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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
黒狼の騎士
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第三章 踊る魔性の黒鳥 1

第三章 踊る魔性の黒鳥


          1


 アルケナシュ公国のきらびやかな都市、フランチェサイズ。そこは花のような夢が咲き誇る場所。人生に絶望した人も、楽しみのない人も、みんながフランチェサイズへ希望を求めてやって来る。

 ナターシは大昔にそう聞いた。随分、昔のことだ。彼女がまだ夢と希望を抱いていた頃だ。今はどうだろう、と彼女は寂しく思った。

 夢がどれだけ無謀なことか、希望がどれだけ(はかな)いものか、すでに嫌というほど身に()みた。欲しいものは未来永劫、手に入らないだろう。自分の内にあるものは、どす黒い復讐の種だけだ。でもそんなナターシにも、一つだけ大切にしているものがあった。バルメトラの作った舞踏座(ぶとうざ)だ。しかし今日、バルメトラは外出していた。

 フランチェサイズへ来て二年近くが経っていた。バルメトラがエスタークに見切りをつけ、ナターシを連れてフランチェサイズへ移ったのは、彼女が遊女として老いたせいもある。とはいえ、バルメトラはまだ二十代後半だった。彼女は第二の人生をやり直すのだと、意気込んでフランチェサイズへ行くことを決めた。それはナターシにとっても良い事だった。

 ナターシの顔の火傷(やけど)は、右半分を舐めるように広がっていた。助かったのが不思議なぐらいだと、医師が言うのをナターシ自身、何度も聞いた。それでも助かったことが良かったことなのか、彼女にはわからなかった。みんな死んでしまったのに、なぜ自分は生き残ってしまったのだろう。こんな恐ろしい感情と共に・・・・・・。ナターシはあの火事の日から、自分が別の生き物に変わってしまったと感じていた。

 フランチェサイズはエスタークのような田舎街とは違い、彼女が思うにバルダ大陸のどの国よりも栄えている国の王都だった。そこには腕利きの医師が何人もいた。だからこそバルメトラはフランチェサイズを選んだのだろう。だが、その腕利きの医師達は、ナターシの火傷を治すことはできなかった。いや、治すことはできるのだ。金さえあれば。

 世の中には、魔道具という古代文明の技術があり、それを使えば彼女の火傷も治せるのだと聞いていた。しかしナターシには、魔道具を買う金も、魔道具を使うための魔道具使い(マグトゥール)を雇う金もなかった。それはちょっと裕福になったぐらいでは、(あがな)えないものだった。

「ナターシ、今日の演目聞いた?」

 丸椅子に腰かけ、白い紐のついた編み上げ靴を履いていたナターシは顔を上げて、鏡の前に立つ黒髪の少女に頷いた。

「ええ、座長が今日は『宮廷のルイザ』を()るって」

 彼女はナターシより三つ年上の十六歳で、すらりとした体格の長い髪をした可愛らしい少女だったが、顔の真ん中にあるちょこんと丸い鼻に皺を寄せ、顔をしかめた。

「わたし『ルイザ』より『天の乙女』の方がいいなぁ」

 それを聞いた隣りの鏡を睨んでいた赤毛の少女が笑った。

「カランザは『天の乙女』だと出番が多いからでしょう」

 図星を言い当てられたカランザは口を尖らせた。

「だって今日は彼が観に来てくれるんだもの。できればいい役を演りたいわ」

 しかし赤毛の少女ジェンは笑いながら、ナターシに話を振った。

「ねぇ、ナターシ。わたし達のアドリブにカランザがどう出るか、今日は楽しみだと思わない?」

 ナターシは意地悪なジェンに乗っかって「そうね。きっと笑える舞台になるわよ」とにんまり返した。

 カランザが膨れ面で文句を垂れるのを、ナターシは笑顔で聞いていたが、心の中は晴れやかとは言えなかった。なぜか楽しい気分になると、決まってナターシは気持ちが冷めていくのだ。たくさんの人と笑い合えば、笑い合うほど、孤独になるのだ。

 彼女は立ち上がり、履いたばかりの靴先で床をトントンと叩いた。

「じゃあ、あたしは先に行ってるわ」

 ナターシは鏡を見ずに、二人の少女を置いて部屋を出た。彼女はすでに粉をふくほど厚い化粧を施していた。練り白粉(ドーラン)のせいで、ナターシの左半面は元来の褐色の肌が白くなり、薄い唇は厚く腫れぼったくなっていた。それでよかった。ナターシは誰にも自分の顔を見られたくなかった。本当の顔を。醜いこの顔を――。

 彼女は火傷の(あと)を隠すために、右半面には白い仮面を着けていた。眸だけが見えるように菱形(ひしがた)の穴が空いているその仮面には、彼女の顔の半分を()らったような怪物の口が()してあった。誰もがぎょっとするいでたち(・・・・)で、彼女は舞台の袖へ向かった。

 繻子織(サテン)の布を腰に巻き、木綿の丈の短い上衣(チュニック)は、上下とも鮮やかな黄色だった。それは彼女の褐色の髪とよく合い、さらに腕につけた貝の飾りがシャラシャラと心地良い音を奏でていた。それがこれから、(まばゆ)い照明と(したた)る汗に濡れることを思うと、ナターシはくだらない現実を一時でも忘れられることに感謝した。彼女は南風舞踏座(エウロス)の踊り子だった。それも、フランチェサイズの庶民の間では、その名を知らない者はいないという花形(トップスター)になっていた。


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