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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
黒狼の騎士
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第二章 黒燼の街

第二章 黒燼(こくじん)の街


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 蛍藍月けいらんづきの三十五日目、ジグリットを含む総勢四十人余りの兵団が、チョザより北西、直線にしておよそ140リーグ(およそ670キロ)の場所にあるジリス砦へ向かうこととなった。ところどころに連なる丘陵を越え、比較的、馬の走りやすい曠野(あらの)が続いている行程では、雪もない季節ということもあって、十日もあればジリス砦へ辿り着ける。炎帝騎士団の騎士が交代要員を含め六人、そして近衛隊のフツを始め、近衛兵が五人、さらに兵士の正規の交代要員が三十人。全員がゲルシュタインとの境界である武装地域の砦へ向かうため、出立の朝から重々しい顔つきで門前に集まっていた。

 騎士長のグーヴァーは、王子がジリス砦のような危うい場所へ行くことを王から直接聞くと、即座に強い口調で異議を唱えた。彼はそんなことは、どうしても容認できなかった。たった一人の王子を自ら武装地帯へ送るなどということは、王が(ゆる)しても、彼は許容できないと思っていたからだ。

 剣戟(けんげき)の稽古を続けるうち、グーヴァーはジューヌ王子のことを、ジグリットの時とはまた違った意味で好ましく思うようになっていた。日増しに成長する王子の姿を見ることが、ジグリットを失い、寂寞(せきばく)としていたグーヴァーには心安らぐものだった。しかし王の心は決まっていた。

「彼らは稽古でもないのに、わたしの王宮内で軽はずみに剣を抜いたのだ。それが今回のもっとも重視すべき点だ。フツがわたしの息子に対して疑惑を抱き、他の者まで巻き込んだことに関しては、彼に処罰を言い与えた。つまり、ジューヌがジリス砦へ赴くことは、この問題に対してけじめをつけるということだ、グーヴァー」

 騎士長は納得がいかなかった。それなら、ぜひ自分も同行させてくれと彼は頼んだ。しかしグーヴァーまでがジリス砦に出向すると、王宮はあまりにも手薄になる。王は彼の申し出を却下した。

 当日、王宮の正門前の坂をひとかたまりの兵団が、王子を交えて降りて行くのを、グーヴァーは心許(こころもと)ない気分で見送った。そんなグーヴァーの懸念とは裏腹に、当のジグリットはというと、逆に昨夜は興奮して寝付けないぐらいだった。エスタークの仲間と冬将の騎士に会えるという喜びに、彼は一切不安を感じていなかった。むしろジグリットの胸中は、その日の空同様、晴れ晴れとしていた。

 王女リネアは、出立の前日に王子の居室を訪れ、ただ一言「いってらっしゃい」と挨拶しに来た。彼女の興味がまったく弟にないことは、以前から知っていたものの、ジグリットが呆れるほどに、それはあっさりしていた。彼女の陰湿な(いじ)めから遠ざかることも、ジグリットの心を浮き立たせる要因の一つになっていた。



 王宮を出たジグリット達の一行は足早にチョザの街を通り抜け、北への街道を進んで行った。ジグリットは額に白い菱形(ひしがた)のある黒毛の馬に乗っていた。彼は一般の兵と同じ身なりで、灰色の外衣(マント)の下にくすんだ鎖帷子(くさりかたびら)を着て、黒き炎の肩章(けんしょう)と素朴な長剣(ちょうけん)を腰に下げていた。そして王族の(あかし)である黒き炎の板金の耳飾りを外し、下衣の衣嚢(ポケット)に忍ばせていた。華美な装飾品は一切着けなかったので、彼を王子と知らない者は皆、ジグリットを新米の兵の一人だと思い込んでいた。

 現にジグリットを王子だと知っている者は数名に留まっていた。ジグリットがそうした方がいいだろうと、同行する騎士に告げたためだ。ジリス砦はゲルシュタイン帝国との国境にあり、王子が砦へ来ていることはできれば知られたくなかった。そのため、王子が兵団にいることを知っているのは、六人の騎士と五人の近衛兵だけだった。

 ジグリットはエスタークへの寄り道のために、行動を起こすまでひたすら静かに、ただの一兵卒のように振る舞った。それはとても重要なことだった。北へひたすら走り続けた三日目。月明かりしかない暗夜の曠野に複数の天幕(テント)が張られた。三度目ともなると、兵士達も素早く天幕を張り終え、後はできるだけ睡眠を取ろうと、あっという間に辺りは静まり返った。

 ジグリットは五人の一般兵と同じ天幕に割り振られていた。王子の正体を隠すためには仕方なかったが、彼は五人全員が立てる(すさ)まじいいびきに毎夜辟易(へきえき)していたが、今日は違った。全員がすっかり寝たことを、そのいびきで確認できたからだ。

 そっと外に出たジグリットは、迷わず一際(ひときわ)大きい天幕を見つけ、そこへ向かった。ジグリットの周りにある他の天幕もすっかり明かりを消して、外からでも中にいる六人の兵がぐっすり寝入っているのがわかった。どの天幕からも疲れ切った兵士達のいびきが聞こえていた。

 円形状に並べられた天幕の外周では、外敵や野犬に備えて日替わりの歩哨(ほしょう)が立っていたが、ジグリットに気づいた者はいなかった。彼らは外に注意を払っても、中の動きには無頓着だった。

 ぐるりと小さな天幕群に囲われた大きめの天幕には、まだ明かりが灯っていた。ジグリットは足音を気にせず近づき、挨拶もなしに天幕の革でできた戸口を開いた。

 そこには六人の騎士全員と夜番ではない近衛兵二人、それに近衛隊隊長のフツがそれぞれ分かれて座っていた。寝ている者は一人もいなかった。ジグリットの姿を見た彼らは、一瞬驚いた様子で、すぐに彼を中へ入れて外の様子を(うかが)った。

「王子、このような夜分にどうしたのです?」

「誰かにここへ来るのを目撃されませんでしたか?」

 ジグリットの正体がバレることを恐れて、彼らはできるだけ王子に関わらないよう努めていた。とは言っても、気にしないわけにはいなかったのだが。

 ジグリットは藺草(イグサ)の敷物に座るよう促されると、騎士達の輪に入り、薄い麦酒(エール)と塩辛い干し肉を勧められた。

「どうかされましたか、王子?」

 体格の良い騎士の一人が訊ねると、ジグリットは受け取った硬い干し肉を奥歯で噛み千切りながら頷いた。

「ちょっと相談があるんだけど」

「何でしょう?」

 騎士達と、輪から外れている近衛兵二人、それに天幕の端で(ひじ)をついて横になっているフツの視線を受けながら、ジグリットは緊張した面持ちで言った。

「明日はどこかの街に泊まりたいんだ。もう天幕は疲れちゃったよ。ずっと走り続けてお尻も痛いしさ。そろそろ寝台(ベッド)で寝たい」

 それを聞いて、騎士達は顔を見合わせ笑った。

「まだ大丈夫でしょう、王子」

「そうです。それに一晩眠れば疲れも()えますよ」

 二人の騎士が優しく言い含めるのに、ジグリットは口を尖らせた。

「そんなことないよ。それにぼくは天幕(テント)じゃちっとも眠れない。あいつらすごいいびきなんだ。まだ馬小屋の方が静かなぐらいさ。それに――」

 ジグリットはねっとりと、絡みつくような不穏な視線を感じて辺りを見回した。しかしそれは気のせいだったのか、すぐに掻き消え、近衛兵二人が落ちつかなげに視線をさ迷わせているのと、近衛隊長のフツが横向きに寝転がって眠そうに欠伸(あくび)をしている姿だけが見て取れた。ジグリットは気を取り直して、騎士達に告げた。

「それにまだ一度も街に寄ってないじゃないか。いつになったら、街に寄るんだ? チョザ以外の街に寄れるって楽しみにしてるのに」

 フツはそれを聞くと、興味を失った様子でジグリットに背を向けた。ジグリットはホッとした反面、彼が何も言わなかったことを不気味に感じた。しかし今は、この頭の硬そうな騎士達をどうにかしなければならない。

 案の定、まだ若い長髪の騎士が(さと)すように微笑(ほほえ)んだ。

「王子、わたしももちろん寝台で眠りたいと思っていますが、わたし達は一刻も早くジリス砦へ行き、仲間の荷を下ろしてやらねばなりません。そのためにもう少し我慢していただけませんか?」

 ジグリットはこの若い騎士を好ましく思った。彼はジリス砦で半年もの間、敵を監視し続けた仲間の兵を思いやって、早く行こうと言っているのだ。

 しかしそれに「はい、そうですか」と頷くわけにもいかなかった。エスタークには必ず行かねばならないのだ。今度こそ、貧民窟(スラム)で生き残ったたった一人の仲間が誰なのか、そして元気にしているのかを確認したかった。

 ジグリットはその騎士に仏頂面で言い返した。

「ジリス砦まで、一つの街にも寄らないつもりなの? そんなこと有り得ないよ!」

「兵の遠征(えんせい)とはそのようなものです、王子」

 騎士達はなんとか説得しようとしていたが、ジグリットは傲然(ごうぜん)と立ち上がった。

「ぼくは今まで文句一つ言わずに来たんだぞ」

「それはそうですが・・・・・・」金髪の騎士が困ったように眉をひそめた。

 彼が指揮官なら、まずはこの騎士を(なだ)めなければならないとジグリットは思った。金髪の騎士は穏やかそうな顔をした二十代前半の青年だった。

 ――こういう手合いには、強く出るべきか。

 ジグリットは本来ならこんなやり方は、絶対にしたくなかったが、仕方なく彼を睨みつけた。

「この中で一番偉いのは、ぼくだ」ジグリットは傲慢(ごうまん)な態度で言った。「父上の次にぼくがこの国で敬われるべき人間じゃないのか!?」

「もちろんその通りです、王子」金髪の騎士は(うやうや)しく頷いた。

「だったら、命令を聞け! もう三日もの間、昼はずっと北上して休む間もなく、夜は夜で粗末な天幕だ。疲れも癒えやしない。いい加減、ちゃんとした寝台で眠りたいんだ。わかるだろう?」

 騎士達はついに王子の我儘(わがまま)が始まったとばかりに、揃って苦虫を噛んだような顔をしていた。少し離れた場所で寝転がっているフツは、怒鳴る王子の声に耳を傾けながら、素知らぬ顔で眸を閉ざしていた。

「それはわたし共も察しておりますが」と金髪の騎士は困惑げに言った。「ここから一番近い街でも、一日はかかります」

「そんなことはどうでもいいよ!」ジグリットは(わめ)いた。「寝台で寝たいんだ! ここから近い街へ行こう。これは命令だぞ」

 数名の騎士が溜め息を漏らした。ジグリットはただの我儘な子供にしか見えなかった。

 天幕の壁に向かって寝ていたフツの側に、近衛兵二人がそろそろと近づき、彼らは隊長に呆れたように(ささや)いた。

「うちの王子様ときたら、酷いもんですね」

「まだ三日目だってのに、もう疲れたですよ。そのうち、お城に帰りたいと言い出すんじゃないですか?」

 フツは冷めた顔で振り返りもせず呟いた。

「別にいいんじゃねぇの? おれだって寝台で寝れるならそれにこしたこたぁない」

「「隊長!?」」

 フツの投げやりな態度に、二人の隊員は耳を疑った。

 フツは彼らに「まあ、職務だから適当にこなせや」と言い放って、また欠伸を漏らした。

「何言ってるんすか!?」

「適当って、隊長・・・・・・」

 フツは二人の部下が顔を覗き込むのを鬱陶(うっとう)しそうに手で押しやった。

「まぁ、アレだ。今回のおれは刑務としてジリス砦へ行くわけだから、王子の我儘だろうがなんだろうが、この際付き合ってやるさ」フツは今度こそ本当に寝入ろうと眸を閉じた。彼の耳は王子を説得しようとする騎士の声を完全に排除し、暗い曠野の景色のように静かな場所へと落ちていった。

 結局、金髪の騎士は王子の我儘を(いさ)めきれず、一番近い街を地図で探すはめになった。そしてジグリットの思惑通り、東へ約半日ほど行けばエスタークがあると彼は告げた。翌朝、ジグリット達は道を逸れ、一路エスタークへ向かうこととなったのである。


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