き込むようにして、強く聞き返した。

「関係なくないわ。だってもうメイスターは知っているんだもの」

「姫様」薬師は瓶の蓋を閉め、弱り果てたように肩を竦めた。「わたしはあえて関係ないふりをしておこうと言っているんですよ」

 アンブロシアーナは彼の言葉に、ぽんと手を打った。

「ああ、暗に了承したってやつね」

「・・・・・・」

 はぁ、と老人は重い溜め息をつき、自らの骨しかない肩をごんごんと拳で叩いた。

「それにしたって、夜遊びもほどほどにしていただきませんと、この老いぼれも安心しておちおち寝ておられませんでな」

「まぁ、メイスターったら」アンブロシアーナは慌てて辺りを見回した。「そんな大きな声で言っちゃダメよ。誰かが聞いていたらどうするの」

「誰も聞いとりませんがな」

 老人ののんびりとした返答に、彼女は頬を膨らませた。

「それに、夜遊びって言ったってちょっと外出しただけじゃない」

「今までバレんかったのが不思議ですよ。毎日毎日」

「毎日じゃないわ。三日に一度よ」

 アンブロシアーナが答えると、薬師は笑った。

「似たようなもんです」

「違うわよ」

 それからアンブロシアーナは薬師のいる房から出て、長い陽の差し込む回廊へと走って行った。休憩時間はとっくに終わっていて、陽孔の城でワルド大司祭が首を長くして待っているはずだ。彼の小言を聞くのは憂鬱(ゆううつ)だが、アンブロシアーナはナターシのために、何かできる自分を嬉しく思っていた。

 二人が会ってからひと月、南風舞踏座(エウロス)の舞台を何度も観に訪れたアンブロシアーナは、すっかりナターシと仲良くなっていた。舞台が跳ねてから彼女の家で話をしたり、祈願大通り(オラショ・アベニュー)から入り組んだ路地にある朝方までやっている屋台で、食べたことのない物を口にしたりもした。

 ナターシに面と向かって友人になろうとは言わなかったが、もうそんな必要もなさそうだとアンブロシアーナは思っていた。火傷の薬ができたら、ナターシはどんなに喜ぶだろう。アンブロシアーナは南風舞踏座で見たナターシの踊りを真似して、廊下を軽やかに跳ねながら過ぎて行った。


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