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タザリア王国物語  作者: スズキヒサシ
黒狼の騎士
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第一章 欺瞞の黒い霧

 懐かしい思い出の中に、リネアとジューヌは潜んでいる。

 二人が私に与えたものは、苦悩と孤独。

 ときには嫉妬もあったことを白状しよう。

 しかし、私の過去はそればかりではない。

 私が夕暮れを見上げて、胸の軋むような痛みを感じるとき、懐かしきタザリアの王が言った言葉を思い出す。

 ――ジグリット、おまえの命はたった一つの使命のために生まれたのだ。いつか気づくときが来るだろう。おまえ自身がなぜこの世に生を受け、その人生を歩んだのかを。

 肩を掴んだタザリアの王の手は温かく、私はなぜか泣きたい気持ちになったことを覚えている。

 私はあの心優しき王の言うように、私の人生を歩んでいるだろうか。

 今もまだ、その答えを見出せないでいる。

                     ジグリット・バルディフ 『回顧録』より



第一章 欺瞞(ぎまん)の黒い霧

第二章 黒燼(こくじん)の街

第三章 踊る魔性の黒鳥(こくちょう)

第四章 漆黒の孤臣(こしん)

第五章 黒雲を(まば)る日

第六章 黒き炎、絶家(ぜっか)のとき

第七章 間隙(かんげき)の黒い(ねずみ)



第一章 欺瞞の黒い霧


 聖階暦(せいかいれき)2021年、紫暁月(しぎょうづき)

 バルダ大陸の幾つかの国は、すでに不穏な緊張が(つの)っていることに気付いていた。砂漠の帝国ゲルシュタインでは、王が自分の背後に迫りつつある危険に()を光らせ、その隣りの小国、山岳のアスキアではゲルシュタインとの国境沿いに隙間なく兵を配置し、北西の僭主(せんしゅ)国、ベトゥラ連邦共和国は、それを静観する一方で、国内の貴族同士の内紛に翻弄(ほんろう)されていた。

「バルダ大陸の(みぞ)」と称される暴君(テュランノス)山脈と夜明けの歌(オーバード)山脈の間に位置する北のナフタバンナ王国、そして南のウァッリス公国においても、他の国々とさして違いはなかった。魔道具と歪力石(コピアストーン)の最大輸出国であるウァッリスは、過剰な税をかけて周りの国を圧し、関係に亀裂が生じるのは時間の問題だった。すでにナフタバンナとは、国境で睨み合う日々が続いていた。

 そこからテュランノス山脈のいまだ雪深い稜線を越えて、西一帯に広がるタザリア王国では、また別の緊張が王宮を包んでいた。それは国同士や内紛の大きさからすると、取るに足りない小さなものだったが、本質は違っていた。それは重大な問題だった。

 東の大国、アルケナシュ公国では、自国の中にすべての国を(あわ)せ持つよりも巨大な力を有するバスカニオン教の庇護を受けているおかげで、唯一表面上は平和を保っていた。バスカニオン教の総本山であるフランチェサイズを首都と置いてある限り、どの国からの侵略も考えられなかった。

 バスカニオン教はバルダ大陸最大の教団であり、すべての国が信奉する教えでもあった。そしてフランチェサイズ大聖堂を始めとする、バスカニオン教のすべての教会が、戦時において、交戦国が相互に兵を入れないことを協定した場所であり、いっさいの敵対行為が禁止された非武装地帯だった。

 教団は常にこう言った。「我が教会は国家にあらず」と。しかし、その強大な力は、他の国々の厄介の種でしかなかった。

 アルケナシュ公国が危惧する通り、首都となっているフランチェサイズにおける利権は、徐々に教団へ傾きつつあった。教団の力は莫大で、アルケナシュ公国はそれを抑えることに躍起(やっき)になっていた。


          1


 タザリア王国の王都チョザでは、紫暁月(はる)を迎えて、人々の熱気が戻って来ようとしていた。白帝月(ふゆ)の間、テュランノス山脈からの厳寒とその南端の山間で起こっていたウァッリス公国との戦闘のせいで、タザリアの民は長い雪の季節をひたすら耐えて過ごしたのだ。彼らにとって、暖かい陽射しは何より平和を感じさせた。そしてそれは、王宮にいたジグリットにとっても同じだった。

 暗緑色の制服に身を包んだ近衛兵(このえへい)の一人が、礼拝堂に入って行く王子の姿を眸にしたのは、午後も遅い時間だった。王宮の北西にある(けやき)並木を通って、北の城壁に沿って建てられた礼拝堂には、すでに(ほの)かな明かりが(とも)っていた。

 白い煉瓦(れんが)造りの礼拝堂には、教会の(あかし)である"天に向かい口を開いている少女の像"が入口に立っていた。今ではそれが(しゅ)、バスカニオンの妻である少女神(コレツェオス)の像だということをジグリットは知っていた。そして、その像を見る度に、ちょうど一年前にアルケナシュ公国のフランチェサイズで見た美しく可憐な少女神、アンブロシアーナのことを思い出すのだった。

 礼拝堂の奥にいた年配の司祭が、ジグリットが白く塗られた(かし)の扉を開けて入ってくると、彼を見て微笑んだ。しかし、司祭はすぐに祭壇の手入れに戻り、彼に声をかけることはなかった。最初に会ったときに、声をかけられたジグリットが言ったからだ。一人にしてくれと。それ以来、ジグリットから声をかけない限り、司祭は彼を放っておいてくれた。

 ジグリットは中央の通路を挟んで左右に分けられた右側にある、中ほどの長椅子に腰かけ、ぼんやりと祭壇を、そして祭壇の右下に飾られた大きな宗教画を眺めた。画板はおよそ縦3フィート(およそ90センチ)、横に2フィート(およそ60センチ)はあるもので、板の上に石膏(せっこう)を塗り、そこに描かれたものだった。

 一人の純朴な少女が敬虔(けいけん)な祈りを捧げる姿。その頭上から降りた白い光が、少女の横顔をまるで消し去ろうとしているかのごとく眩く、そしてあまりにも残酷に包み込んでいた。ジグリットはその光が少女を捕らえる白い網のように見えた。しかし、その清廉な横顔はそれを望み、それを許容していた。

 アンブロシアーナが生まれる以前に描かれた絵とはいえ、同じ少女神であるがゆえか、少女の横顔は彼女によく似ていた。長い黄金色の髪が細い肩を豊かに覆い、閉じられた眸と長い睫毛(まつげ)の影がやわらかそうな頬に落ちている。緩く組んだ両手の指先はやさしく唇に触れていた。

 少女が誰を想い、何のために祈っているのか、ジグリットにはわからなかった。ジグリットは主の存在を信じていなかった。アンブロシアーナは確かに神が選ぶにふさわしい少女だったが、それでも彼女が(あが)めているものは、実体を伴わない虚像に思えた。

 ジグリットは少女神の絵を見つめたまま、一年経っても鮮明に思い出せる彼女の声や姿を思い返していた。しかし、その甘い感傷は長くは続かなかった。

「ジューヌ様、ここにいらしたのですか」

 突如、礼拝堂に入って来た一人の騎士は、ガシャガシャと騒がしい鉄鋲(てつびょう)の足音をたててジグリットの許に走り寄ると、彼が振り返るのを待たずに言った。

「陛下がお待ちです」

 ジグリットは浅く息をついて立ち上がった。しかし眸はいまだ少女神の絵を見つめていた。祭壇の前にいたはずの司祭はいつのまにか姿を消していて、ただ騎士の()かす声が静かな堂内に響いた。

「ジューヌ様、陛下は謁見室ではなく、居室へお越しになるようにとのことです」

「・・・・・・わかった、すぐ行く」

 振り向かずとも、騎士が頭を下げるのがジグリットにはわかった。ジグリットはまだ立ち尽くしている騎士を放って、彼の横を素通りし、礼拝堂を出た。すでに陽は落ち、欅の高い枝先が灰色の影となって黒い空を占め、そのさらに上空をちらちらと数匹の蝙蝠(こうもり)が飛び交っていた。

 ジグリットの数ヤール後ろを、先ほどの騎士がずっと付いて歩いていた。ジグリットはそれを知らぬふりをして庭園を抜け、ソレシ城とマウー城の間を通って、王のいるアイギオン城へ入って行った。

 白い御影石(みかげいし)の階段を昇り、廊下を歩いて行くと、ジグリットは王の居室のある扉の前で立ち止まった。扉を叩こうと腕を上げたが、彼は中から聞こえてきた男の野太い声に手を止めた。

 ――グーヴァーの声・・・・・・もう来ていたのか。

 ジグリットはその炎帝(えんてい)騎士団の騎士長であるグーヴァーに、できる限り会いたくなかった。彼は本当のジグリットとジューヌをよく知っている人物の一人だったからだ。それに・・・・・・とジグリットは眉をひそめた。

 ――グーヴァーはジューヌのことを嫌っている。

 彼の態度は他の者からすればそうとは見えないだろうが、ジグリットはグーヴァーがジューヌである自分を避けていることに気付いていた。そんな彼にへつらったような紛いものの笑顔を向けられることが、ジグリットには耐えられなかった。以前のように・・・・・・ジグリットにしていたように、同じ明るさで彼に接して欲しかった。しかし、自分がジューヌとして存在する限り、それが不可能だともわかっていた。

 ジグリットが微かな物思いに立ち止まっていると、背後にいた騎士が追いつき、彼の背中越しに扉を叩いた。居室の中の声が止み、王の低い返答があった。

「ジューヌ様のお着きです」と騎士は告げ、ジグリットの前の扉をゆっくりと開いた。

 ジグリットは暗い面持ちのまま、騎士を残して一人部屋へ入った。

「やっと来たか、ジューヌ」

 タザリアの王、クレイトスの朗らかな表情は、幾分ジグリットをホッとさせた。そしてその脇に立つ騎士長グーヴァーもまた、静かな笑みを湛えていた。騎士は見た目は筋肉質で(いか)つく、中年の頑固そうな眸で彼を見下ろしていたが、かつてナフタバンナとウァッリスの一万の兵を打ち破った"嵐世(らんせ)の騎士"は、今は穏やかな様子だった。髪には灰色が混じり、目元には微笑んだときにだけ刻まれる優しげな(しわ)が刻まれていた。

「何か話があるって聞いたけど」ジグリットは扉口に立ったまま言った。

 突然、呼び出されたことにジグリットは、大した不安を抱いていなかった。むしろ、その内容の見当がついていた。

「ああ、そうなんだ」王は窓際の黒檀(こくたん)の机に(もた)れるように腰を乗せ、短い顎鬚(あごひげ)を擦った。「マネスラーから聞いたが、おまえは最近、何かとがんばっているようだな」

 マネスラーはジューヌの教育係だ。ジグリットは探るような王の視線に、淡々と答えた。

「以前よりはがんばってる」

「・・・・・・それに、剣戟(けんげき)の稽古をまた始めたいと侍従に漏らしたことも聞いているぞ」

 ジグリットはグーヴァーが腕を組み、自分を見据えているのを感じながら微笑んだ。

「はい、父上」

 意識せずに王をそう呼ぶことはできなかった。ジグリットは自分の声がいつもより高いことに気付いたが、それは王と騎士長にはわからない程度の微妙な差でしかなかった。

「突然、人が変わったかのように、勉強し始めたのはなぜだ?」

 王の問いにジグリットは、前から考えていた通りの答えを並べた。

「ぼく思ったんです。ジグリットが死んで、ぼくはずっと彼のように何でもやってみればよかったって。もうジグは何もできないけど、だったらぼくが少しでもがんばろうと思って・・・・・・」

 俯いたジグリットの眸には、葡萄酒(ワイン)を零したかのような深い赤紫色の絨毯(じゅうたん)が映っていた。ジューヌのふりをして彼のように話すことに、ジグリットはまだ慣れていなかった。少し子供っぽい返答過ぎたんじゃないかと思い、ジグリットは落ち着かない気分になった。

 しかし、王はただ顔を(ほころ)ばせて頷いた。

「それはとても良い事だとわたしも思うよ、ジューヌ」

 (さび)色の優しい眼差しが、自分を別の名前で呼び、別の人物を映していることにジグリットは、胸がざわざわと擦られたような気になった。

 微笑んでいる王の隣りで、グーヴァーも同意した。「ジューヌ様、ぜひこの不肖グーヴァーに、再度その名誉ある役目をお申し付けください」彼が自分の前までやって来て、王にするように(ひざまず)くのをジグリットは見下ろした。「あなた様が立派な一人の騎士となられるまで、全身全霊を捧げます」

 複雑な気分でジグリットは彼を立たせた。かつての師を(たばか)って跪かせることに、ジグリットは嫌悪感しか感じなかった。

「・・・わかったから、もう立っていいよ」

 ジグリットはなるべく騎士長を見ないように努めたが、彼のがっしりとした体格が立ち上がると、ジグリットの視界はその躰で覆われてしまった。

「ではさっそく明日の午後から、騎士長にお願いするとして、ジューヌ」王が言うと、グーヴァーが素早く一歩後ずさり、ジグリットの視界を開いた。「おまえは最近、よく礼拝堂に行っているそうじゃないか。一体、どうしたんだ? 突然、信仰心に目覚めたのか?」

 不思議そうな王の眸に、そのことを聞かれるとは思っていなかったジグリットは、一瞬ぎくりとしたが、他愛のない返答をした。

「そういうわけじゃ・・・・・・。ただあの場所はあまり人がいないから落ち着くんだ。それだけ」

「なんだ、そうなのか。毎日のように礼拝堂に出入りしていると聞いたから、てっきり狂信者(ツェペラウス)にでもなったのかと案じたぞ」

 狂信者とはバスカニオン教を盲目的に信じる熱狂的な信者のことだ。少女神を聖母と崇め、バスカニオン教の教典を網羅(もうら)している。そしていつでも主のために命を投げ打つ覚悟を持っている者達を指すのだ。

 笑みを浮かべ冗談を言う王を見て、ジグリットはふっと笑った。そして、ついうっかり口が滑った。

「狂信者というよりも、むしろぼくは非国教徒(ディセンター)に近いと思うよ」

 王の笑みが掻き消え、眸が(すが)められた。

「おまえが非国教徒だと? それは笑えん冗談だ。我がタザリアの一族は誰しもが知っている通り、主の御加護あってこそ今まで存在しえたのだぞ」

 ジグリットは王の強い言葉に息を呑んだ。

「このタザリアのすべての民が主を慕い、主の御心に耳を傾けているというのに、非国教徒だと!?」

「へ、陛下・・・・・・」グーヴァーが慌てて口を挟んだ。「ジューヌ様のちょっとした冗談ではないですか。陛下があんな冗談言うからですよ」

 王は騎士長を睨み返した。

「狂信者は赦されても非国教徒は赦されん。冗談でもだ。こんなことが口さのないやつらの耳に入ってみろ!」

「大丈夫ですよ、陛下。この部屋にはわたししかいませんから」

 ぶつぶつ文句を言う王を(なだ)めながら、グーヴァーは王子に目配せした。それは扉を指していた。ジグリットは情けない顔で呟いた。

「すみませんでした、父上。もう冗談でもあのようなことは申しません。では、失礼します」

 そそくさと部屋を出ると、廊下には誰もいなかった。松明(たいまつ)の滲んだ明かりと、白い床を見下ろし、ジグリットは部屋の中から王がまだ自分に対する不平を漏らしているのを聞いた。

「もう一度、マネスラーに言って教典をすべて読ませる必要があるな」

 しかし扉に背を向けたまま、ジグリットはそんな事をしても自分が信心深く、ましてや狂信者になることなど有り得ないと思った。主など、バスカニオンなど、この世にいるはずもない。神がいるなら、なぜ無慈悲な死や残酷な裏切りがあるのだろう。なぜ自分がのうのうと王子として居座っていられるのだろう。所詮は心に巣食った弱さが見せる幻影に過ぎないとジグリットは思っていた。そしてその思いは、彼がアンブロシアーナを想うのとは別の場所で、幾つになっても(しこり)のようにわだかまることとなった。


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